竹富島のカー(井戸)  更新 2017.05.20

今回はNo.6・17の追加をしました。

T.竹富島のカー(井戸)

 竹富島は隆起珊瑚礁の島で、山も川もないため水資源に乏しく、古くから水には困窮していたようで、島の人々は、天水の溜め置き、あるいは浅い井戸を頼りに生活用水を確保していました。 旱魃の時には水を確保するために、船で石垣島や西表島まで行って運んでくるという苦労もしていました。
 こうした苦労を解消するために、昭和51(1976)年、政府と石垣市の了承を得て、石垣浄水場の上水を海底送水により竹富島に運ぶ水道管が敷設され、今日では水で不自由することのない生活が送れるようになりました。
 ここでは、海底送水による水道が敷設されるまでの間、島の人々の生活を支えたカー(井戸)の紹介をします。
カー(井戸)で命を繋いできた竹富島の町並み
 
No. 名  称 場所 区分 備考
1. ハナックンガー* 島北部 ウリカー(降り井戸) 竹富島で最も古い井戸
2. ミシャシカー 島北部 ツンナーカー(釣井戸) 美崎御嶽東側
3. オーセカー 西集落 ウリカー(降り井戸)? 世持御嶽の庭内
4. ハナッキャヌカー 西集落 ツンナーカー(釣井戸)  
5. フーギャヌカー 西集落 ツンナーカー(釣井戸)  
6. ハツンガー 西集落 ウリカー(降り井戸)?  
7. インカー 東集落 ツンナーカー(釣井戸)  
8. キニンカー(ガイセンカー) 東集落 ツンナーカー(釣井戸)  
9. アーラカー 東集落 ツンナーカー(釣井戸)  
10. ミーナカー* 東集落* ウリカー(降り井戸)  
11. ナージカー (仲筋カー) 東集落 ウリカー(降り井戸)  
12. トゥンナカー* 東集落 ウリカー(降り井戸)  
13. スンナーカー 東集落 ツンナーカー(釣井戸)  
14. アラカー (フーフチカー) 東集落 ツンナーカー(釣井戸)  
15. フージンガー 東集落 ウリカー(降り井戸)  
16. シルミジカー 東集落 ツンナーカー(釣井戸) 竹富小中学校内
17. ミッチンガー 東集落 ウリカー(降り井戸)?  
18. コントゥカー* 仲筋集落 ウリカー(降り井戸)  
19. コインカー 仲筋集落 ツンナーカー(釣井戸)  
20. クラムトゥヌカー 島西部 ツンナーカー(釣井戸) 皆治浜・蔵元跡内
[参考] 水道記念碑      
 

U.竹富島のカー(井戸)の地図
  
  
V.各カー(井戸)の紹介
 
1.ハナックンガー
 
大舛原(ホーシ)にある東新里村遺跡の西端、イシャーグチの道沿い(東側)にあるハナックンガー(花城井戸)は、島で最も古い井戸です。井戸の傍には「はなすく井戸」と記された石碑が建てられています。そしてその前には丸いサンゴ石をくり抜いた香炉が置かれています。
島建てに関わる重要なウリカー(降り井戸)で、この井戸を中心に新里村は栄えたと言われています。
伝承では、昔、花城村の創始者・タガニドゥンの氏子の娘が新里村に嫁ぎましたが、村に井戸がないため里に戻ってきました。事情を知ったタガニドゥンは新里村で井戸を掘り、嫁いだ娘の記念として与えました。
神里村の井戸ですが、花城村の人が掘ったためハナックンガーと呼ばれるようになりました。
 

2.ミシャシカー
 
島の北側にある美崎御嶽の、鳥居の南東側にある井戸です。 シチマツリ(節祭)では、玻座間御嶽の神司により井戸拝み(祈願)が行なわれます。
 

3.オーセカー
 
島最大の行事である種子取祭が開催される世持御嶽の前庭の西端にある井戸です。オーセとは琉球王府時代の村番所を意味します。 とても小さなエリアで、しかも土砂で埋もれていますので、注意して見ないと気づかないかもしれません。写真撮影した時は周囲がロープ等で囲われていました。
 

4.ハナッキャヌカー
 
世持御嶽の東側から南に向う 道と、そば処「竹の子」の前を東に向う道とが交差する十字路の少し東側にある井戸です。 井戸の上には「歩行者優先道 のんびり竹富」と書かれたプレートが置かれています。
 

