与那国島の石碑・説明看板  更新 2015.09.05 

今回は地図を追加しました。

No. 名    称 場 所
1. 「ティンダバナ」の碑 祖内
3. 「讃 ・與那國島」の碑 祖内
5. 日本最西端の碑 久部良
7. 「クブラバリ」の碑 久部良
9. 希望の碑 久部良
No. 名    称 場 所
2. 「イヌガン」の碑 祖内
4. 「サンニヌダイ」の碑 祖内
6. 海那国体採火記念碑
 (太陽の火 採火地選定の理由)
久部良
8. 「日本最後の夕日が見える丘」の碑 久部良
10. 「老人と海」の碑 久部良

地図

1.「ティンダバナ」の碑

「ティンダバナ」の碑
 県指定名勝 ティンダバナ 昭和49年5月13日指定

 字祖納の南西に屏風のようにそそり立つ標高100mのティンダバナは、台形状の地形をなしている。眼下には祖納集落の家並が展開し、東にウラブ岳、西には雄大な東支那海が一望され、天然の展望台になっている。展望台近くの岩陰には、豊富な湧水があり、岩壁には八重山の生んだ詩人伊波南哲の詩も刻まれていて、「歴史の丘」として島人たちのいこいの場所にもなっている。
 ティンダバナに続く南の傾斜面には、与那国島の英雄の一人サンアイ・イソバが出生した古邑サンアイ村が立地し、彼女にまつわる旧跡も多く残されている。彼女は、16世紀の末頃に与那国島に君臨した女酋とされる人物であるが、巨体で剛力の持主であったといわれ、政治をよくし島人から尊崇を集めたと語り伝えられている。
    沖縄県教育委員会
    与那国町教育委員会

 高台・ティンダバナ(天蛇鼻)は、断崖絶壁が浸食されてできた島の景勝地で、ここは与那国の歴史・伝説の源となっています。

「ティンダハナタ」の碑
ティンダハナタ(県名勝)
 
 昭和四九年五月一三日指定

 ティンダハナタは、標高百メートルの自然展望台になっている。
台上からは、眼下に赤瓦の家並やナンタ浜が、遠くには東シナ海が広がる。島を見守るようにたたずむティンダハナタは景勝地で、島人たちの憩いの場所である。
 展望台近くの岩陰に豊富な湧き水がある。この水は神聖な水とされており、島の祭事で一番目に行われるアラミディの際供えられる。
    与那国町教育委員会

この碑は、遊歩道への入口(駐車場)横の上部に建てられています。やや分かりづらいかと思います。
「てんじゃばな」の碑
てんじゃばな
石島英文

あの日登った てんじゃばな
雲もほうやり 浮かんでいた
パンジュロの花も 咲いていた

あの日登った きりぎしに
今日はペタコが 鳴いている
チロチロ清水の 音をして

いつかのぼった てんじゃばな
ナンタの離れに チラチラと
花のすすきも ゆれていた
           一九四二年 作
           一九八五年 四月建立
この碑も、遊歩道への入口(駐車場)横の上部に建てられています。

2.「イヌガン」の碑

「イヌガン」の碑
イヌガン (町民俗文化財)
    昭和54年3月24日指定

 大昔、久米島から中山王府への貢納船が出帆した。しかし、船は荒天に遭い、与那国島へ漂着した。一行の中に女一人と雄犬一匹が加わっていて、ある夜から男が一人ひとり犬にかみ殺され、犬と女だけが岩屋で同棲するようになった。
 一方、小浜島の漁夫が荒天に遭い、与那国島へ漂着した。女はこの島に猛犬がいることを知らせ、すぐ島を離れるよう忠告するが、男は女の美貌にひかれ、逆に犬を退治した。
 二人は夫婦になり、七人の子宝に恵まれるが、ふとしたことから犬の殺害を知った女は、ついに犬の死骸を抱いて命を絶った。
 犬と女が、住んでいたところがイヌガンと言われている。
    与那国町教育委員会

 この碑の左側にある岩屋がイヌガンです。

3.「讃 ・與那國島」の碑

「讃 ・與那國島」の碑

讃 ・與那國島
    伊波南哲
 荒潮の息吹にぬれて
 千古の伝説をはらみ
 美と力を兼ね備えた
 南海の防壁與那國島。
 行雲流水
 己の美と力を信じ
 無限の情熱を秘めて
 太平洋の怒濤に拮抗する
 南海の防波堤與那國島。
 宇良部岳の霊峰
 田原川の尽きせぬ流れ
 麗しき人情の花を咲かせて
 巍然とそそり立つ與那國島よ。
 おヽ汝は
 黙々として
 皇国南海の鎮護に挺身する
 沈まざる二十五万噸の航空母艦だ。
    紀元二千六百三年三月

