ここからは2014年11月15日に開催された竹富島の種子取祭の「舞台の芸能」の様子を紹介します。 初日は玻座間村の演芸となりますが、一度に全ての演目を紹介することができませんので、いくつかに分けて紹介します。 ここは、その1です。
1.玻座間ホンジャー
玻座間ホンジャーは、「玻座間村の父」と解釈することができます。「村の父」 というと、政治的な実力者、村の指導者、支配者というイメージがありますが、ホンジャーの場合はそうではなく、あくまでも、ホンジャーは芸能の統括者・責任者であり、芸能の神様として君臨するものです。 玻座間村のホンジャーは国吉家の当主が代々その役を務め、床の間にはホンジャーを神として祀っています。 初めて種子取祭の芸能に出演する人は、ホンジャーの神前で「新入り」 の儀式を行います。
2.ミルク(弥勒神)
竹富島の弥勒神は、仲道家の先祖が弥勒神の仮面を海岸で拾って拝み始め、後に与那国家に譲ったと言われています。現在でも、種子取祭に面をかぶって弥勒神として登場できるのは、与那国家の当主だけです。 種子取祭の弥勒神は、弥勒節(みるくぶし)の歌に促されて、シーザ(先輩=二才)や大勢の供、子供たちとともに登場します。弥勒への捧げ物を持った供、およびシーザは、弥勒神の周りを廻り、その後、シーザ4人による 「シーザ踊り」 が奉納され、 「ヤーラヨー節」 で退場します。
3.スー踊
神司(カンツカサ)スー踊(ブドゥイ)とも呼ばれるもので、一時、伝承が途絶えていたものの、上勢頭亨氏により,昭和52年頃復活されたと言われています。 神司が揃っての踊りで、奉納芸能の前に座を清めるために踊られます。
4.鍛冶工(カザグ)狂言
琉球王朝時代、沖縄には鉄の原料がなかったため、鉄器の製作はヤマトよりも10世紀近く遅れたと言われています。鉄製の農具を作るには、ヤマトから鉄の塊を輸入して製作するしか方法がありませんでした。鍛冶工狂言は、その製作の模様を描いたものだそうです。 狂言のあらすじは、鍛冶工主(かざくしゅ)が家来と鍛冶にでかけ、でき上がったものを家来の1人が素手で触って熱いと騒ぎ立てます。「耳をつかんだらいい」と言われ他人の耳をつかみ2人の間で一波乱。その後、もう1人が仲介し、鍛冶祝いの用意ができている家へ帰ります。
5.赤馬節
舞踊のトップとして、「赤馬節」が演じられました。八重山を代表する民謡で、祝いの席、座開きの歌舞として親しまれています。(難曲です。) この唄は別名「いらさにしゃー」とも言われています。「いらさにしゃー」とは方言で「あー、うれしい」という意味で、心から嬉しさが込み上げてきて、地に足が着かず、宙に体が浮いて飛び上がりそうな位の心境を表現する島言葉です。
6.八重山上り口説
7.組頭(フンガシャ)狂言
8.簓銭太鼓(ササラジンダイク)
9.上原ぬ島節
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