八重山の御嶽  更新 2024.09.22

 沖縄の古くからある集落には、本土の神社に当たる御嶽(「ウタキ」・「ウガン」など)と呼ばれる拝所・聖地があります。八重山では一般に「オン」・「ワン」・「ワー」・「ヤマ」などと呼ばれています。神社仏閣とは性格を異にするもので、村を愛護する祖霊神や島立、村立に関連する神、祝福・豊年等をもたらす神、航海安全の神などが祀られています。
 御嶽は、神々が下ってくるといわれる場所、島や集落の神を祭る場所となっており、一般に集落近くの森の中や小高い丘の上、岬などに設けられています。それぞれの御嶽の成り立ち等を通じて、各島の歴史や文化等を知ることができます。


 御嶽成立の縁起(起源)について分類すると以下のようになろうかと思われます。
神の神託によるものとされているもの
渡来神を祭るものとされているもの
開拓者または共同社会の貢献者を神として、その墓を祀るもの
霊石または霊火の奇跡によるもの
火の神を御嶽として祀るもの(ピイナカンオン)
牧場の牛馬の繁昌を祈願するために建てられたもの(ウシィヌオン)
水元の神を祀るもの(ミジィムトゥヌオン)
豊漁の神を祀るもの(リュウグウヌオン)
旅の航海安全を祈るために建てられたもの(タビオン)
 元来は自然神が多く、後に次第に人格神も祀られるようになったのではないかと考えられます。しかしながらその縁起のよく分からない御嶽も非常に多くあります。そうした御嶽ですが、非常に大雑把にくくると、自然崇拝で祖先崇拝の場であると言えようかと思います。

 御嶽の基本的な形態は、木々と石垣に囲まれた空間(小さな森)があり、入口(八重山では鳥居[*1]があることが多いようです)の先には簡素な拝殿が設けられています。この拝殿では、集落の様々な神行事の際の祈願や、祭礼が執り行われます。
 そして、拝殿の奥には石積みで囲まれたイビ[*2]という空間があり、ここに神様が降臨するとされています。
 また、イビの入口には石積みや木造の簡素な門があることが多く、更にその奥には香炉が置かれています。
 イビの中は男性は立ち入り厳禁で、女性の神職者(八重山では、「司」(ツカサ)(ヒサカ)、「神司」(カンツカサ)[
*3]と呼ばれています。)しか立ち入ることができない神の聖所です。これらの神につかえる女性が祭礼を行い、その地位は基本的には血筋によって継承されています。
 
 なお、本土の神社などと違って、御嶽には御神体や偶像は無く、実体を持たない「神聖な空間」が御嶽の中核となっています。つまり空間そのものが霊的な場であるわけです。 また、空間の中心に
イビ石という石碑のある御嶽もありますが、これは本来は神が降臨する標識であり御神体とは異なるものです。

 
*1 鳥居は本来からあったものではなく、明治維新から琉球処分以降の「皇民化政策」による神道施設化の結果建てられたものが多いようです。
しかしながら、八重山の一部の御嶽では、明治5年以前(明治政府の政策以前)から鳥居の設置があったことも知られています。
戦後、沖縄本島の御嶽の多くでは鳥居が撤去されましたが、八重山のほとんどの御嶽では今でも設置されたままとなっています。

なお、本土の神社の鳥居と八重山の御嶽の鳥居のもつ意味は、全く異なることを理解しておいてください。
*2 イビ・イベ・ウブとも呼ばれ御嶽の内奥にある神の依代とされます。空間そのものであったり、巨石・巨木・神木・墓など、その中にある聖なるものの存在は一様ではありません。「マソーミ」と呼ばれることもあります。
一般に墓を御嶽として祀るもの以外、イビ門は御嶽にあるサンゴ礁の自然石が用いられています。
*3 波照間ではシカーとも呼ばれます。

 今日、御嶽は致命的な諸問題を抱え、存続の危機に直面しています。それは、
  ・神司の後継問題 (神司の高齢化、神司の死去による後継者不在)
  ・神司の家族の転居問題
  ・村社会の変貌
  ・過疎化 等
といった諸事情による住民の御嶽離れです。このままでは八重山の歴史、民俗文化が失われかねません。
 昨今、多くの御嶽で後継の神司が誕生することなく、御嶽は次第に見捨てられて荒廃の一途をたどり、祭祀信仰の廃絶するもやむを得ないような状況となっています。こうした流れは1970年代以降、特に顕著かつ決定的なものとなっていきました。
 このような状況下、まずはどんな所にどんな御嶽があるのか、またその由来はどのようなものなのかを知ることが大切かと思います。


 ここでは、八重山のそれぞれの島にある御嶽を紹介します。(少しずつ充実をはかっていきます。)

項 目 備 考 Up Date
1 石垣島の御嶽(市街地1:四ケ字)* 石垣島は古くから八重山地域の中心地であり、また多くの歴史を有する地でもあったことから数多くの御嶽があります。 特に古くからある集落(村)には著名な御嶽があります。 [市街地の中でも特に古い歴史のある四ケ字の御嶽について紹介しています。]
2023.11.12
2 石垣島の御嶽(市街地2)* 同上 [市街地の中で、四ケ字以外の御嶽について紹介しています。]
2019.06.08
3 石垣島の御嶽(郊外1:東部地域)* 同上 [郊外の御嶽のうち、東部地域のものについて紹介しています。]
2019.06.01
4 石垣島の御嶽(郊外2:西部&北部地域)* 同上 [郊外の御嶽のうち、西部&北部地域のものについて紹介しています。]
2024.09.22
5 竹富島の御嶽 竹富島には86カ所の拝所があり、その中で最も重要な拝所は28カ所の御嶽の中の六山(ムーヤマ)です。ここではこの六山と村御嶽等について紹介しています。
2017.02.25
6 黒島の御嶽 黒島には、10カ所以上の御嶽がありますが、なかには廃村等により既に廃止されたものもあります。 ここでは主に「八嶽」について紹介しています。
2022.03.05
7 西表島の御嶽* 西表島も、各集落周辺に御嶽があります。特に古くからの集落では、各種の儀式・祭礼等に深い関わりのある御嶽がいくつもあります。
2023.02.19
8 鳩間島の御嶽* 鳩間島は友利御嶽を中心に5つの主要な御嶽があり、豊年祭等の各種の催事が執り行なわれています。
2018.11.17
9 小浜島の御嶽* 小浜島には主だった御嶽がいくつかありますが、そのなかの一つの御嶽では国の重要無形民俗文化財に指定された「結願祭」が執り行なわれます。
2019.09.07
10 波照間島の御嶽* 波照間島には、「ウツィヌワー」と呼ばれる御嶽が各集落に1箇所ずつ、計5箇所あります。また、遠く離れた原野の森に、「ピテヌワー」と呼ばれる拝殿などの建造物の存在しない御嶽があります。
2019.06.22

 (注) 御嶽は神聖な場所なので、むやみに立ち入らないでください。特に鳥居より先には立ち入らないようにしてください。


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