【ストーリー】 |
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日本最西端に位置する国境の島、与那国島。年に数回、よく晴れた日には台湾の島影を望むことができる。人口およそ1600人のこの小さな島には、荒々しくも美しい自然と、人々が大切に伝え育む琉球王朝と南方文化の影響を受けた多様な文化、そしてゆったりと漂う時間がある。
1980年代後半、この島には笹舟のように細長い一人乗りのクリ舟(=サバニ)を操り、200キロの巨大カジキを追う82歳の老漁師、糸数繁さんがいた。じいちゃんと呼ばれた糸数さんは島の人々に支えられ、ばあちゃんを愛して海に行き、海を愛して漁に出る。サバニで海に出ることを
“海を歩く” と表現していたじいちゃんは、長い不漁に苦しみながらも、1年後、ついにカジキとの格闘に勝利。そして、愛する海に還っていった。まっすぐなじいちゃんの生き方や、自然と人間とが共存しながら生きていく姿から、人が生きることの根源的な強さと豊かさが見えてくる。
この映画は、与那国島の漁師である故・糸数繁氏の日常を記録した映像である。サバニで単身、カジキマグロや鰹を獲る様子に圧倒される。波に翻弄というより、波が増幅されるものの上に、転がり落ちもせず立ち、魚を手繰り寄せた後は銛で何度も突く。これがヘミングウェイであれば、帰港するまでに鮫に食い尽くされるのだろうが、ここではセリにかけられたり、自分たちのおかずになったりする。
漁のほかに、闘牛、ハーリー、酒飲み話、祭りの様子が挿入されている。そして、映画は、沖縄本島よりもはるかに近い台湾の島影を映しつつ、酔った糸数氏が「梅の香り」にあわせて踊るシーンで終わる。
(Movie Walkerより一部引用)
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映画化のきっかけ |
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1986年に映画製作会社シグロを立上げたプロデューサーの山上徹二郎氏は、当時ドキュメンタリー映画の製作のため、沖縄本島の読谷村に通っていたそうです。たまたまある日乗ったタクシーの運転手が与那国出身で、その運転手から「今も与那国にはサバニという小さな舟でカジキを一本釣りしている海人がいる」という話を聞きます。短い会話だったものの、山上氏の頭にはヘミングウェイの小説『老人と海』のイメージが漠然と浮かんだそうです。
東京に戻り与那国島について調べ始めた山上氏は、地図で、ヘミングウェイの『老人と海』の舞台であるキューバのハバナ港あたりと与那国島とがほぼ同じ緯度にあることを知ります。更に、黒潮とメキシコ湾流は流量が多く、流速も速い世界の二大海流であり、与那国島の沖を黒潮が、ハバナ港の沖をメキシコ湾流が流れていることを知ります。つまり、緯度がほぼ同じで海流が似ているということは、同じような魚たちがやってくるし、当然似たような漁法が生まれるのではないか、ヘミングウェイがキューバの漁師の話を基に描いた『老人と海』の世界が与那国島に現存しているのではないか、と思い至ったそうです。 |
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糸数さんとの出会い |
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『老人と海』のイメージを抱いて、与那国島に飛んだ山上氏は、久部良の旅館に泊まり、役場や漁協に行き情報を集めます。そこで、今でも漁をしている老漁師を何人か紹介してもらい、その中に糸数繁さんがいました。
山上氏は出会ってすぐに直感で、映画の主人公になるのはこの人しかいないと思ったそうです。
糸数さんは戦前、台湾に漁師として出稼ぎに出たり、終戦直後、台湾との密貿易で好景気だった時には、家を三軒建て下宿屋をしていたこともあったそうです。また、カツオをとる大型漁船の親方として事業をしていた経験もあったそうです。漁師一筋ではなく、様々なことを経験してきた糸数さんは、映画出演のオファーに対しても、特に条件をつけることもなく数日後には出演を引き受けてくれたそうです。 |
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釣れないカジキ |
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カジキ漁のシーズンは4月から10月。撮影の年は14年振りの不漁で、その年ついに糸数さんはカジキを釣り上げることができませんでした。撮影隊はやむなく出直すことになりましたが、2年目も一向に釣れる気配がありません。体力的にも金銭的にも苦しく予算さえ組めない状況が続いたそうですが、糸数さんがカジキを釣り上げるまでは撮影を続けざるをえません。というのも『老人と海』はカジキが釣れなければ作品にならないからです。2年目が釣れないなら、3年目も続けるつもりだったそうです。
かくして1989年5月27日、糸数さんと撮影隊の情熱が実を結び、ついに171キロのシロカワカジキを釣り上げることができました。島の人たち全てにとって、待ちに待った瞬間だったそうです。
その後、6月のハーリー祭を撮影して一旦クランクアップ。編集途中で追加撮影を敢行し、企画からまる5年がかりでついに映画が完成しました。
※ 「映画化のきっかけ〜釣れないカジキ」は、映画・『老人と海 ディレクターズ・カット版』のHPより一部引用しました。 |
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[余談] |
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撮影時、なかなかカジキが揚がらず、2カ月の予定だった撮影が2年に及んだそうです。
また、撮影に当ってはカメラマンは、「朝6時前に港を出て、12時間たたないと戻って来れず、暇でどうしようもなくて、慣れるまですごく大変だった」そうです。
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