竹富島の石碑・説明看板 (仲筋集落・南)  更新 2016.01.16

今回は、地図の追加と、No.5の追加、および他の青字の項の内容追記をしました。
(なお、御嶽の説明看板については、竹富島の御嶽のページを参照下さい。)


No. 名 称 場所
1. アイヤル浜の説明看板 アイヤル浜
3. 潮がれ浜の詩碑 ニーラン海岸
5. 蔵元跡の碑* カイジ浜
7. 皆冶浜の説明看板 カイジ浜
9. 水道記念碑 仲筋・ンブフル
11. 「うつぐみ」の碑 仲筋・ンブフル
13. うんむいの碑 仲筋・ンブフル
15. 竹富島の民家 仲筋集落
17. ハニヤの由来の碑 仲筋集落
19. 竹富町竹富島伝統的建造物群保存地区 仲筋集落
No. 名 称 場所
2. ニーラン神石 ニーラン海岸
4. 西表石垣国立公園表示板 コンドイ浜
6. 蔵元跡の説明看板 カイジ浜
8.  
10. 人頭税廃止百年記念之碑* 仲筋・ンブフル
12. 「ンブフル」の説明板 仲筋・ンブフル
14. 幸本御嶽の説明板 仲筋集落
16. 仲筋村伝統芸能継承之碑* 仲筋集落
18. 八重山島造船創業始祖之碑 仲筋集落
20. 環境保護と伝統文化の継承 周回道路沿い

地図

1.アイヤル浜の説明看板

アイヤル浜の説明看板

西表国立公園 アイヤル浜
一年中花の絶えない竹富島は、チョウの島でもあります。
天気の良い日に、アイル浜へ続く道、海岸の防潮林沿いを歩くと、チョウに出会えるはずです。網を振り回したりせず、そばまでやってくるチョウを静かに眺めるのが竹富島流のチョウの楽しみ方です。

オオゴマダラ
日本最大のチョウです。オオゴマダラの幼虫は天敵から身を守るため毒のあるウライカガミを食べて育ち、成虫もこの毒を利用して身を守ります。竹富島の方言では、フーシュフーシュカビラと言います。

リュウキュウアサギマダラ
アサギマダラに比べて、白い斑点が細かく、青みを帯びています。防潮林の中や海岸でよく見かけます。幼虫は天敵から身を守るため毒のあるツルモウリンカを食べて育ち、成虫になってもこの毒を利用して身を守ります。

スジグロカバマダラ
竹富島で一番よく見かけるチョウです。オレンジ色の羽に黒いすじ模様があります。幼虫は毒のあるリュウキュウガシワの葉を食べて育ち、成虫になってもこの毒を利用して身を守ります。

ツマベニチョウ
前羽の先がオレンジ色をしたチョウです。幼虫はギョボクの葉を食べて育ちます。ギョボクのあるところでは、このチョウが何頭も集まっているのを目にすることがあります。このチョウは竹富島のチョウとされています。

シロオビアゲハ
防潮林でよく見かけているチョウです。名前の由来は、黒い体に白い帯があるところです。メスの中には、後ろ羽に赤い斑紋をもつものもいます。幼虫はミカンの仲間のシークァーサーやサルカケミカンの葉などを食べます。

Aiyaru Hama (Aiyaru beach)
Taketomi, which has flowers in bloom all year round, is, naturally, an island of butterflies.
As you walk along the path leading to Aiyaru Hama and along the coast on a sunny day, you are sure see some butterflies.
It is the island way to appreciate the butterflies by calmly watching them flutter close to you without trying to catch them in a net.


 環境省 平成16年度

アイヤル浜

アイヤル浜は竹富島の東にある浜で、ここでも星砂を見ることができます。

2.ニーラン神石

ニーラン神石の説明看板

ニーラン神石(カントゥイ)
海の遥か彼方にあるニライカナイの国から、一年に一度神々が船に種籾を積み島に訪れ、人々に五穀豊穣やすべての幸をもたらしてくれると信じられています。
竹富島では毎年旧暦の八月八日にカンツカサ(神司)や有志が集まり、ニーラン神のもとで世迎(ユーンカイ)の儀式が行われます。その際には供え物をし、ドラや太鼓を打ち鳴らし、「トゥンチャー」を唄い、手招きをして神々を迎えます。

Niran Kan Toi
It is believed that the gods sail to Taketomi once a year carrying grain seeds from Niraikanai, a legendary  paradise far beyond the sea. They bring good harvest and many other blessings.
Also, each year on the 8th  day  of the 8th lunar month, kantsukasa (female priests) and volunteers gather in frint of the Niran to perform the Yunkai.
During this ritual they welcome the gods by making a votive offering, beating gonges and drums, singing the song touncha, and beckoning the gods with their hands.

