火番盛(ひばんむい)は、先島諸島(宮古諸島及び八重山諸島)の13の島(2市2町1村)の18箇所に点在する遠見番所群です。 地理的に中国に最も近い位置にある先島諸島では、1609年の薩摩藩の琉球侵攻後、江戸幕府と明国の二重属国となった琉球王府が薩摩藩の要請によって、1644年頃に18箇所に火番盛を設置しました。 この火番盛は、主に中国への進貢船や異国船の到来など、海上交通の監視・通報機能として各地に配置されたものですが、このうち八重山3市町では石垣市2カ所、竹富町7カ所、与那国町1カ所の計10カ所に設置されました。
元々、火番盛とは火を焚く丘というような意味をもつものですが、ここで烽火(のろし)のための火を燃やして監視にあたったことから、先島諸島では火番盛と呼ばれています。 火番盛では、周辺海域の監視のみならず、中国への進貢船の航海状況や異国船の到来(ヨーロッパ列強の海外進出)を監視し、烽火を上げて各地の火番盛伝いに番所や蔵元に通報し、琉球王府へ知らせました。 なお、合図となる火や煙の数は、船の国籍によって本数が決められていたそうです。
このように火番盛は、日本の南西端に位置する先島諸島の歴史的な位置付けを今日に伝える史跡で、また明・清の交代による国際的緊張下の対外関係と鎖国体制の完成を示す遺跡として重要で、2007年(平成19年)3月23日に国の史跡に指定されました。
八重山で史跡に指定されているのは、以下の1~10の10カ所です。
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