登野城の豊年祭(オンプール)2015  作成 2015.10.03

 石垣島最大の伝統行事が「豊年祭」ですが、その豊年祭の中でも一番規模が大きく賑やかなのが四カ字(シカアザ)の豊年祭です。四カ字とは、石垣島の市街地(中心部)にある「新川」、「石垣」、「大川」、「登野城」の字のことで、豊年祭はこれらの地区が合同で行うものですが、一日目のオンプール(御嶽プール)は各地域の御嶽で行なわれます。

 四カ字という各地区にはそれぞれに信仰する御嶽があり、「新川」字会は長崎御嶽、「石垣」字会は宮鳥御嶽、「大川」字会は大石垣御嶽、そして「登野城」字会が天川御嶽で、それぞれの御嶽を中心に豊年祭(オンプール)は行なわれます。豊年祭の内容自体は各地区毎に異なり、しかもそれはそれぞれの地区の特色を生かしたものになっています。

 今回見学した「登野城」字会の豊年祭(オンプール)は、8月5日(水)の14時から裁判所東側の天川御嶽(アーマーオン)にて開催され、人びとは今年の稔りに感謝し、来夏世(クナツユ)の五穀豊穣を祈願しました。旗頭奉納は勿論のこと、地域に伝わる各種の芸能を奉納したほか、優秀な成績を上げた農家を表彰し、最後は、棒術、獅子舞奉納を行い18時頃に終了しました。


 なお、神事はこれよりも早く行なわれ、神司や字会役員の方たちは、午前8時半頃に八重山の稲作伝来の発祥の地とされる米為(イヤナス)御嶽の北側にある小波本(クバントゥ)御嶽でニンガイ(祈願)をした後、米為御嶽で儀式が行なわれました。そして、字会役員や地域の長老らが古式ゆかしくミシャグパーシィ[詳細後述]を行なったほか、舞踊等の奉納が行なわれました。


 四カ字の豊年祭の開催日は、新暦の7月中旬から8月上旬頃であり、1日目は市内四ヶ所の御嶽でオンプール、2日目は真乙姥御嶽でムラプールが行われます。
 四カ字のオンプールの開催場所・時刻は以下の通りです。
  字「新川」(長崎御嶽)は、14時から     (神事は真乙姥御嶽でも行われます。)
  字「石垣」(宮鳥御嶽)は、15時から
  字「大川」(大石垣御嶽)は、16時から   (神事は美崎御嶽でも行われます。)
  字「登野城」(天川御嶽)は、14時から   (神事は米為御嶽でも行われます。)
 いずれも約3~4時間程度行われますので、「新川」や「登野城」字会の行事を見てから「大川」のオンプールに出向くというのもよいかと思います。但し、いずれも途中からとなりますが…。
2015年の登野城のオンプールで奉納された旗頭の旗文字とその意味は、以下のとおりです。
登野城字会     神穂花   : 稔れる穂は神からの賜りもの
   〃         天恵豊   : 天の神々の恵みと来夏世の豊作を祈る
八重山高校     師弟同行  : 師と弟子(生徒)と同じように修行をして一緒に歩むことが大切
登野城小学校    マイフナー : 親孝行者、おりこうさん
やえやま幼稚園  まいふなーやえやまっこ : おりこうな八重山の子ども

登野城の豊年祭(オンプール)2015の様子

天川御嶽です。拝殿には神司の方がいらっしゃいます。
 
まずは旗頭が奉納されます。
そして、それぞれの旗頭を鳥居などに縛ります。
全員が拝殿前に整列し拝礼します。 開式の挨拶と祈願文奉読が行なわれます。
 
この後は、神事・ミシャグパーシィ(神酒奉納・神酒囃子)」の儀式が行われます。
豊年祭では一番最初に行われる儀式です。
 
(1)ミシャグパーシィとは
 
 神前に捧げる神酒を四ケ字ではミシャグまたはミシィと呼びますが、これはミキ(神酒)の転訛です。沖縄本島ではウンサク、ウンチャク、宮古ではンキ、ンクなどと呼ばれるそうです。主に新穀の米で作られますが、粟、芋などが加えられることもあるようです。
 
 神をたたえ、来年の豊作をお願いする瑞謡をうたいながら飲みまわす儀式を「ミシャグパーシィ」と言います。(大浜村では「スヌザラパーシィ」、西表の祖納や干立では角皿(ツノザラ)・中皿と言うそうです)。
 「ミシャグパーシィ」の儀式は、給仕の1人が「ダーク」(神酒をつぐ容器)を持ち、別の1人はお膳を持ち、一方で客は酒を入れる角皿(椀)を持ち、向かい合って左右にゆっくり揺らせながら交互に歌い、最後に飲むというものです。

 なお、今日、四カ字のオンプーリィで「ミシャグパーシィ」を行う御嶽は、字登野城では米為御嶽&天川御嶽、字大川では大石垣御嶽&美崎御嶽、字石垣では宮鳥御嶽、字新川では長崎御嶽となっています。

