旧与那国家は竹富島の核となる住宅で「マイユヌンニャ(前与那国屋)」という屋号で呼ばれています。主屋は1913年(大正2年)に建設されたとみられ、ほぼ正方形の敷地の中央に主屋「フーヤ」と台所「トーラ」が並び、北東側にジージョン(拝所:屋敷の守り神)、後方にオーシ(豚小屋付便所)、そして東側にフクギの防風林と、周囲を取り囲むサンゴ石のグック(石垣)で構成されます。
主屋は木造平屋建ての寄棟造りで、屋根は茅葺の代わりに当時普及しはじめた赤い瓦葺きで、主屋「フーヤ」の正面には、石積の「マイヤシ(ヒンプン)」が建てられています。今日、竹富島の多くの住宅で普通に見られるシーサーも、当時は飾る習慣はなかったようです。柱にはイヌマキが使われ、それを菊目石(サンゴの塊の石)でできた基礎で受けるようになっています。
これら、昔の建物の原型を備えた住宅は、竹富島の近代の住居形態と生活様式を理解するうえで高い価値があると評価されています。
旧与那国家は、2007年12月4日に竹富町で初めて国の重要文化財として指定を受けました。八重山郡内では旧宮良殿内など石垣市内の3件に続いて4件目の重要文化財ですが、日本最西端、最南端国の重要文化財となっています。
国の重要文化財の指定を受ける前の建物は老朽化が進んでいましたが、文化庁の解体修理保存事業として2003年度から取り組みがなされ、2006年(平成18年)3月に再生がなされました。これには「ゆいまーる」制度も活用されたそうです。
また、石垣積みの修復作業については、特定非営利活動法人(NPO法人)「たきどぅん」が国土交通省の観光ルネサンス補助制度を導入して、実施されました。
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