舞台の芸能 2015 (初日)その3  作成 2015.12.19

2015年11月10日に開催された竹富島の種子取祭の「舞台の芸能」の様子を紹介します。
初日は玻座間村の演芸となりますが、一度に全ての演目を紹介することができませんので、いくつかに分けて紹介します。
ここは、その3です。

25.元たらくじ

「たらくじ」とは「太郎叔父」さんという意味です。但し、この歌の主人公は姪のカマドマです。
タラクジの軽率な行動が、姪のカマドマを取り返しのつかない不幸のドン底に落としてしまったという悲しい物語です。この踊りはカンブーを結わずタリンガン(垂れ髪)で踊ることから、誤解であるもののカマドマの罪は許されなかったようです。
 
傘と衣装の美しさが際立ちます。
 
 

26.八重山下ル口説

八重山で「クドゥキ」と発音する「口説」は、18世紀頃に本土から入ってきた音楽の形式で、七五調の長編の物語歌のことです。
八重山で「上り口説(ヌブイクドゥキ)」といえば八重山から那覇(首里)への旅路を、 「下り口説(クダイクドゥキ)」は沖縄から八重山への旅程(道々の風景)を詠ったものです。
 
   

27.月夜浜節

この歌は、松茂姓七世、黒島当応(1723年〜1790年)が石垣島の平得村の与人(村長に当たる役人)を努めている時に、新本家の祖が歌っていた「月夜浜ユンタ」を改作し、 琉球国王のところへ行った際に、沖縄本島で歌われていた臼太鼓の古謡を研究し、それに自作の詩を加味して作ったものだと言われています。

この「月夜浜節」は、月夜の浜の様子を歌ったものではなく、綿花畑の綿花の開花が豊熟して、畑一面に真っ白くなっている状態が、あたかも月夜に海岸の白砂を見るようであるという意味で歌われた歌です。
歌の舞台で
歌詞の一番にある「岸ぬ浦」とは、石垣市登野城から伊原間方向へ約24km、金武岳の南方の肥沃な平野を示しています。別名、「南の浦(ハイノウラ)」です。

木綿は木綿布を作る綿のことで、人頭税時代には各部落ごとに一箇所で共同栽培していて、平得村は岸の浦で綿花栽培を行っていたようです。綿花の共同栽培は、婦女子に課せられた人頭税である「御用布」を織る原料となるため重要な仕事でした。
 
 
 

28.鳩間節

鳩間島は、八重山西表の北方にある周囲4kmの小島です。歌は、鳩間島の結願祭の時に稲や粟の稔りを神に感謝して踊られるものです。
元は鳩間島のゆんた(労働歌)のようですが、人頭税時代の八重山に生まれ生きた庶民の歴史が刻まれている歌とも言えます。小気味よいテンポの唄三線に太鼓、惹き込まれるような力強い踊りの「鳩間節」は、人気の高い琉球舞踊のひとつです。
 
 
 

29.ガイジンナー

ガイジンナーとは粟などの種子を入れる籠(農具)で、畑に種をまく時に使います。種子取祭の奉納芸能でもよく見かけるものです。この劇は、このガイジンナーの中に隠したお金を巡る喜劇で、金銭欲を戒めるものとして演じられています。

種子取祭のほとんどの劇が沖縄方言で演じられますが、この劇はほぼ標準語で演じられますので意味も分かりやすくなっています。

 
観光土産屋の旦那が、妻に内緒で設けたお金をガイジンナーに隠すところから始まります。 テーブルに5つ並んでいるのがガイジンナーです。
出演者は全て男性です。 新婚カップルがお金の入ったガイジンナーを買いますが、中に入っているものをゴミと思いチリ箱に捨てます。
高利貸しが残りのガイジンナーを全て買います。 屑屋がチリ箱の中のゴミを回収します。
旦那が戻り全てのガイジンナーが売られたいることに驚きます。 高利貸しが屑屋から高い値段でゴミを買い取ります。
しかしお金はどこにもありません。 実はそのお金は・・・。

