舞台の芸能2018(初日)その1  作成 2018.12.15

ここからは2018年10月25日に開催された竹富島の種子取祭の「舞台の芸能」の様子を紹介します。
初日は玻座間村の演芸となりますが、一度に全ての演目を紹介することができませんので、いくつかに分けて紹介します。
ここは、その1です。

なお、以下の青字の演目は「ジィの狂言」です。

 
舞台の芸能が始まる前に、まずはヤイマムニ(八重山方言)で上勢頭公民館長から挨拶が行われます。

1.玻座間 長者(ホンジャー)

玻座間ホンジャーは、「玻座間村の父」と解釈することができます。「村の父」 というと、政治的な実力者、村の指導者、支配者というイメージがありますが、ホンジャーの場合はそうではなく、あくまでも、ホンジャーは芸能の統括者・責任者であり、芸能の神様として君臨するものです。
玻座間村のホンジャーは国吉家の当主が代々その役を務め、床の間にはホンジャーを神として祀っています。 初めて種子取祭の芸能に出演する人は、ホンジャーの神前で「新入り」 の儀式を行います。


ホンジャー(国吉家当主)が種子取を寿ぎます。 手にしている穀物は米・粟・芋・麦です。
ホンジャーは芸能の神です。 豊作祈願の後、以降行われる芸能の許可を乞い、その披露を宣言します。

2.ミルク(弥勒神)

竹富島の弥勒神は、仲道家の先祖が弥勒神の仮面を海岸で拾って拝み始め、後に与那国家に譲ったと言われています。現在でも、種子取祭に面をかぶって弥勒神として登場できるのは、与那国家の当主だけです。
種子取祭の弥勒神は、弥勒節(みるくぶし)の歌に促されて、シーザ(先輩=二才)や大勢の供、子供たちとともに登場します。弥勒への捧げ物を持った供、およびシーザは、弥勒神の周りを廻り、その後、シーザ4人による 「シーザ踊り」 が奉納され、 「ヤーラヨー節」 で退場します。


弥勒は与那国家の当主が(務められています。 弥勒神は大勢の子どもたちと共に登場します。
このミルク様を拝むと次の観光地へと足早に移動される観光客もいらっしやいます。
シーザ4人による 「シーザ踊り」 の奉納です。

3.スー踊(スーブドゥイ)

神司(カンツカサ)スー踊(ブドゥイ)とも呼ばれるもので、一時、伝承が途絶えていたものの、上勢頭亨氏により,昭和52年頃復活されたと言われています。
神司6人が揃っての踊りで、奉納芸能の前に座を清めるために踊られます。


 
     
頭に木の葉をつけられます。 

4.鍛冶工(カザグ)狂言

琉球王朝時代、沖縄には鉄の原料がなかったため、鉄器の製作はヤマトよりも10世紀近く遅れたと言われています。鉄製の農具を作るには、ヤマトから鉄の塊を輸入して製作するしか方法がありませんでした。鍛冶工狂言は、その製作の模様を描いたものだそうです。
狂言のあらすじは、鍛冶工主(かざくしゅ)が家来と鍛冶にでかけ、でき上がったものを家来の1人が素手で触って熱いと騒ぎ立てます。「耳をつかんだらいい」と言われ他人の耳をつかみ2人の間で一波乱。その後、もう1人が仲介し、鍛冶祝いの用意ができている家へ帰ります。


 
4人でコミカルに演じられます。   
出来具合を確認します。
     
 

5.赤馬節

舞踊のトップとして、「赤馬節」が演じられました。八重山を代表する民謡で、祝いの席、座開きの歌舞として親しまれています。(難曲です。)
この唄は別名「いらさにしゃー」とも言われています。「いらさにしゃー」とは方言で「あー、うれしい」という意味で、心から嬉しさが込み上げてきて、地に足が着かず、宙に体が浮いて飛び上がりそうな位の心境を表現する島言葉です。


実に優雅な踊りです。 衣装も大変美しいものがあります。
「赤馬節」は、宮良村の役人、大城師番が18世紀初めに作詞作曲したものだと言われています。
  子供たちがよく練習してきたのが分かる踊りです。
 

