字「登野城」の豊年祭(オンプール)2023 (1.米為御嶽) 作成 2023.12.24

 石垣島最大の伝統行事が「豊年祭」ですが、その豊年祭の中でも一番規模が大きく賑やかなのが四カ字(シカアザ)の豊年祭です。四カ字とは、石垣島の市街地(中心部)にある「新川」、「石垣」、「大川」、「登野城」の字のことで、豊年祭はこれらの地区が合同で行うものですが、一日目のオンプール(御嶽プール)は各地域の御嶽で行なわれます。

 四カ字という各地区にはそれぞれに信仰する御嶽があり、「新川」字会は長崎御嶽、「石垣」字会は宮鳥御嶽、「大川」字会は大石垣御嶽、そして「登野城」字会が天川御嶽で、それぞれの御嶽を中心に豊年祭(オンプール)は行なわれます。豊年祭の内容自体は各地区毎に異なり、しかもそれはそれぞれの地区の特色を生かしたものになっています。

 さて、2023年の豊年祭(オンプール)は新型コロナウイルスが5類感染症に移行されたこともあり、4年ぶりに通常開催されました。
 そして2023年の四カ字豊年祭は、当初8月3日にオンプール、4日にムラプールを開催する予定でしたが、台風6号が八重山地方に接近したため、新川のオンプール以外は延期され8月5日に開催されました。

【「登野城」字会豊年祭(オンプール)の神事】

 ここでは今回見学した「登野城」字会の豊年祭(オンプール)の神事について紹介します。
 先に述べたように、豊年祭(オンプール)の神事は8月5日(金)に行われました。
 神司や字会役員の方たちは、午前8時半頃に八重山の稲作伝来の発祥の地とされる米為(イヤナス)御嶽の北側にある小波本(クバントゥ)御嶽でニンガイ(祈願)をした後、10時から米為御嶽で儀式が行なわれました。

 儀式はまず神司が祈願し、続いて字会長が祈願文を奉読しました。
 この後、字会役員や地域の長老らにより古式ゆかしくミシャグパーシィ[詳細後述]が行われ、給仕役の4人が歌いながら木製の皿に神酒を注ぎ、字会役員や長老、旗頭会の会員ら7組28人に振る舞い、豊作に感謝しました。

 その後、字会長の挨拶、石垣市長の祝辞、乾杯の後、小中学生による「イリク太鼓」、婦人会メンバーによる「豊年音頭」「巻き踊り」が奉納され終了しました。


 【注】
 ※ 米為御嶽でのオンプールにおける神事は、凡そ以下のような流れで進められました。
   ・祈願文奉読
   ・神事(ミシャグパーシィ)
   ・イリク太鼓の奉納(小中学生)
   ・豊年音頭・巻き踊りの奉納(婦人会メンバー)

 ※ 米為御嶽の鳥居に設置されていた旗頭の旗文字とその意味は、以下のとおりです。
   ・天恵豊   : 天の神々の恵みと来夏世の豊作を祈る
   ・雨沛下   : 雨が激しく降ること (2023年の夏、八重山地方は雨不足が続いていたため降雨を願い)

字「登野城」の豊年祭(オンプール)2023の様子

米為御嶽の説明板。 説明内容抜粋。
 米為御嶽は、八重山にはじめて稲作を伝えたとされる兄タルファイ、妹マルファイのうちマルファイの墓とされ、のちの人々が稲作を伝えた神として尊崇し、御嶽として信仰されるようになったといわれる。御嶽とは人々の健康や地域の繁栄などを祈願する聖地のことで、米為御嶽は字登野城の御嶽として信仰されている。また、タルファイの墓も同様に尊崇され、大石垣御嶽(ウシャギオン)として字大川の人々に信仰されている。
 伝承によれば、タルファイ・マルファイは安南(現在のベトナム)のアレシンという所から稲種子を持って来島し、登野城の小波本原(クバントゥバル)に住居し、水田を開いて島民に稲作を指導したとされる。登野城の種子取祭や豊年祭などの農耕儀礼は、この御嶽と兄妹の住居跡とされる小波本御嶽を中心に、現在でも古式豊かに執り行なわれている。
旗頭奉納が行われ、旗頭は鳥居のそばに縛られます。 米為御嶽の境内の様子。
開式の挨拶の後、神司による祈願。時刻は10時過ぎです。 字会長による祈願文の奉読。
 
