庭の芸能 2014 (2日目) 作成 2015.01.24
芸能2日目は、午前9時15分頃に参詣の集団が種子取祭の催事場である世持御嶽に戻り、御嶽前の広場の庭では前日同様にンカイ(迎え)が行われ、「巻き歌」が謡われました。
その後、庭の芸能が繰り広げられましたが、庭の芸能は、ゾーラッキ(行列)と称されているように、数十名の人々が隊列を組んで演じるものです。これは10時40分頃までの約1時間半程度演じられ、その後、特設舞台の芸能に引き継がれました。
なお庭の芸能は、前日(初日)と同演目で演じられます。 (庭の芸能は、玻座間村と仲筋村の人々が一緒に、竹富島の基本精神である「うつぐみ(協力一致)の心」で演じるものとなっています。)
なお、2日目は前日とは異なるポイントで、鑑賞&撮影をしました。その様子を以下に示します。
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2.太鼓
最後尾の若衆姿の鉦鼓打ちのリズムに合わせ、小太鼓を左手で持ち、右手のバチで叩くものです。
頭には鉢巻を締め、袴に下駄を履く姿は、薩摩藩士に倣ったものと考えられます。 |
太鼓は竹富小中学校の生徒と教職員による奉納です。 |
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最後尾の若衆姿の鉦鼓打ちのリードに合わせ太鼓を叩きます。 |
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3.マミドー
マミドーとは、マー(真)・ミードー(女)の意味で、「りっぱな女」「女の中の女」「働き者の女」という意味だそうです。真栄里家の働き者の女性をモデルにして振り付けがなされているそうです。 |
ガイジンナー(種子を入れる器)を持って踊るところです。 |
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1800年以前に創作された踊りだそうです。 |
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畑を耕す様子が表されています。 |
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4.ジッチュ
人頭税の厳しい時代。10人もの子供のいる農民がいて、税金の過酷さにもかかわらず、10人の子供を皆りっぱに育て、しかも年貢もきちんと納めました。それが琉球国王に知られ、表彰されることになり、その喜びを表した踊りです。
夫婦と10人の子どもは、貧しさゆえに着物の袖を片袖で間に合わせたことから、踊りもそうした姿で踊られます。なお、ジッチュとは10人という意味です。 |
片袖を抜いて踊る姿が美しい踊りです。 |
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こちらは歌と演奏の方々です。 |
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「シチュ、シチュ」という掛け声で踊ります。 |
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5.マサカイ(真栄節・南風作田ユンタ)
真栄(マサカイ)は1701年に大山家で生れ19歳で分家して小山家の租となりましたが、その後、自ら進んで西表島・仲間村の開拓のために移住しました。その真栄の開拓精神が歌になったのが「真栄節」です。 |
開墾の様子が演じられています。 |
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こちらは歌と演奏の方々です。 |
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6.祝い種子取(道歌・安里屋ユンタ・クイチャー)
竹富島の代表的な民謡の「世乞いの道歌」「安里屋ユンタ」「クイチャー」の3曲構成で踊られます。
この「祝い種子取」は、今は竹富島を離れた石垣竹富郷友会の婦人部による奉納芸能です。 |
7.腕棒
仲筋集落の女性によって演じられる演目です。腕棒は空手を取り入れた女性どうしの戦いの演技ですが、彼女たちは結構本気でやっていて、時には倒される人もいるほどで、笑いと喝采が湧き起る演目です。 |
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結構勇ましいものです。 |
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本気で勝負している組もあります。 |
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8.ンーマヌシャ(馬乗者)
種子取祭では人気の高い踊りで、頭にマンサージ(紫頭巾)、足に脚絆と草履、腹に馬型を括りつけ隊列を組んで踊ります。
この演目で「庭の芸能」がすべて終わります。 |
これは入場の様子です。 |
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踊りはユニークかつ勇壮です。 |
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隊列を作り道を練り歩くような姿が特徴です。 |
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この後、特設の舞台に会場を移し、舞台の芸能が行なわれました。
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