6.八重山上り口説

八重山で「クドゥキ」と発音する「口説」は、18世紀頃に本土から入ってきた音楽の形式で、七五調の長編の物語歌のことです。
八重山で「上り口説(ヌブイクドゥキ)」といえば八重山から那覇への旅路を、 「下り口説(クダイクドゥキ)」は沖縄から八重山への旅程を詠ったものです。

 
     

7.組頭(フンガシャ)狂言

組(フン)とは村の中の小さな組織で、組頭とはそこの長のことです。組頭がでてきて「鍛冶をして農具が揃ったのでみんなで畑の開墾しよう」と言いますが、これは鍛冶工の流れを受け継いでいるものと思われます。組頭が自分の家来と若者4人を畑に連れていき、歌い踊りながら農作業をします。その後若者たちは自分が誰よりも一番働いたと自慢しあいます。以前は台詞はアドリブでやっていたそうですが、現在は固定化されつつあるとのことです。

 
     

8.簓銭太鼓ササラジンダイク

西集落の女性たちによる舞踊で、衣装が何ともきらびやかです。
簓とは竹の先を細かく割って束ねたもので、擦り合わせて音を出す楽器で、この踊りでは二つの竹を擦り合わせるようにして音を出します。8人の踊り手で、銭太鼓、簓、銭引き(ジンビキ)、銭棒(ジンポー)という外来の民俗楽器を竹富流に使用する珍しい踊りです。メロディーは「古見の浦節」「橋ゆば節」の二曲構成です。

8人による踊りです。
 
 衣装も美しい優雅な踊りです。
 

9.まるまぶんさん節

まるまぶんさん(丸間盆山)は、西表島の祖納集落の西にある丸い小さな島です。
島の周りを群れ飛ぶ白鷺や海鵜の姿と、盆山を眺めながら船で行き来する人々の様子が歌われたもので、踊りは白鷺や海鵜のような白い衣装を身にまとい鳥のように手を羽ばたかせる踊りでする。

 
     

10.元たらくじ

「たらくじ」とは「太郎叔父」さんという意味です。但し、この歌の主人公は姪のカマドマです。
タラクジの軽率な行動が、姪のカマドマを取り返しのつかない不幸のドン底に落としてしまったという悲しい物語です。この踊りはカンブーを結わずタリンガン(垂れ髪)で踊ることから、誤解であるもののカマドマの罪は許されなかったようです。

傘と衣装の美しさが際立ちます。
  
     

11.世持(ユームチ)狂言

仲筋でも伝承されている重要なもので、かつては種子取祭が玻座間と仲筋で別々に行われていたことを示すものです。世持とは「村の長」のことで、世持が畑を耕していたら恵の雨が降り、村の若者を呼び出して「自分の畑に種子を蒔いた後、みんなの畑にも蒔こう」と言います。蒔き終わったらみんなで歌いながら家路に着きます。

 
     

12.高那節

「高那節」は、別名「ザンザブロウ」とも呼ばれています。
竹富島の高那村に伝わる民謡で、歌意をとるのが難しい民謡とされています。冬に村人達が漁のために遠出し、その中で帰って来なかった子がいて心配していると、ざんざ(漁場)にいるという知らせが入り、村人は大喜びし、お祝いだ、料理をつくろう、味見をしよう、今日は誇らしい日だというような意味のようです。
一方で、新城島のジュゴン取り達が西表の高那村へ行って漁をした歌という説もあるようで、「ザンザブロウ」は、正しくは「ザンザブル」と言いザン(ジュゴン)のザブル(頭)とか。ジュゴンの皮を首里に献上するのに、新城の漁師達が西表の漁場で漁をし、獲物を捕った喜びの歌という説もあります。
この他にも、ヤマト人の山三郎(ざんざぶろう)が遭難して西表の高那村に住み着き、土地の娘と結婚し、二人の間に生まれた娘が、嵐が来るから辞めろと言うのに海へ行ってしまったが娘は無事に帰ってきます。嬉しくて感極まった父親の山三郎が即興で歌ったのがこの高那節という説もあるようです。

 
     
 
 
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