波照間島の遠見台  作成 2013.08.03

 波照間島には、よく知られる「コート盛」の他にも遠見台の遺構が多く存在しています。現在5つある集落のそれぞれに遠見台があり[*1]、またその他にもかつての集落跡に遠見台の遺構があると言われています。以下にそれらの一部を紹介します。

 なお、八重山で国の史跡に指定されている遠見台(火番盛)は計10カ所ありますが、その詳細は「八重山の火番盛」のページを参照下さい。


[*1]

前集落の南外れにあったという「マンジヌヤムリ」(「真地家のおじさんの盛り」の意味)という遠見台については、 農地改良により取り壊されてしまい、現在はその姿を見ることはできません。元は、高さ2.7m、直径7mの規模で、ペムチ浜方面の眺望に優れていたそうです。

2.波照間島の遠見台の地図 

3.波照間島の遠見台

ミザトゥムリ
 北集落の北側、波照間簡易水道かん水淡水化施設の手前、東側に位置している 高さ2.2m、直径6.4mほどの小規模な遠見台です。パナリ(=新城島:下地島)方面への眺望に優れている遠見台です。


北集落側からのミザトゥムリ遠景(タンクの右手側) 同近景
南西側から見たミザトゥムリ 北西側から見たミザトゥムリ
 
カッチンヌブヤムリ
 南集落の南東方向の外れ、波照間灯台のすぐそばに位置する高さ3.4m、直径7.5mの、渦巻き構造をした遠見台です。「カッチンヌブヤムリ」とは、「勝連家のおじさんの盛り」の意味です。島の東側への眺望に優れています。
 波照間島最標高地点の三角点(59.5m)は、カッチンヌブヤムリの上に設置されています。
 
南集落側からのカッチンヌブヤムリ 同近景(西北西方向から東南東方向)
カッチンヌブヤムリの近景 北側からのカッチンヌブヤムリと灯台
 

コート盛
 名石集落の西の外れにある、珊瑚石を積み上げた波照間島で一番大きな遠見台です。「高登岳」の字をあて、別名は「そひら盛」です。伝承では、波照間島に生まれた「祖平宇根(ソヒラウニ)」という船頭がいて、暴風によって漂着した中国大陸より風水図を波照間島に持ち帰り、その風水図によって港から集落までの道(祖平花道)を開き、その道の側にコート盛を築いたと伝えられています。コート盛の頂上には方位の十二支を刻んだアザミサンゴがあり、明治以後に測量が開始されたときには測量の基準点となっています。このコート盛は、高さ3.9m、直径9.9mほどの2層の渦巻き状の構造で、波照間島北側の海全体への眺望に優れています。
 なお、「コート盛」は村番所に併設された遠見台だと考えられています。

 
南側から見たコート盛の全景 同近景。頂上への階段が取り付けられています。
南西側から集落方向を見たコート盛の全景 同近景
 
ホタムリ
 冨嘉集落の北西方向に位置する高さ2.9m、直径5mの遠見台で、ニシ浜方面の眺望に優れています。名前は冨嘉集落の宗家「保多盛家」に由来しています。別名「アスク盛」とも呼ばれます。
 
ニシ浜方向から坂を上ってきてミンピカを超えた所の右手 同近景
冨嘉集落への道の途中にあります。 規模的には割と小さな遠見台です。
 

ナビカキマス
 薩摩支配下の琉球王国により宮古島・八重山諸島において1637年から導入された人頭税は、年齢(数え年15歳から50歳までの男女)と居住地域の耕地状況(村位)を組み合わせて算定された額によって賦課が行われましたが、この税制は世界一過酷とも言われ、貧民ほど重い負担が強いられるものでした。
 このような背景のもと、波照間島のはるか南の沖には楽園の島「パイパティローマ」が存在するという伝説が残されています。
 現在の冨嘉集落の南西側(「モンパの木」の近く)にあったヤグ村は、村を挙げてこの過酷な人頭税から逃れるためにこの「パイパティローマ」に向け島抜けをしたという伝承に、ナビカキマスの説話があります。波照間では「ナビハキャー」と言われています。

 この説話は、アカマリをリーダーとする村人らは、ムラピナの浜(現在の浜シタン群落近くの浜)から盗んだ上納船を船出させましたが[*2]、この時、一人の女性が鍋を忘れて家に戻りました。当時鍋は必需品かつ貴重品でした。アカマリらはこの女性の帰りを待ちましたが、長時間たっても戻らず、夜が明け始めたため、船は彼女を待ちきれずに出帆してしまいます。その女性は船に戻る途中、田圃の近くに差し掛かったとき、船が出て行くのを見ました。そこで女性はその場に崩れこみ、悔しさのあまりその鍋を掻きながら地団太踏んで泣き喚いたそうです。そのことから、それ以来、女性が泣いた場所は「ナビカキマス」と言われるようになったそうです。
 ナビカキマスと伝わる場所は、かつて水田だったと言われていますが、周辺一帯は土地改良が進み、今では往時の面影を全く留めず一面のサトウキビ畑となっています。

[*2]  盗んだ上納船を船出させたことは、歴史的事実として記録に残されています。1648年、波照間島の住人約40名が、厳しい重税に耐えかね「パイパティローマ」を目指して脱走していることが、琉球王府の記録である「八重山島年来記」に記されています。そこには 「波照間村の平田村百姓4、50人ほど大波照間という南の島へ欠落した。島の行政責任者2名が首里へ報告に上り、落ち度があったとして罷免となった。帰途、南の島に漂着し翌年与那国経由で帰島した」 といった内容が記されています。
 
浜シタン群落から集落方向に進んだ途中の遠景 「ナビカキマス」は道の北側に位置しています。
同近景。周囲はサトウキビ畑となっています。 遠見台の上部には樹木がよく茂っています。
 
ニューコート盛(底名溜池展望台)
 島の南西海岸近くの貯水池(底名溜池)脇に、「ニュー(新)コート盛」ともいうべき、石積みの見晴台があります(正式名称は「底名溜池展望台」です)。本物のコート盛よりも一回り大きいのですが、円錐台形をしており、らせん状の階段がつけられている点など、コート盛等を意識してデザインし建設されたものと思われます。
 なお、この見晴台の前の道が、2001年秋より放映された郵便局のCMの冒頭、郵便配達のバイクが走るシーンで使われました。 (周囲には全く人家はなく、郵便配達が来る事はあり得ない場所ですが…。)
 
ニューコート盛の遠景、すぐ前は太平洋です。 写真の後ろは貯水池(底名溜池)となっています。
 

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