 
(2)ミシャグ(ミシィ)の作り方
 
 八重山では戦前まで、選ばれた歯の丈夫な健康な若い女性(ミシカンピトゥと呼ぶそうです)が、塩で歯を磨き、髪を整え鉢巻をし、清潔な着物を着、袖まくりして、作業にあたったそうです。
 材料は固めに炊いた粳米、水につけた生米、そして水で、これをミシカンピトゥが噛み、全部噛み吐き出し終ったら、水底の一旦噛んだ飯を再度噛んだそうです。それを石臼で細かく挽き、甕に入れて密封し醗酵させます。2日目はバガ(若)ミシィといって甘味が強く、3日目が最も美味しいそうです。(古くは、粟、キビ、麦、芋でもミシャグをつくったと言われています。)

 こうして作られるものをカン(噛み)ミシィと呼び、このカンミシィの習俗は、本土では古代、沖縄本島では廃藩置県前後に廃止されたそうです。なお、このカンミシィは古代中国・日本はもとより、台湾・メラネシア・ミクロネシア・ポリネシア・南アメリカの原住民の間に広く分布し、また、これらの地域ではいずれも酒を噛み作るのが主として女性となっているそうです。

 なお、今日、ミシャグは若い女性が噛んで作ることはなく、新米の御飯を炊いて冷やし、水を加えてミキサーで挽き、その時、水につけた生米も同時に挽いて加え、これに砂糖や水を混ぜて密封し、3日くらいで出来上がるそうです。(余談ですが、以前白保村で頂いたものは結構アルコール発酵(添加?)していましたが、登野城村のものはそのようなことはありませんでした。)
 昔と作り方は変わりましたが、神に供え感謝する豊穣のシンボルという意味で、今日でも重要なものとなっています。なお、今日、ミシャグを作るのは主に役員の仕事となっているそうです。 
 
神事・ミシャグパーシィ(神酒奉納)」の儀式です。ミシャグパーシィは、豊年を喜ぶ古謡を歌いながら神酒の入った角皿(ツノザラ)をゆっくり左右に揺らして、飲みます。 ミシャグパーシィは、稲作以前の粟作時代からの古い歴史ある祭儀とされています。
現在のミシャグはアルコール発酵していない、ドロドロしたあまり甘みの無い甘酒みたいな飲み物です。 ミシャグは観客席にも振る舞われます。私も、神酒ということでありがたく頂きました。
 
「太鼓の手奉納」です。女の子が鉦を鳴らし、鉦に合わせて男の子が太鼓を打ちます。 先頭の男の子も上手に法螺を吹きます。
 
ここから奉納舞踊となります。
 
婦人会の皆さんによる巻き踊りです。
 
やえやま幼稚園児による「かりゆし太鼓」です。
 
登野城小学校生徒による旗頭奉納です。
はんじょう節?を奉納。
 
八重山高校生徒による奉納舞踊。 曲名は…記録を忘れました。
ンーマヌシャ(馬乗者)です。
石垣第二中学校生徒による「繫昌節」 
優良生産農家の表彰が行われました。 この後、字会長の挨拶と、来賓として石垣市長の挨拶がありました。乾杯の後、舞台芸能の奉納が始まります。
 
まずは、石垣市無形文化財の「大胴小胴(ウードゥクードゥ)と太鼓の段の物」です。 本土の影響を強く受けた演目のようです。
 
 
「鷲ぬ鳥節」です。
 
「鶴亀節」です。
 
石垣第二中学校生徒による「安里屋節」
 
うりずんの唄?
民謡愛好会による「祝い節」。
登野城ユンタ保存会による「今日が日ジラバ」。 これは「子どもエイサー」です。
 
ユンタ?
舞踊道場の子供たちによる「鳩間節」です。
 
青年会女子による唄と踊りによる「登野城村の特産品」の紹介です。 お米です。一般に年に2回作られています。
これは、パインとマンゴー。 これは、スッツァ(沖縄ではウージ=サトウキビ)です。
手にしている野菜はゴーヤとナーベーラー(ヘチマ)です。 石垣牛も良く知られるようになりました。
 
川原山節? 地方の皆さんです。
 
次は棒術奉納です。まず塩を撒いて境内を清めます。
 
これは棒同士の戦い。 次は鎌と棒の戦い。
 
 
フィナーレは獅子舞奉納です。登野城では一番最後に獅子舞が行われます。 登野城の獅子使いは4人で、棒術のような踊りを披露します。
雄・雌、2頭による獅子舞です。 御嶽の前庭をフルに使って演じられます。
獅子は結構迫力のある大きさです。
顔の拡大 じゃれあっています。
 
獅子がくす玉を割って、中からは「祝豊年」の横文字が。 獅子を捕えて元の場所に戻します。
残る一匹も同様に捕え、戻します。 これは演奏者の皆さん。
 
最後に万歳三唱が行なわれ閉会しました。時刻は18時前です。
この後、大川地区のオンプールを見学するために、大石垣御嶽へ移動しました。

 
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