舞台の芸能2018(初日)その2  作成 2018.12.22

ここからは2018年10月25日に開催された竹富島の種子取祭の「舞台の芸能」の様子を紹介します。
玻座間村の演芸となりますが、一度に全ての演目を紹介することができませんので、いくつかに分けて紹介します。

ここは、その2です。
なお、以下の青字の演目は「ジィの狂言」です。

13.祝種子取節

4人での優雅な踊りです。
 
 
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14.世曳き狂言 (ユーヒキキョンギン)

この踊りの特徴は那覇の首里言葉を使って演じられるところです。琉球王朝から位を授かった竹富島の豪農「大山家」の御主前(ウシュマイ)が登場し、与人(ユンチュ)と呼ばれる役人と子どもや孫を引き連れて神様に豊作の報告をします。ウシュマイは2人の若者にお供え物を荷車で持ってくるようにと指示を出します。若者たちはゆっくり踊りながら曳きだした荷車を神前に供えます。
 
 
 
子どもたちはとても上手に演じていました。 9月頃から毎日2時間稽古を重ねたそうです。 この女の子が玻座間村の舞台芸能で今年最年少(5歳)で、お父さんと一緒の出演です。2本の棒をすり合わせて音を鳴らす踊りで豊作を祝います。
 

15.鶴亀節

川平で生まれた島唄で、結願祭のときにこの「鶴亀節」が歌い踊られます。「川平鶴亀節」とも呼ばれています。農業に立脚した川平の人々の、豊作を祈願し感謝する信仰心と来訪神を信じる信仰が基になって生まれた唄です。
 
 
  
 
 

16.貫花(ぬちばな)

琉球舞踊の中で、比較的最近の創作で庶民の生活を題材にしたものが雑踊り(ぞうおどり)と呼ばれますが、その代表的な踊りが「貫花です。女性が首にレイのような飾りをつけていますが、これが貫花です。糸が花を貫いています。レイとの違いは、レイのように輪になっていないところです。貫花は、愛する我が子に積んできた花を渡す物語です。
 
沖縄郷友会の方々による踊りです。
 
 

17.胡蝶の舞

野山に春の花々が咲き乱れるうりずんの日、雄雌ペアーのハビル(蝶)が蜜を求めて楽しく群れ遊ぶ様子を表現した踊りです。カチャーシーの技を駆使して、明るく楽しく表現しています。
頭に被った花の回りで戯れるハビルのしぐさが、なんとも優雅な踊りです。
「胡蝶の舞」は、一般にはヌーバレー(旧盆明けの祭り)で沖縄本島南部・知念知名地区だけで行なわれる踊りとして有名ですが、この踊りはそれとは異なります。
 
     
 
 

18.桃里節

桃里村は、石垣島の北東部、市街地から18kmほど離れた所にあった村です。土地が肥沃であった為、蔵元政庁は、享保17(1732)年に880人で村を創建しました。しかし、明和の大津波(1771年)で、200人以上が溺死し、また、過酷な人頭税とマラリアの為に人が減っていき、大正3(1914)年についに183年の歴史で廃村になってしまいました。
この「桃里節」は、悲惨な歴史を辿った桃里村ですが、一時的にでも繁栄していた時期があり、その時に歌われた歌です。歌の中の「空岳:カラ岳」は、桃里村の西南方向にある山です。樹木が一本も生えない禿山である為にその名がつけられました。そこに登ると村の田畑が一望でき、収穫時期には黄金色の稲穂がゆれて、素晴らしい眺めだったに違いありません。
廃村となった1914年から39年後の昭和28(1953)年に琉球政府が沖縄本島の大宜味村から135名の開拓移民を募り、大里村と改名し桃里村は復活しています。
この歌を歌うときは、島人たちは「桃里村の繁栄」を自分たちの住んでいる村の繁栄に置き換えて、それがいつまでも続きますようにとの願いを込めて歌ってきたのだと思われます。

 
     

19.竹富育ち

故内盛唯夫氏の作詞作曲された歌だそうです。「真っ赤なデイゴの花咲く島によ 若き乙女も花も咲く」と歌われています。
竹富島の生活の様子が演じられています。

 
 

20.伏山敵討狂言 ( フシヤマティチウチキョンギン)

名君の誉れ高い主君・棚原按司を、天願の按司に滅ぼされた富盛大主は、主君の奥方と息子二人(若按司)を連れて落ちのびます。 天願の按司が本部山へ狩りに出るという噂をききつけた富盛大主と棚原の若按司は、先回りして山に潜み、天願按司一行を待ち伏せ、敵討ちの機会を狙います。 一方で天願按司は富盛大主の敵討ちをしようとしている情報を狩人から得て、狩人の案内で富盛大主の隠れ家を襲うことにします。 しかし、富盛大主と棚原の若按司は、天願按司と臣下を見事に討ち取り、敵討ちを果たします。

この伏山敵討狂言は、寄り足(ゆいあし)と呼ばれる特殊な足使いに加え、華麗な踊り、按司方と大主らとの大立ち回り・殺陣など、見どころ満載です。 観客を巻き込んだ滑稽な演技に拍手や歓声がわき起こります。

棚原按司です。 棚原の若按司です。
こちらは天願の按司。敵討ちの相手となります。 天願按司とその臣下たちです。
天願按司たちは狩人からの情報を入手します。
観客にも結構本気で迫ります。 富盛大主と、天願按司の臣下との闘いです。
迫真の演技に観客から大きな歓声と拍手が送られます。 _ 棚原の若按司と天願按司の臣下との闘いです。
富盛大主と、天願按司の臣下との闘いが続きます。
天願按司の登場です。
敵討ちが始まります。
天願按司は切られても切られても立ち上がります。 最後の殺陣です。
天願按司と臣下を見事に討ち取りました。   敵討ちを果たし引きあげます。
 

21.白瀬走川

久米島で最大の河川が「白瀬川」です。「走川」とは「流れの早い川」という意味です。「しらしはいかー」ともいう。
昔はこの川の両岸にあったといわれる山桜の花びらが川面に落ちて流れる様子をみて、その花びらを糸で貫いて貫花を彼氏にかけてあげたいという女性の想いが唄になりました。
この曲は古典曲になる前から女性が神事で歌っていたものといわれています。
 
 

22.赤またー節

「赤また―節」は、「赤また」という遠来神を迎え喜びにわく村人と役人の関わりを歌ったものといわれています。
赤またー節は小浜島の豊年祭の謡を節唄に改作されたもので、1751年頃、小浜節を作詞作曲した宮良永祝が作ったとされています。
 
     
 

23.竹富口説

西支会の竹富口説です。リズミカルな踊りです。
口説とは、大和言葉の七五調を基本とし、同一のメロディを繰り返しながら景色や物語りを語るような内容のものです。 浄瑠璃の口説などのような口説歌は、室町から江戸初期にかけて念仏踊り系の伊勢踊りとして踊られ、物語り風の内容を歌って全国に流行しましたが、沖縄の口説もこれらの流れをくむものであると言われています。

   

24.しきた盆

「しきた盆」は、竹富島を石垣島の前に置かれたお盆のような島と謡い、続いて八重山を統治した西塘、マーラン船の誕生を謡い、最後にうつぐみの心を謡います。 つまり、叙頚歌、史歌、教訓歌の三部構成となっています。

沖縄の伝統的衣装である紅型(びんがた)をまとった女性2人で優雅に舞う踊りです。
舞台後方は公民館関係者・来賓・招待客・種子取祭関係者などの観覧席です。
    こちらは舞台後方からの一般観覧席の様子です。
 


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