 この「讃・與那國島」のレリーフは、ティンダバナの壁面に設置されていて、東シナ海に向かい高らかに与那国を讃えています。

 伊波南哲は映画「オヤケ・アカハチ」の原作者でもあります。

 紀元二千六百三年は、1943年(昭和18年)にあたります。

4.「サンニヌダイ」の碑

「サンニヌダイむの碑
サンニヌダイ (県名勝)
    昭和49年5月13日指定

 侵食されて切り立った岩肌は雄大な景観を呈し、東の海に傾斜して広がる千畳岩、北側に威容にして浮かぶ軍艦石等の雄大な眺めは、与那国島随一の景勝地である。
 岩肌に波打つ深い海は、大物釣りが楽しめる絶好の釣り場として、人気がある。
 サンニヌダイ一帯は、学術上貴重な植物「ヨナクニイソノギク」「ヒメサヤバナ」「ヤエヤマスズコウジュ」の群落地である。
 サンニヌダイの南西三五〇メートルの海中に、『球陽外巻 遺老説伝』で「与那国の頓岩」と記録されている「ウブイティディ」(俗称 立神岩)が屹立している。

   与那国町教育委員会

 碑はサンニヌダイ展望台のそばに設置されています。

5.日本最西端の碑

日本最西端の碑
日本国 最西端之地 与那国島

 渡海の西崎の
 潮はなの清らさ
 与那国の美童の
 容姿の清らさ

 西崎の小高い丘を登って行くと、日本の最西端の場所としてこの碑が建てられています。

日本最西端の琉歌碑
[読み]
トケヌニシザキヌ
ウスバナヌチュラサ
ドナンヌミヤラビヌ
カーギヌチュラサ
[意味]
海を隔てた地、この与那国の西崎のさんご礁に砕け散る白い波の美しいことよ、それ以上に与那国の乙女たちの美しいことよ。

碑の裏側
建立芳名
与那国中学校第10期卒業生
久部良中学校第3期卒業生
       昭和55年3月28日

与那国島より主要都市までの距離(単位:km)
 石垣----------- 117
 那覇----------- 509
 東京---------- 2112
 台湾----------- 111
 香港----------- 951
 ソウル-------- 1500
 北京---------- 1833
 マニラ--------- 1124
 シンガポール--- 3278

        2004年11月

6.海那国体採火記念碑 (太陽の火 採火地選定の理由)

海那国体採火記念碑
採火地選定の理由

 きらめく太陽、紺碧の海に象徴される沖縄県は、東西1000キロメートル、南北400キロメートルにおよぶ黒潮の海に浮かぶ多くの島々からなっている。
 とりわけ日本最西端の与那国島はソテツ、クバ樹など亜熱帯の景観が広がり、南国の情緒を豊かにしている。そして島の西崎は、よく晴れた日に台湾をのぞむことが出来る国境の地でもある。
 この地で採火した火は、島々をリレーすることによって、郷土を愛する島おこしの起点として海邦国体で(太陽の火)の炬火採火地にした。

海那国体採火記念碑遠景

7.「クブラバリ」の碑

「クブラバリ」の碑
クブラバリ一帯 (県名勝)
  昭和49年5月13日指定

 クブラバリ一帯は周辺が美しい芝生に覆われ、クブラフリシの長く続く海岸は、風光明媚な景勝地である。
 クブラバリはクブラフリシの一部であり、全長15m、幅約3.5mもあるかなり長い断層である。
 クブラバリについては悲しい伝説がある。琉球王府はこれまでの貢納制度を改め、15歳以上のすべての男女に賦課することにした。世に言う過酷な人頭税制度であるが、その影響は与那国島にまで及び、村ではここクブラバリで残酷なことが行われたという。人口制限のため、村々の妊婦をあつめて、この岩の割れ目を飛ばせたのである。
 妊婦たちは必死の思いで飛んだが、多くは転落死したり、流産したと語り伝えられている。

   与那国町教育委員会

クブラフリシ(久部良古石)

8.「日本最後の夕日が見える丘」の碑

「日本最後の夕日が
見える丘」の碑

【上段】
与那国島
日本最後の
夕日が見える丘


【下段】

一.くぶらフル石や
  果報願るウテナ
  ニライ西海ぬ
  くがに入り陽
二.うちゃがてど見ゆる
  ウラブダキ頂丁に
  ゆがふしぬくゆる
  くがに入り陽
三.よな邦の島に
  果報ゆ持ちたぼり
  ニライ神々ぬ
  新降い処
碑全景

9.希望の碑

希望の碑
 希望の碑

 ナチヌ ウブキ カンギイヤ ヨー
 バァ イヤトウ タギンガイ ニシー

 フユヌ ドウシキ カタガヤ ヨー
 バァ アブタヌ クルンナガ ニシー

 夏の たい木の 日陰は
 私の 父親と おなじ の ようだ

 冬の ススキの 風除けは
 私の 母親の ふところ の ようだ
 

空港から久部良集落に向かう途中のダンヌ浜にある碑です。

琉歌と、その意味が列記されています。

10.「老人と海」の碑

「老人と海」の碑

「老人と海」の壁画
老人と海
 与那国島は、日本列島の南の入り口に位置し、海上110キロ先に台湾を眺望できる黒潮の島である。
 1990年、ここ与那国島の久部良を舞台に長編記録映画「老人と海」が製作された。
 ここに展示されているサバニと呼ばれる小舟は、「老人と海」の主人公であった糸数繁さんが実際に使っていた舟である。彼はこのサバニを操り、巨大なカジキとの格闘を制した。映画完成の後、糸数さんは映画の舞台となったこの海で、海人(ウミンチュ)としての82才の生涯を閉じた。
                       映画製作者
                           山上 徹二郎
サバニ

久部良公民館
 

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