旧与那国家住宅(竹富島)  更新 2023.01.29

今回は主にフーヤ内(座敷)の追加と一部内容の訂正を行いました。

 旧与那国家は竹富島の核となる住宅で「マイユヌンニャ(前与那国屋)」という屋号で呼ばれています。主屋は1913年(大正2年)に建設されたとみられ、ほぼ正方形の敷地の中央に主屋「フーヤ」と台所「トーラ」が並び、北東側にジージョン(拝所:屋敷の守り神)、後方にオーシ(豚小屋付便所)、そして東側にフクギの防風林と、周囲を取り囲むサンゴ石のグック(石垣)で構成されます。

 主屋は木造平屋建ての寄棟造りで、屋根は茅葺の代わりに当時普及しはじめた赤い瓦葺きで、主屋「フーヤ」の正面には、石積の「マイヤシ(ヒンプン)」が建てられています。今日、竹富島の多くの住宅で普通に見られるシーサーも、当時は飾る習慣はなかったようです。柱にはイヌマキが使われ、それを菊目石(サンゴの塊の石)でできた基礎で受けるようになっています。
 これら、昔の建物の原型を備えた住宅は、竹富島の近代の住居形態と生活様式を理解するうえで高い価値があると評価されています。

 旧与那国家は、2007年12月4日に竹富町で初めて国の重要文化財として指定を受けました。八重山郡内では旧宮良殿内など石垣市内の3件に続いて4件目の重要文化財ですが、日本最西端、最南端国の重要文化財となっています。

 国の重要文化財の指定を受ける前の建物は老朽化が進んでいましたが、文化庁の解体修理保存事業として2003年度から取り組みがなされ、2006年(平成18年)3月に再生がなされました。これには「ゆいまーる」制度も活用されたそうです。
 また、石垣積みの修復作業については、特定非営利活動法人(NPO法人)「たきどぅん」が国土交通省の観光ルネサンス補助制度を導入して、実施されました。

地図 



 
1.旧与那国家フーヤ(主屋)
 
 旧与那国家住宅は、玄関がなく通風性を考慮した南向きの立派な造りですが、典型的な竹富島の民家の特徴があらわれています。シーサーはのっていませんが屋根は伝統的な赤瓦屋根です。
 旧与那国家住宅は古い建て方であるため屋根の庇(ひさし)が短く、後年造られた他の建物とは少し違います。庇の短いこの建て方だと、建物の奥まで日が差し込み暑くてたまらないので、後に建てられた家は、庇を伸ばした造りとなったとのことです。
 主屋であるフーヤは、古材を繰り返し有効に使用しているところに大きな特徴があり、竹富島における住居形態と生活様式を理解する上で高い価値があるとのことです。
 
マイヤシの先の主屋(フーヤ) 主屋(フーヤ)の表(南)側からの眺め
 
裏(北)側からの眺め 雨戸を閉めた状態。 南西側からの眺め
     
一番座
旧与那国家住宅では東側が上座となります。それゆえに、一番座は最も格の高い部屋で、来客者を招く応接間の役割を果たします。また、神事は一番座で行われます。
なお床の間は「ザートゥク」(写真中央)と呼ばれます。
  二番座(写真中央奥側の部屋)
仏壇が安置される部屋で、仏事はこの座で行われます。親戚などの客間としても利用されていました。
写真中央奥にある仏壇は「トゥク」と呼ばれます。


ルククィン(写真手前側の部屋)
子供達の寝室です。また賓客を招いた際に、従者がくつろぐ座として利用されていました。

サンジャコー(ルククィンの左側にある部屋)
家のお手伝いさんを待機させる座として使われていました。
 
一番座の東側のフンターから二番座と三番座を眺めたところ

フンターとは縁側のことです。「踏み板」の訛り語と言われています。昔はこのフンターで機織りが行われていました。
  一番裏座(写真中央の部屋)
家主の寝室で、ヨーと呼ばれます。
一番裏座の右手奥側に、家主の父母の寝室となる二番裏座があります。
 
三番座(写真手前の部屋)から二番座(中央)と一番座(奥側)を眺めたところ   地図板の奥にはクゥールと呼ばれる食料を保管する貯蔵庫があります。
 
二番裏座からカマーノハタ(写真右手奥の部屋)並びに三番座方向を眺めたところ
カマーノハタには家主がお茶をいれる小さな竃が置かれています。竹富島の屋敷は火を扱う炊事場は別棟のトーラとなりますが、旧与那国家住宅では要人が多数訪れていたため、すぐにお茶を提供できるようにフーヤにカマーノハタが置かれていたと考えられています。
  三番座
旧与那国家住宅では西側が下座となります。三番座は日常生活を過ごす部屋として使われていました

写真手前の部屋はサンジャコー、中央が三番座、その奥はカマーノハタです。
 
天井裏の様子と梁組  
 
2.旧与那国家マイヤシ(ヒンプン)
 
 主屋の前にはマイヤシ(ヒンプン)と呼ばれる石垣があり、建物の目隠しにも、また風除けや魔よけにもなるとも言われています。
 
外側から見たマイヤシ(東方向の眺め) 敷地の内側から見たマイヤシ(中央)とグック(石垣:右側)
 
3.旧与那国家トーラ(台所) 4.旧与那国家オーシ(豚小屋付便所)
     
 主屋の西側にはトーラと呼ばれる台所があります。万一、火災が発生しても延焼しにくいように、主屋と台所を分けたと考えられています。 オーシと呼ばれる豚小屋付便所です。
同近影
 
5.旧与那国家フクギの防風林
 
 家の周囲は台風対策の防風林として、フクギが植えられています。このフクギの防風林は集落景観を大きく特徴付けるものとなっています。
 
フーヤ(主屋)の北側の眺め 同 東側の眺め
 
6. 旧与那国家ジージョン(拝所) 7.旧与那国家碑柱
     
 屋敷の守り神であるジージョン(拝所)は、主屋の北東側にあります。  碑柱はマイヤシ(ヒンプン)東側にあります。これには、
2002年1月 与那国暹氏より主屋が竹富町公民館に寄贈         
竹富町公民館より主屋が竹富町に寄贈
2003年9月 竹富町により文化財に指定
と記されています。
 
8.旧与那国家石垣
 
 家の周囲は、サンゴ石灰岩の野面積(のづらづみ) の石垣が残されています。
 写真はいずれも北側の石垣です。
 
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