 
神事・ミシャグパーシィ(神酒奉納)」の儀式が開始されました。
給仕役と客役が掛け合いの歌で神酒をたたえます。
ミシャグパーシィは、稲作以前の粟作時代からの古い歴史ある祭儀とされています。
 
ミシャグパーシィは、豊年を喜ぶ古謡を歌いながら神酒の入った角皿(ツノザラ)をゆっくり左右に揺らして、飲みます。   角皿をゆっくり左右に揺らして、飲みます。
現在のミシャグはアルコール発酵していない、ドロドロしたあまり甘みの無い甘酒みたいな飲み物です。
参列者に順次同様の儀式が行われます。   この後、ミシャグは観客にも振る舞われました。
 
(1)ミシャグパーシィとは
 
 神前に捧げる神酒を四ケ字ではミシャグまたはミシィと呼びますが、これはミキ(神酒)の転訛です。沖縄本島ではウンサク、ウンチャク、宮古ではンキ、ンクなどと呼ばれるそうです。主に新穀の米で作られますが、粟、芋などが加えられることもあるようです。
 
 神をたたえ、来年の豊作をお願いする瑞謡をうたいながら飲みまわす儀式を「ミシャグパーシィ」と言います。(大浜村では「スヌザラパーシィ」、西表の祖納や干立では角皿(ツノザラ)・中皿と言うそうです)。
 「ミシャグパーシィ」の儀式は、給仕の1人が「ダーク」(神酒をつぐ容器)を持ち、別の1人はお膳を持ち、一方で客は酒を入れる角皿(椀)を持ち、向かい合って左右にゆっくり揺らせながら交互に歌い、最後に飲むというものです。

 なお、今日、四カ字のオンプーリィで「ミシャグパーシィ」を行う御嶽は、字「登野城」では米為御嶽&天川御嶽、字「大川」では大石垣御嶽&美崎御嶽、字「石垣」では宮鳥御嶽、字「新川」では長崎御嶽となっています。

 
(2)ミシャグ(ミシィ)の作り方
 
 八重山では戦前まで、選ばれた歯の丈夫な健康な若い女性(ミシカンピトゥと呼ぶそうです)が、塩で歯を磨き、髪を整え鉢巻をし、清潔な着物を着、袖まくりして、作業にあたったそうです。
 材料は固めに炊いた粳米、水につけた生米、そして水で、これをミシカンピトゥが噛み、全部噛み吐き出し終ったら、水底の一旦噛んだ飯を再度噛んだそうです。それを石臼で細かく挽き、甕に入れて密封し醗酵させます。2日目はバガ(若)ミシィといって甘味が強く、3日目が最も美味しいそうです。(古くは、粟、キビ、麦、芋でもミシャグをつくったと言われています。)

 こうして作られるものをカン(噛み)ミシィと呼び、このカンミシィの習俗は、本土では古代、沖縄本島では廃藩置県前後に廃止されたそうです。なお、このカンミシィは古代中国・日本はもとより、台湾・メラネシア・ミクロネシア・ポリネシア・南アメリカの原住民の間に広く分布し、また、これらの地域ではいずれも酒を噛み作るのが主として女性となっているそうです。

 なお、今日、ミシャグは若い女性が噛んで作ることはなく、新米の御飯を炊いて冷やし、水を加えてミキサーで挽き、その時、水につけた生米も同時に挽いて加え、これに砂糖や水を混ぜて密封し、3日くらいで出来上がるそうです。(余談ですが、以前白保村で頂いたものは結構アルコール発酵(添加?)していましたが、登野城村のものはそのようなことはありませんでした。)
 昔と作り方は変わりましたが、神に供え感謝する豊穣のシンボルという意味で、今日でも重要なものとなっています。なお、今日、ミシャグを作るのは主に役員の仕事となっているそうです。 
 

字会長の挨拶。時刻は10時半過ぎです。 来賓の石垣市長の祝辞。
     
乾杯の音頭。
観客の私も、配られたミシャグを頂きました。
     
ここからは奉納舞踊となります。まずは「イリク太鼓」の奉納です。
小中学生が迫力ある「イリク太鼓」を厳粛に奉納しました。    
 
三線演奏メンバー。 婦人会の皆さんによる「豊年音頭」です。
皆で豊年祭への喜びを表します。
続いて「巻き踊り」です。
 
 
以上で米為御嶽での神事が終了しました。写真は神事終了の挨拶です。時刻は11時過ぎです。
 
この後は、午後に天川御嶽で開催される「登野城」字会の豊年祭(ムラプール)に移動しました。
 
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