黒島の御嶽  更新 2016.1.30

御嶽は神聖な場所なので、むやみに立ち入らないでください。(特に男性の立ち入りは制限されています。)
多くの御嶽の入口には内地の神社と同じように鳥居が建てられていますが、御嶽に於いてその意味は全く異なるものであることを理解しておいて下さい。
特に黒島では鳥居から先には決して立ち入らないようにして下さい。
(なお、以下の、鳥居から先の写真は全てズームレンズを使用して撮影したものです。)

今回は、下表のNo.12・13を追加し、青字の項の内容追記をしました。
また、一部の写真の入替を行いました。

 八重山諸島のほぼ中央にある黒島は、隆起珊瑚礁からなる典型的な「野国(ヌングン)島:山も川もない、平らで水田の全くない島」です。 このため黒島には古くから海と関わる文化があり、御嶽についてもそのほとんどが航海安全に関係したもので、海との深い繋がりを有する由来が残されています。 (黒島には造船に関する伝説も残されており、航海の始まりの島とも言われています。)

 黒島には、10カ所以上の御嶽がありますが、なかには廃村等により既に廃止されたものもあります。 なお、黒島では御獄を、「ウタキ」・「オン」ではなく「ワン」と呼んでいます。
 また、黒島には主要となる八つの御嶽があり、「八嶽」として親しまれています。 「八嶽」は、王府時代には「公儀御嶽」として信仰の中心を形成していたそうですが、場所は「二嶽」を除きほとんど海岸の近くにあるのが特徴となっています。

 なお、黒島のそれぞれの御嶽には、環境庁が設置した「○○御嶽」といった看板が立てられていますが、いずれも「嶽」の字が地獄の「獄」の字と間違えられています。 (ビジターセンターの説明書きも同様ですが、今更直すのも何ですしねぇ・・・。)

 
No. 名 称 備 考
1. 阿名泊御嶽(アナドマリワン)  
2. 喜屋武御嶽(ケンワン・キャンワン) 「八嶽」
3. 仲盛御嶽(ナハムリワン) 「八嶽」
4. 北神山御嶽(ニシハメマワン・ニシカメマワン) 「八嶽」
5. 南神山御嶽(パイハメマワン・パイカメマワン) 「八嶽」
6. 南風保多御嶽(パイフタワン) 「八嶽」
7. 船浦御嶽(フノーラワン)  
8. 比江地御嶽(ページワン)
9. 保慶御嶽 「八嶽」
10. 保里御嶽 「八嶽」
11. 迎里御嶽(ンギシトゥワン) 「八嶽」
12. 旧乾震堂 拝所 
13. 乾震堂 拝所 

T.黒島の主要御嶽の地図

U.黒島の主要御嶽

1.阿名泊御嶽
 
阿名泊御嶽(アナドマリワン)は、島の北東部の海岸、「阿名泊」にある御嶽です。
「八嶽」ではありませんが、航海の無事に感謝を捧げ、島間を渡航する船人の航海安全を祈る場所だったようです。
なお、御嶽そばの海岸は、石垣島からのNTTケーブルの揚陸地となっています。
 
阿名泊御嶽 阿名泊御嶽

2.喜屋武御嶽 「八嶽」
 
喜屋武御嶽(ケンワン・キャンワン)は、東筋から東側の海岸にある御嶽です。
島の女性が宮古島のテフヌ主(若文子:わかてくぐ)と恋仲になり、役人が島を離れる時、航海安全を祈願したところ、役人は無事に帰省することができたため、その祈願した場所を旅御嶽として創建したのが喜屋武御嶽の由来だそうです。
なお、この御嶽のそばの海岸には、破損した古い桟橋が残っています。
 

3.仲盛御嶽 「八嶽」
 
仲盛御嶽(ナハムリワン)は、東筋集落から伊古桟橋へ向かう三叉路の左横にある御嶽です。
王府時代に、黒島首里大屋子が在任中に賄女として娶った島の女性を、自分の旅立ちに際して航海安全を祈願させるために創建したのが仲盛御嶽の由来だそうです。
 
仲盛御嶽(鳥居は2013年の台風被害で破損したため、撤去されました。) こちらは破損前の鳥居 (2009.11)