30.胡蝶の舞

野山に春の花々が咲き乱れるうりずんの日、雄雌ペアーのハビル(蝶)が蜜を求めて楽しく群れ遊ぶ様子を表現した踊りです。カチャーシーの技を駆使して、明るく楽しく表現しています。

頭に被った花の回りで戯れるハビルのしぐさが、なんとも優雅な踊りです。
「胡蝶の舞」は、一般にはヌーバレー(旧盆明けの祭り)で沖縄本島南部・知念知名地区だけで行なわれる踊りとして有名ですが、この踊りはそれとは異なります。
 
 
 

31.かたみ節

かたみ節は、結婚式などのお祝いの席や、座開きで歌われることが多い祝儀歌です。

囃子詞に「かたみくいら」とありますが、これは「形見呉いら」という文字を当て、「形見を渡す=死ぬまで共に過ごす」という意味だそうで、つまり「かたみ」とは、 「男女の契りまた、契りとして取りかわすもので、この歌は「夫婦の契りを千歳までも固めましょう」という意味が込められたもののようです。

「かたみ節」の生まれた土地は、石垣島の北部の平久保村と伊原間村との間にあった、「久志間」(くしま)という村で、現在は廃村となっています。現在はそのあたりを久宇良浜と言います。(サンセットビーチの南側あたりです。)
 
 

32.いじゅぬ花

いじゅの花は沖縄の梅雨入りの頃に5cmくらいの白い花を咲かせる、ツバキ科の植物です。
花は、ほのかな甘い香りがします。
 
 

33.まるまぶんさん

まるまぶんさん(丸間盆山)は、西表島の祖納集落の西にある丸い小さな島です。
島の周りを群れ飛ぶ白鷺や海鵜の姿と、盆山を眺めながら船で行き来する人々の様子が歌われたもので、踊りは白鷺や海鵜のような白い衣装を身にまとい鳥のように手を羽ばたかせる踊りでする。
 
 

34.竹富口説

西支会の竹富口説です。リズミカルな踊りです。
口説とは、大和言葉の七五調を基本とし、同一のメロディを繰り返しながら景色や物語りを語るような内容のものです。 浄瑠璃の口説などのような口説歌は、室町から江戸初期にかけて念仏踊り系の伊勢踊りとして踊られ、物語り風の内容を歌って全国に流行しましたが、沖縄の口説もこれらの流れをくむものであると言われています。
 
 

35.曽我兄弟(曽我夜討

初日の最後に演じられたのは、鎌倉時代初期の仇討ちを語る「曽我夜討狂言」です。

鎌倉時代初期の仇討ちを語る 「 曽我物語:曽我兄弟、曽我夜討」は、1300年前後に成立した準軍記物語です。
庚寅の日(舞台の芸能初日)の最後に、歌舞伎の曾我兄弟が演じられます。
1903年に人頭税が廃止されると、それまでの士族による支配が終わり、島民たちは旧制度から解放されます。それまでは農耕の過程を表したものが多かった奉納芸能も、この頃から本土の狂言も盛んに種子取祭に取り入れられるようになったようです。

種子取祭で演じられる曾我兄弟のストーリーは次のようなものです。
幼い頃、由比ケで殺されかけた兄弟は、畠山重忠によって救われます。その恩返しは、父・河津三郎祐重の仇を討つことだと考えた兄弟は、工藤左衛門祐経の陣屋(仮屋御殿)へと急ぎます。途中、弟五郎時宗と親しい局(虎御前)に迎えられて工藤祐経の眠る仮屋御殿に案内されます。 兄弟は工藤左衛門祐経を叩き起して仇討ちをします。
仇討ち成就後、弟五郎時宗は「源頼朝公に会いに行く」と言い、兄弟は点水で別れの水杯を交わします。兄弟はそれぞれ、兄十郎が父の祐重に似ていること、弟五郎が母おまんに似ていることを称えあって退場します。
 
曽我兄弟です。 松明は本物の火が使われています。
「虎御前」の案内で仮屋御殿へ急ぎます。 父の仇、「工藤左衛門祐経」の登場です。
「工藤」は曽我兄弟に仇討ちにされ、切られてしまいます。
父の仇を討ち取り兄弟で喜び合います。
 
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