鳩間島の御嶽  更新 2016.01.23

御嶽は神聖な場所なので、むやみに立ち入らないでください。(特に男性の立ち入りは制限されています。)
多くの御嶽の入口には内地の神社と同じように鳥居が建てられていますが、御嶽に於いてその意味は全く異なるものであることを理解しておいて下さい。

※今回は、青字の項の内容追記を行いました。

鳩間島には、友利御嶽・髭川(ヒナイ)御嶽・前泊御嶽のほか、西堂御嶽・新川御嶽の各御嶽があります。
鳩間島はかつて稲作農耕が盛んでこれに基盤をおいた伝統的な祭祀が行われ、特に稲の豊穣感謝・祈願祭であるプーリ(豊年祭)は島の一大行事となっています。
 
No. 名 称
1. 友利御嶽*
2. 前泊御嶽
3. 髭川(ヒナイ)御嶽
4. 西堂御嶽*
5. 新川御嶽*

鳩間島の御嶽の地図

 
1.友利御嶽
 
鳩間島で最も大きな聖地・御嶽が友利御嶽で、島のほぼ中心の、港から鳩間中森に行く途中にあります。
鳩間島の創設者は宮古島の鳩間儀佐真主、別名、船屋儀佐真と伝えられており、友利御嶽は同島からの分神と言われています。一方で、対岸の西表島から渡来した神とする説もありますが、これはマラリアが蔓延した西表島に耐えかねて鳩間島に移住した人々が、信仰神も移したというものです。
友利御獄の旧記は神名を鳥渡森、威部の名を大座那呂金と言い、大座(うふだ)は田んぼを意味し、那呂金は鍛冶屋の神だそうです。このことから稲作と鍛冶屋を祀る友利御獄はいわば八重山版の稲荷神と言えようかと思います。
豊年祭や結願祭の際には島の人々が集まり、一晩中、神様へのお祈りが捧げられますが、その他の神行事のほとんども友利御嶽で行われます。(御嶽内は基本的に男子立入り禁止です。女性であっても観光客は勝手に御嶽内には入らないようにしましょう。)

なお、友利御嶽は「トモル御嶽(ウガン)」や「上(ウイヌ)御嶽」とも呼ばれます。
 
鳩間中森への道から見上げた友利御嶽 苔むした階段と鳥居

2.前泊御嶽
 
鳩間小中学校のグランドの西側、サンシキ広場の東側、前の浜に面した所にあるのが前泊御嶽(マイドゥマリウガン)です。
御嶽は、瓦葺き・漆喰塗りで、鳥居は海側(「前の浜」の前)にあります。
 
前泊御嶽  

3.髭川(ヒナイ)御嶽
 
ヒナイ御嶽は、近世初頭の鳩間村を管轄していた西表島の髭川村の御嶽の神を勧請して建てられたそうです。
御嶽には窓があり、その窓は西表島のヒナイサーラを向いていて、そこの神に祈りを捧げるのだそうです。
鳥居は島のメインストリート沿いにあります。
 
ヒナイ御嶽  

4.西堂御嶽
 
鳩間中森の北側の山林にあるのが西堂御嶽(にしどーうがん)です。
シマナカ道の中央部から西に約100m進むと左側に白い鳥居が建っています。
西堂御嶽は墓が御嶽に移行したもので、墓の主は友利御嶽を創建した儀佐真主だそうです。御嶽創建は、明治の頃に糸満や久高島から来た漁師たちに同行したセジ(霊力)高い賄い老婆の神がかりの言葉、「島を創建した恩人のお骨が牛馬に踏み荒らされている」という言葉によるものだそうです。
 
西堂御嶽 同拝殿

5.新川御嶽
 
鳩間中森西側のパカ山の南側中腹にある新川御嶽(あらかーうがん)です。
水の堰口(ミジフシキフチ)と呼ぶ場所に拝殿(パイデン)が建ち、水元の神として祀られています。
新川御嶽の創建は新しく、明治の初め頃かその少し前だそうです。信心深い個人が同地に神を祀り、日夜拝みを欠かさなかったと言われています。不思議にもその人の畑だけ雨が降り豊作が続きました。その後、村人が神の霊力に驚き、村でも拝ませてもらうようになりました。その個人の拝所が村の御嶽になったそうです。
 
新川御嶽 同御嶽の森
 

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