5.フーギャヌカー
 
「ハナッキャのカー」を路地3本南に行った十字路(西のスンマシャーへ向う道と交差する場所)の少し東側にある井戸です。 この井戸にはポンプが設置されていますが、かなり腐食しているようで、今でも使われているかどうかは不明です。
 

6.ハツンガー
水牛車観光の「竹富観光センター」の道路を隔てた西側にある井戸です。 雑草が生い茂り、かつてここに井戸かあったとは気づきにくいものとなっています。
 

7.インカー (別名:ホーリャヌカー)
 
港から集落へ続くホーシミチから、東集落の一番北側の道を西に約50m行ったところにある井戸です。 カー(井戸)の横には、大きなタンクらしきものがあります。
 

8.キニンカー(ガイセンカー)
 
竹富島から日露戦争に従軍した4人の兵士の帰還と戦勝凱旋を記念して掘られた井戸です。このためガイセンカー(凱旋井戸)とも呼ばれます。 西塘御嶽の東側に位置し、井戸の入口左側には「凱旋記念泉」と記された石碑が建てられています。
 

9.アーラカー
 
西塘御嶽の西側の坂道を下った所にある井戸です。 この井戸は、元は民家の横にあったと思われますが、現在はこの写真のように見晴らしのよい空地が周囲に広がっています。
 

10.ミーナカー
 
ミーナカーは周回道路からアイヤル浜へ続くアイヤルミチに入ってすぐの南(右手)側、国仲原(フイナーバル)にある降り井戸で、手前右側の石碑には「ここを下った谷間に泉がある。往昔島人はこの泉を飲料水として用いたと伝えられている。」と記されています。 ミーナカーとは、神が見つけた井戸の意味です。その昔、女神・マリツと男神・ソコツが協力して掘り当てた井戸とされます。その後、人々が利用するようになり、井戸に降りる際は小石を2個投げて「マリツ・ソコツのミーナカー」と唱え水を汲みました。ひと昔までは、住民が冷たい清水を氷のうにするため、夜道を通ったそうです。1972(昭和47)年に竹富町の文化財(史跡)に指定されました。
 

11.ナージカー(仲筋カー)
 
島のほぼ中心部にある井戸で、1976年に石垣島からの海底送水が行われるまでは、島内の飲料水の供給源として利用されていた貴重な井戸です。 大昔は、この井戸の水を使い稲作が行われていたそうです。
この井戸には犬が発見したという伝説があります。それは、昔、 犬を連れて井戸を探していた人が、犬のしっぽの先が濡れていることに気がつき、付近を探してこの井戸を見つけたそうです。 そのため、この井戸の石垣は犬が座った形に作られています。この井戸の水は、今では出産祝いの水や元旦の若水などに使われているそうです。
 

12.トゥンナカー
 
竹富島交通の事務所の東の小路を北側に少し行った東側(右手側)、竹富小中学校の東側原野のトンドゥー原にある井戸です。
訪問時、石積みされた井戸の底には僅かに水がありました。
伝承によれば、昔、宮古豊見親が島の中央に城を築き井戸も掘りました。その祝いの矢先、宮古島の姉が重病で一目会いたいとの使いが来ました。豊見親は姉の土産に井戸水を持参し帰郷しますが、既に姉は亡くなっていたため、持参した水を末期の水としました。井戸の初水を死人に使用したので、忌中井戸と名付けられたそうです。この井戸は、明治末まで追善供養等の井戸水として使用されました。
 

13.スンナーカー
 
スンナカーは竹富島小中学校の校門近くにある「酒造所跡」の碑(写真右側)の前の道を東側に進んだ所の左手側にある井戸です。写真の電柱の左側にあります。 スンナーカーは割と大きな井戸で、よく整備されています。
 

14.アラカー
 
アラカーは、ナージカー(仲筋カー)から竹富島交通の前の道を東に進み、T字路を左折した所にあります。昔はフーフチカーと呼ばれていたそうです。 アラカーは写真の右手側、仲筋集落から東集落方面への道の左手側にあります。給水塔の近く(南東)です。
 

