小浜部落の西方、スンダという地にあリます。小浜島出身の「ツカサバア」と尊崇される大阿母南風川田於那利(ウフアムパイカーダウナリ)の墓が御嶽として崇敬されたものです。彼女は絶世の美女として生まれ育ち、琉球尚灝王(1804-1827)から再度にわたり侍女として召出され奉任させられました。
於那利は解任帰島に当り大阿母神職を授けられて「ツカサパア」と尊崇されました。下人(召使)40人も賜った生活のために「スマンダー垣」という海垣(インガキ:魚垣のこと)を築造してもらいました。(この海垣は現存しています。)
その後、この島で終生を過ごした於那利の墓は御嶽となり、首里から赴任した八重山蔵元駐在の高官達はここを訪れて参詣するならわしだったそうです。於那利が身につけていた衣装や茶器の工芸品は竹富町指定文化財となっています。
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