(2015.04)
同拝殿

4.北神山御嶽 「八嶽」
 
北神山御嶽(ニシハメマワン・ニシカメマワン)は、島の北東部(東筋から阿名泊に向かう道の途中)にある御嶽です。
昔、船道家に樽という航海王がいて、彼は八重山最高の公用船の船員で八重山・沖縄間を37回も航海して無事帰還したという稀代の天才で、頭の信頼も厚かったそうです。樽の妹は神高い人で、航海のたびに東海岸の山中で兄の無事帰還を祈り、果たしてその通りになったので村人は妹が祈る場所を霊場と考え、村で拝殿を創建し、村の旅御嶽として深く崇敬したそうです。これが北神山御嶽の由来だそうです。
 
北神山御嶽
   

5.南神山御嶽 「八嶽」
 
喜屋武御嶽に行く道の途中、右手側(南側)にあります。
南神山御嶽(パイハメマワン・パイカメマワン)の由来は、オナリ神信仰(姉妹の霊力に対する信仰)と関わり、兄弟の危難に対し姉妹が霊的な庇護を発揮して祈りが通じ、旅御嶽として聖地になったそうです。
 
南神山御嶽

6.南風保多御嶽 「八嶽」
 
南風保多御嶽(パイフタワン)は、仲本海岸から少し黒島灯台側に行ったところにある御嶽ですが、ここはどうも航海安全の祈願所ではなかったようです。
 
南風保多御嶽

7.船浦御嶽
 
船浦御嶽(フノーラワン)は、豊年祭の船漕ぎが行われる宮里海岸の近くにある御嶽です。
宮里村の船浦に造船所を移転した際、造船業が盛んになることを願って創建されたそうです。造船中の祈願、航海安全祈願、進水式の儀式等において村民等が祈願した場所のようです。
 
船浦御嶽

8.比江地御嶽
 
比江地御嶽(ページワン)は、東筋集落内(うんどうやの前)にある御嶽です。
その昔、比江地首里大屋子という偉人の弓道場だったそうです。旧暦8月には、ここで結願祭が行われます。
 
比江地御嶽

9.保慶御嶽 「八嶽」
 
保慶御嶽は、もはや御嶽の原型を失い、イビ石(石碑:神が降臨する標識)も消失しています。 海の石が霊石となり、これを安置し祈願したところ農作物が豊かに実ったという伝承があります。
 
保慶御嶽
Sorry No Photo

10.保里御嶽 「八嶽」
 
保里御嶽は、黒島港の西側海岸沿いにある御嶽です。黒島の御嶽は3ケ所を除いて海岸沿いにあるのが特徴で、保里御嶽もその一つです。
保里御嶽は、島に漂着した大和人と島の女性が夫婦になったものの、夫が帰郷することになり、妻は夫の一路平安を心を込めて祈願しました。 その妻が祈願した場所が旅御嶽として創建されたそうです。
 
保里御嶽

11.迎里御嶽 「八嶽」
 
迎里御嶽(ンギシトゥワン)は、仲本海岸と宮里海岸の間にあり、豊年祭のときに成功を祈願する御嶽です。
 
迎里御嶽 同拝殿

12.旧乾震堂
 
伝承によると1800年頃、現在の黒島灯台の近くのユキラ浜に唐船の難破船が漂着し、船中からはミイラ化した遺体と満載の絹布類が見つかりました。島民がその死体を海に流したところ、死体に関わった人が次々と死亡し、島内ではネズミが異常繁殖しました。そこで、船の中にあった黒石を死体のかわりに海岸に埋めて供養したところ、ネズミの害は収まりました。
ところがしばらく経って何者かによって墓が荒らされると、再びネズミが大発生したため、島民は拝所を灯台近くの海岸から島の中心となる現在地に移し、島を挙げて大法要、供養を行ったそうです。するとネズミの大発生は再び収まりました。
 
旧乾震堂 (碑には「乾震坤大神」と記されています。)

 

13.乾震堂
 
黒島小中学校の東側に、黒島灯台の近くから移された現在の乾震堂があります。
 
乾震堂
 

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