15.フージンガー
 
世持御嶽の北東方向にある井戸で、鬱蒼と茂る木々の間にあります。 シチマツリ(節祭)では、玻座間御嶽の神司により井戸拝み(祈願)が行なわれます。
 

16.シルミジカー
 
竹富小中学校の構内の東側にある井戸です。 シチマツリ(節祭)では、波利若御嶽の神司により井戸拝み(祈願)が行なわれます。
 

17.ミッチンガー
 
水牛車観光の「竹富観光センター」の、敷地の北西端にある井戸です。 井戸の周囲は柵で囲ってありますが、注意しないと見落としてしまうような状態となっています。
 

18.コントゥカー
 
仲筋集落の北西部に位置する、割と大きな井戸です。豊かに水を湛えた井戸で(特に雨後は水位が上がり池の様になります)、井戸に降りる石階段(約4m)もよく遺されています。
家並みから少し離れた所に位置しています。訪れた時は、写真中央のマーニ(クロツグ)の花の甘い香りが辺り一面に漂っていました。
付近には、平成8(1996)年、国立歴史民俗博物館により調査された「フージャヌクミ遺跡」があります。同遺跡はコントゥカーを中心に発祥した幸本村に関係する遺跡と考えられ、八重山先史・古代編年の第三期に当ります。
シチニガイ(節祭)では関係者による水恩感謝の祭祀と清掃が行なわれています。
 

19.コインカー
 
仲筋集落の東部に位置する井戸です。ちろりん村並びに羽山会館の前の道を東に進んだ所にあります。 アクセサリーやオリジナルTシャツなどの雑貨屋さん「南潮庵」の近く(南側)に位置しています。
 

20.クラムトゥヌカー
 
星砂で知られる皆治浜の入口手前に蔵元跡がありますが、その南側にこの井戸があります。
オヤケアカハチの乱の後、竹富町出身の西塘は首里王府(尚真王時代)に25年間も司法官につかえました。
その忠勤により1524年に八重山人として初めて竹富大首里大屋子の頭職に命ぜられ、蔵元を創設して20年間は竹富島で八重山の政治を統治しましたが、その後は、この土地が狭小で良い港がなく不便であったため石垣島の大川に移転しました。
 

[参考]
 
水道記念碑
 
竹富小学校の南側にあるナージカー(仲筋カー)の前に水道記念碑が建てられています。ンブフルの丘の手前です。

昭和51(1976)年に、石垣島から竹富島までの間に海底送水管が敷設され、上水道が整備されました。海底送水を記念するとともに水の大切さを忘れることのないように、「水道記念碑」が建てられました。

 
碑文(表面)
水道記念碑                                    第五代沖縄開発庁長官 植木光教 書

 竹富島は昔から水に恵まれず、島の人々は専ら天水と旧式の井戸や縦堀式の井戸を頼りに生活を営んできた。 旱魃の時には石垣島や遠くは西表島から水を運ぶという、想像のつかぬ苦難と斗いながら生命をつないできたのである。
 竹富町では竹富島の水の解決を図るためあらゆる機会にあらゆる方面に根気強く陳情を続けた。 如何なることがあっても幾多の困難を克服して切実な要求である水道を実現しなければならないと考えた。
 幸いにして、石垣市の深いご理解とご厚情によって海底送水への計画が具体化し、悲喜こもごもの過程の中に待望の於茂登の真水を引く恩恵に浴したことは聖代の一大快挙であり、無限の感慨にひたらざるこの海底送水の実現方についてご指導ご協力をいただいた政府並びに県・石垣市に対し満腔の敬意と感謝の意を表するとともに、この施設が永遠に島の発展への礎となることを祈念する。
                                             昭和五十一年十月二十八日 竹富町
 
碑文(裏面)
水道工事の概要
一. 分水の地点
一. 石垣島
一. 送水ポンプ場
一. 海底送水管延長
一. 竹富島
一. 高架配水池
一. 竹富島配水管延長
一. 工事着工
一. 工事竣工
一. 総工費
一. 工事発注者
一. 工事施工者
石垣市上水道  新川配水本管より分水
陸上送水管延長  2,552m
一式、石垣市新川舟蔵に設置
4,251m
陸上送水管延長 1,203m
容量90トン
4,197m
昭和50年10月20日
昭和51年10月28日
4億1989万円
竹富町長 瀬戸 弘
日本鋼管株式会社 社長槙田久生
 

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