舞台の芸能 2019 (2日目)その1  作成 2020.07.19

ここからは2019年10月21日に開催された竹富島の種子取祭の「舞台の芸能」の様子を紹介します。
仲筋村の演芸となりますが、一度に全ての演目を紹介することができませんので、いくつかに分けて紹介します。
ここは、その1です。なお、説明書きについては、これまでのものを流用しております。

公民館長挨拶

まずは、主催者である竹富公民館長がヤイマグチ(方言)で開会の挨拶を行います。

1.仲筋ホンジャー

仲筋ホンジャーは、「仲筋村の父」と解釈することができます。「村の父」 というと、政治的な実力者、村の指導者、支配者というイメージがありますが、ホンジャーの場合はそうではなく、あくまでも、ホンジャーは芸能の統括者・責任者であり、芸能の神様として君臨するものです。
仲筋村のホンジャーは生盛家の当主が代々その役を務め、それぞれの床の間には、ホンジャーを神として祀っています。 初めて種子取祭の芸能に出演する人は、ホンジャーの神前で「新入り」 の儀式を行います。

ホンジャー(生盛家当主)が種子取を寿ぎます。 手には稲、粟、芋を携えています。
舞台と観客の様子です。
島々国々を廻って穀物の種子を船に満載してきたこと、年は121歳と唱えます。豊作の祈願をした後、役人に、芸能を演じる許可を願い出て、子や孫達が元気よく芸能を披露することを宣言するものだそうです。   
 

2.ミルク(弥勒神)

竹富島の弥勒神は、仲道家の先祖が弥勒神の仮面を海岸で拾って拝み始め、後に与那国家に譲ったと言われています。現在でも、種子取祭に面をかぶって弥勒神として登場できるのは、与那国家の当主だけです。
種子取祭の弥勒神は、弥勒節(みるくぶし)の歌に促されて、シーザ(先輩=二才)や大勢の供、子供たちとともに登場します。弥勒への捧げ物を持った供、およびシーザは、弥勒神の周りを廻り、その後、シーザ4人による 「シーザ踊り」 が奉納され、 「ヤーラヨー節」 で退場します。


ミルクの登場です。
ミルクは大勢の子どもたちと共に登場します。ミルクは与那国家の当主が務められています。
    この後、シーザ4人によるシーザ踊り(シーザブドゥイ)が奉納されます。
 
     
 

3.シドゥリャニ

「シドゥリャニ 」 は、千鳥の群れという意味で、「浜辺で千鳥が群れるように、我々人間も集まろう」と村人が種子取祭に集まることを表現しています。
この狂言は、仲筋地区の最年長の老人4人が演じ、子や孫が種子取のお祝いで張り切っているので、我々も世持御嶽に出掛けて神様に 「シドゥリャニ踊り」 を奉納し、豊作の願いをしようというものです。

仲筋村の現在の最年長者4人という設定になっています。
まずは歌い踊ります。
次にお神酒をいただきます。
     
  
 

4.かぎやで風

かぎやで風 (かじゃでぃ ふう)」は祝宴の座開きとして踊られる祝儀舞踊です。
なお前日(玻座間地区)の舞踊のトップは 「 赤馬節 」 でした。
王朝時代には、長寿を寿ぎ国家安泰を願い、子孫繁栄を込めた老人踊りとして国王の前で演じられたそうです。日本の脇能、「高砂」の影響を受けています。
この舞踊の歌意は、「今日の喜びを何とたたえる事ができましょう。まるで蕾の花が朝露を受けて、ぱっと咲き開いた様な心持ちです」というものです。

とても煌びやかな衣装での美しい踊りです。
  
     
 

5.揚作田節

揚作田節(あぎつぃくてんぶし)」は、長寿と子孫繁栄の願いを込め、金銀の扇を持って勇壮活発に踊ります。

 
 
 

6.天人(アマンチ)狂言

天人(アマンチ)というのは、琉球王朝の神話に登場し、沖縄本島および周辺の島々を造った国造りの神、稲作を始めた神として崇められているそうです。
内容は、作物の種子を村人に与えようとやって来た天人と、種子取の願いをしようと出掛けた若者達を引き連れた長老が偶然出会い、老人が天人から作物の種子を拝領し、作り方を教わり、天人が立ち去った後、豊作業のマミドーを踊るというものです。
この狂言には首里言葉が使われ、竹富島で生まれたものではないとされています。

作物の種子を村人に与えようとやって来た天人です。  この後、老人は天人から作物の種子を拝領し、作り方を教わります。
 
 
マミドーを踊ります。
 
 

7.たのりゃー

「たのりゃー」は、粟の種子蒔きの様子を舞踊化したものだそうです。「たのりゃー」の曲は「タラクジ節」と「大原越地節」の二曲構成です。 格調高く、優美な踊りです。

実に優美な舞踊です。 宮廷舞踊の影響を強く受けているとされる舞踊です。
 
 
 

8.種子蒔狂言 ( タニマイキョンギン )

種子蒔狂言は、粟の種子蒔を舞台の上で再現したもので、蒔いた種子が豊かに稔ることを期待して、予祝いするものです。
世持(村の責任者)が登場し、「種子取の今日、種子蒔きをする」と延べ、若者4人と連れ立って畑へ行きます。世持は種子を蒔いた後、種子蒔きの祝詞を唱え、最後は迎えの太鼓に合わせて「しきた盆」を歌いながら退場します。
これは玻座間で演じられる「世持」と多少言葉の違いがありますが、ほぼ同じ内容のものです。2つの部落で演じられることから、とても重要な狂言であることと、昔は種子取祭が別々に行われていたことを示すものです。

若者4人と連れ立って畑へ行きます。
種子蒔きをします。 少女がとても上手に口上を述べます。
少女の打つ太鼓と掛け声がとても可愛らしいです。 太鼓に合わせて「しきた盆」を歌いながら退場します。

9.蔵ぬ花節

舞踊「蔵のぱな節」の出羽では[蔵の花節]が、入羽では[前の渡節]が歌われます。

とても優雅な舞です。
     
     
     
 
  
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