庭の芸能 2019 (初日)  作成 2020.03.14

 午前9時15分頃、神司を含めた参詣の集団が種子取祭の催事場である世持御嶽に戻ってくると、前の広場ではンカイ(迎え)が行われ、そこで「巻き歌」が謡われます。
 続いて、庭の芸能が繰り広げられます。庭の芸能は、ゾーラッキ(行列)と称されているように、数十名の人々が隊列を組んで演じるものです。これは1時間半程度演じられ、その後、特設舞台の芸能に引き継がれます。
 なお庭の芸能は、翌日(2日目)も同演目で演じられます。
 (種子取祭は、玻座間村と仲筋村の人々が、竹富島の基本精神である「うつぐみ(協力一致)の心」で演じるものとなっています。)

庭の芸能の様子 (種子取祭 7日目 : 2019年10月20日)

初日(10月20日)は時折り小雨の降る天気であったため、屋外に出ることはせず「庭の芸能」は特設舞台(テント)内から鑑賞・撮影をしました。このため一部の演目等については撮影を行っていません。また撮影位置の関係から全体像の把握ができにくくなっていますが、その点は悪しからず。
庭の芸能は毎年同様に行われますので、詳細については以前のものを参考にして下さい。
 
 
ンカイ(迎え)

玻座間村東集落主事宅へ参詣した神司などの集団が、種子取祭の催事場である世持御嶽に入場するのを参加者一同で出迎えます。

世持御嶽へ戻ると.鳥居前の広場に移動し、皆で「巻き歌」を謡います。その後、皆で「ガーリ」を舞います。「ガーリ」は沖縄本島でいう「カチャーシー」に近い踊りで、「イーヤ、イーヤ」と掛け声をかけます。写真は「ガーリ」の様子です。
 
     
     

【ここより庭の芸能(初日)】  

1.棒
 棒は種子取祭を開催するにあたっての清め、お祓い(悪霊を追い払い大地を清めることを目的としている)と言われています。ホラ貝、銅鑼、太鼓の音に合わせ、最初は1・3・5番棒が演じ、次に2・4番棒が演じます。次に全員で演じます。その後、各個別に順に1番棒から5番棒まで演じます。
 1番棒は、三尺棒での棒合わせ                    2番棒は、刀と槍との戦い
 3番棒は、刀と槍との戦い                        4番棒は、鎌と薙刀の戦い
 5番棒は、刀と薙刀との戦い

ホラ貝、銅鑼、太鼓でタイミングを合わせます。 最初に「庭の芸能」を演じる主要メンバー(男性)が入場します。写真は太鼓の演奏者の入場です。
 
続いて棒の演者が入場し、初めに1・3・5番棒が演じます。その後2・4番棒が演じます。その後全員で演じた後、1組ずつ演じ、まずは1番棒です。 これは2番棒です。
3番棒です。以下4番・5番と演じられました。    
 
 
 
2.太鼓
最後尾の若衆姿の鉦鼓打ちのリズムに合わせ、小太鼓を左手で持ち、右手のバチで叩くものです。
頭には鉢巻を締め、袴に下駄を履く姿は、薩摩藩士に倣ったものと考えられます。

竹富小中学校の生徒と教職員による演舞です。
 
 
 
3.マミドー
マミドーとは、マー(真)・ミードー(女)の意味で、「りっぱな女」「女の中の女」「働き者の女」という意味だそうです。真栄里家の働き者の女性をモデルにして振り付けがなされているそうです。

畑を耕す様子が表されています。
   

  
4.ジッチュ
今から300年前とも400年前とも言われる昔、貧しい百姓がいました。この百姓には10人の子どもがいましたが人頭税の重い税の中で子ども達を立派に育てながら毎年、きちんと年貢を納めていました。この百姓の模範的な行いは琉球国王の耳に入り、表彰されるむことになりました。しかし夫婦と10人の子どもは、貧しさゆえに着物の袖を片袖で間に合わせたそうです。
この国王に拝謁した時の喜びの踊りが、ジッチュです。ジッチュとは10人という意味で、この踊りは片袖を抜いて踊られます。

【写真無し】

 
5.マサカイ(真栄節・南風作田ユンタ)
真栄(マサカイ)は1701年に大山家で生れ19歳で分家して小山家の租となりました。 人頭税時代は、移住や転居は自由ではなく、人口が増えすぎすると「ミチバギ(道分け)」と言い、強制的に移住させられることがありました。 荒れ地を開墾する新天地での生活は、大変な苦労で喜んで移住を希望する人はいませんでした。 しかしマサカイは自ら進んで西表島・仲間村の開拓のために移住しました。 その真栄の開拓精神が歌になったのが「真栄節」です。
【写真無し】

  
6.祝い種子取(道歌・安里屋ユンタ・クイチャー)
竹富島の代表的な民謡の「世乞いの道歌」「安里屋ユンタ」「クイチャー」の3曲構成で踊られます。
この「祝い種子取」は、今は竹富島を離れた石垣竹富郷友会の婦人部による奉納芸能となっています。

     

 
7.腕棒
仲筋集落の女性によって演じられる演目です。
「ウディボー(腕棒)」 は、もとは玻座間地区の男子の演技でしたが、人気が無く、いつしか演じられなくなったそうです。
しかし、玻座間地区出身で仲筋地区に住んでいた仲里長正という方が、これを女性に演じさせたところ人気があったので、それ以後、ウディボーは、玻座間地区から貰い受けた仲筋地区の女性の演目となったそうです。
腕棒は空手を取り入れた女性どうしの戦いの演技ですが、彼女たちは結構本気でやっていて、時には倒される人もいるほどで、笑いと喝采が湧き起る演目です。 腰落としなど男性の踊りの基本姿勢を含み,女性の護身術のような踊りとされています。

結構勇ましいもので、本気に思いっきり力を入れ勝負している組もあります。 中には力負けして、たまに転倒される方もおられます。

 
8.ンーマヌシャ(馬乗者)
種子取祭では人気の高い踊りで、頭にマンサージ(紫頭巾)、足に脚絆と草履、腹に馬型を括りつけ隊列を組んで踊ります。
沖縄本島には、「馬舞者」と言う、ひょうきんな台詞をやり取りする狂言仕立ての舞台劇があるそうですが、竹富島の 「ンーマヌシャ(馬乗者)」 は、道ジュネーという隊列を作って道を練り歩くもので、いつ誰がどのようにして竹富島に伝えたのかは分からないそうです。 しかし恐らくその昔、琉球王国時代の諸国を巡りながら芸能を披露していた人たちが行っていた踊りの伝承かと思われます。
この演目で「庭の芸能」が終わります。

馬に乗った時の様子がよく表現されています。
   

この後、特設の舞台に会場を移し、「舞台の芸能」が行なわれます。
 


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