舞台の芸能 2019 (2日目)その2  作成 2020.07.25

ここからは2019年7月21日に開催された竹富島の種子取祭の「舞台の芸能」の様子を紹介します。
2日目は仲筋村の演芸となりますが、一度に全ての演目を紹介することができませんので、いくつかに分けて紹介します。

ここは、その2です。なお、説明書きは主にこれまでのものを流用しています。

10.竹富節(8人踊り)

「竹富節(たきどぅんぶし)」は、スディナ・カカン衣装の4人と若衆姿の4人の計8人で踊ります。スディナ・カカン衣装は八重山地方の正装です。

とても美しい衣装での踊りです。    
この踊りは種子取祭の舞台で踊る為に創られたそうです。
   
 
 
     

11.崎山節

琉球王府は農地開拓政策のため西表島の南西部に位置する崎山村に波照間島や黒島などから住民を強制的に移住させて開墾に当らせました。
親兄弟や恋人とも別れさせられた人たちの悲痛な叫び、望郷の嘆きが切々と歌われています。

 
 
      
 

12.鳩間節

鳩間島は、八重山西表の北方にある周囲4kmの小島です。歌は、鳩間島の結願祭の時に稲や粟の稔りを神に感謝して踊られるものです。
元は鳩間島のゆんた(労働歌)のようですが、人頭税時代の八重山に生まれ生きた庶民の歴史が刻まれている歌とも言えます。小気味よいテンポの唄三線に太鼓、惹き込まれるような力強い踊りの「鳩間節」は、人気の高い琉球舞踊のひとつです。

      
   

13.揚古見ぬ浦

「揚古見ぬ浦(アギクンヌウラ)節」は、西表島・古見村の歌です。
「揚古見ぬ浦節」は八重山古典民謡の中でも、一揚調の曲では代表的なものです。

 
   
   
 

14.かたみ節

かたみ節は、結婚式などのお祝いの席や、座開きで歌われることが多い祝儀歌です。
囃子詞に「かたみくいら」とありますが、これは「形見呉いら」という文字を当て、「形見を渡す=死ぬまで共に過ごす」という意味だそうで、つまり「かたみ」とは、 「男女の契りまた、契りとして取りかわすもので、この歌は「夫婦の契りを千歳までも固めましょう」という意味が込められたもののようです。
「かたみ節」の生まれた土地は、石垣島の北部の平久保村と伊原間村との間にあった、「久志間」(くしま)という村で、現在は廃村となっています。現在はそのあたりを久宇良浜と言います。(サンセットビーチの南側あたりです。)

 
 
      
 

15.仲良田節

仲良田は西表島の仲良川流域の広がる肥沃な穀田です。稲の豊穰にわく島人の喜びと感謝の気持ちを「仲良田節」と「彌勒節」の二曲にこめて構成し、採り物の稲穂を捧げつつ、彌勒世果報と神の世を称えた女踊りとして振り付けられています。
仲良田や、近くの離島で豊かに稔った稲や粟の豊作を喜び、「年貢の余りは泡盛や御神酒(うみしゃぐん)を作って神前にお供えしましょう。御神酒は美童に作らせましょう。」と歌っています。

とても美しい衣装(琉装)で踊られます。
 
        
   
       

16.畑屋ぬ願い

「 畑屋 ( はるや ) ぬ願い 」の内容は、主 ( ヌー ) とアヤーの夫婦が、畑小屋で種子取の願いをしているときに、猿引きに出会って猿の芸能を観ますが、終わった後、妻のアヤーが、主の隙を見て逃げ、これを主が探すといったものだそうです。
舞台の中心は、この猿で、猿の芸能を楽しむ物語です。
猿を演じた子供の動きがコミカルで実に素晴らしく、また多く観客の笑いを誘います。腹の底から笑え、面白かったです。

夫婦で種子取の願いをしているところです。 猿引きに出会い猿の芸能を観ます。
毎回のことですが小学生の演技が実に素晴らしいです。 何とも言えないひょうきんな仕草で観客を沸かせます。
この後、猿は公民館役員の方々に挨拶をします。
その後、暫くの間は猿の演技が続きます。
    顔の横での寸止めも上手に行います。 
 
お猿さん役はかなりの練習を積み重ねられたものと思われます。  
舞台には沢山の御捻りが投げ入れられました。   この後、アヤーがいなくなり、主は探しながら退場します。
 

17.うりずんぬ詩

「うりずん」とは、八重山で「旧暦2、3月、麦の穂の出る頃」を言います。
この歌は、八重山の唄者仲宗根長一氏が、今から40年ほど前に作った新歌謡で、舞踊や民謡で広く愛されています。

 
 
 
      
 

18.仲筋ぬヌベー

琉球王府の時代、八重山の離島や石垣島の遠島地にある村番所には役人が派遣されていました。ある時、竹富島の役人が、上納布の原料である苧麻とパナリ焼きの水甕を得るために、産地である新城島(パナリ)の役人から条件として要求された「賄い女」(現地妻)の派遣を受け入れました。白羽の矢がたったのが竹富島の仲筋のヌベマでした。・・・
この唄は単身で赴任する役人の世話をする「賄い女」をテーマとした唄ですが、竹富島から新城島(パナリ)へ一人娘を送り出した親の自責の念と娘への憐憫の情が、ひきしまった悲しい歌です。
この時に入手したという水甕は今も仲筋集落内に残されています。

 
      

19.父子忠臣

組踊 「父子忠臣 ( ふしちゅうしん )」は、主君を殺された際、幼い若君を連れ生き延びた忠臣と、隠居していたその父親が力を合わせ仇討ちを果たす物語です。ストーリーは次の通りです。
『知勇兼備で知られる糸数の按司は、妻の誕生祝いの席で、束辺名の按司に闇討ちにされてしまう。糸数の按司の臣下山城の比屋は、遺された若按司をかくまって落ち延びていたが、束辺名の按司が恩納山にいのしし狩りに出ると聞きつけ、仇を討つべく若按司とともに山に登る。同じ時、山城の父で、隠居していた兼元大主も、かつての主君糸数の按司の仇討にと恩納山に登った。山中で再会を果たした父子は、そこで共に待ち伏せ、束辺名一行がやってきたところを首尾良く迎え撃つのだった。』

束辺名の按司です。
束辺名の按司の臣下たちです
糸数の按司の妻も戦いますが、討たれます。
糸数の按司も切られてしまいます。 糸数の按司の一人息子である若按司を背負って戦う山城の比屋です。彼は逃げて生き延びます。
 
兼元大主です。 これは「間の者」として登場する糸数の按司の馬の草刈り係。
兼元大主と山城の比屋の戦い。その後、兼元大主と山城の比屋はお互いが親子だと気付きます。   束辺名の按司の登場です。
 
兼元大主らにより束辺名の按司の臣下たちは次々と成敗されます。  
 
    最後は、束辺名の按司との戦いです。
 
     
束辺名の按司は切られてもなかなか死なず、何度も立ち上がっては切られ観客を笑わせます。    
 
束辺名の按司は何度も切られますが、ついに最期を迎えます。   仇討ちを終え引き上げます。
 
 

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