 環境省 平成16年度

ニーラン神石

ニーラン神石は、西桟橋とコンドイビーチとのほぼ中間の位置にあります。

3.潮がれ浜の詩碑

潮がれ浜の詩碑
潮がれ浜
 石島英文


潮がれ浜に
 唯一人
別れた友を
 思い出す
誰がはいたか
 捨てわらじ
渚の水に
 ぬれている


この詩碑は、コンドイビーチへ来て右手に折れて浜伝いに約50m進むとあります。
建立経緯説明文

英文は旧姓喜友名
石垣市大川に生る。
我等相寄りて師を慕い、その
詩業を讃えてここに記念の
詩碑を建立する。

昭和四十九年十一月三日
詩碑建設期成会
会長 本庄正佳
詩文揮毫 石垣当秀
意   匠 西表信
施   工 大山貞雄

喜友名英文は明治43年に生れ、昭和3年からは竹富小学校、大浜小学校、小浜小学校、与那国小学校などの教師を歴任し敗戦を迎えます。戦後は大浜中学校、八重山高校の教師を経て、昭和37年宜野座高校教頭となりますが、眼病を患い退職しました。喜友名英文詩曲集「潮がれ浜」は、昭和33年に初版発行、20年後の昭和53年に再刊されましたが、この詩には日本の原風景が詠まれています。
この「潮がれ浜」の詩碑は、英文の教え子たちによって建立されたものです。

4.西表石垣国立公園表示板

西表石垣国立公園
表示板

西表石垣国立公園
Iriomote ishigaki National Park
コンドイ園地
Kondoi Picnic Site

環境省・沖縄県・竹富町

同 遠景

この碑はコンドイビーチのシャワー施設前にあります。

5.蔵元跡の碑

蔵元跡の碑

手前:標柱
奥側:記念碑
[記念碑]
(正面)
蔵元発祥之地
(同・台座)

工事担当者
 部落会長 与那国清介
 東支会長 根原真雄
 西〃    辻弘
 南〃    島仲長正
 左官    大山貞雄


[標柱]
(正面)
史跡蔵元跡
(右面)
琉球政府文化財保護委員会
(背面)
建設一九六七年六月二十日
(左面)
指定一九五九年十二月十六日

これらの碑は、竹富島南西海岸のカイジ浜の東側にあります。
蔵元は、首里城の城壁や園比屋御嶽の石門を創建した功労により、琉球王府から八重山の頭職に任命された西塘が、八重山を統治するために創設した政庁です。
しかし、竹富島は土地が狭い上に交通が不便なため、天文12(1543)年に石垣島へ移転しました。現在は屋敷を囲む石垣や井戸などが残っています。昭和34(1959)年に、沖縄県指定文化財(史跡)となりました。
蔵元跡の碑 遠景

蔵元跡はカイジ浜入口の東側にあります。

6.蔵元跡の説明看板

蔵元跡の説明看板
(新看板)

(旧看板)

西表石垣国立公園 蔵元跡(くらもとあと)
ここは、竹富島出身の西塘(ニシトウ)が八重山諸島を統治したときの蔵元跡で、現在沖縄県文化財に指定されています。
蔵元とは、本来「年貢を収納する倉」のことですが、それが「役所」の意になり、琉球王府時代の久米島・宮古・八重山の役所は蔵元と呼ばれていました。
西塘は、ここで約二十年間政治を執った後、蔵元を石垣島に移しましたが、そのとき石垣島から竹富島をご覧になって、「シキタ盆(ブン)」の歌を作られたと伝えています。「シキタ盆」は竹富島を象徴する歌として、現在でも祭りや集会などでよく歌われます。
尚、蔵元の北西には皆冶御嶽があり、その付近で鍛冶(カジ)が行われたという伝承がありますが、当時西塘が鍛冶を置いた可能性は高いと思われます。またカイジ浜は八重山の島々の船が往来する港でした。

Kuramoto Ato
Here once was Kuramoto, the government office where Nishito served as ruler of the Yaeyama islands for about two decades.
“Kuramato” literally refers to a storehouse for crops collected as tax, but in later years the term came to mean a government office. When the office was here, nearby Kaiji beach served as a hub port for ships shuttling between the Yaeyama islands.The government office, however, was subsequently relocated to Ishigaki island.


 沖縄県指定史跡・蔵元跡
 昭和34年12月16日指定

 環境省 Ministry of the Environment
 平成24年度
蔵元跡

蔵元跡は皆冶(カイジ)浜のすぐ手前にあります。
木々がこんもり茂った森になっていますが、珊瑚の石垣でその場所を知ることは容易です。

7.皆冶浜の説明看板

皆冶浜の説明看板

西表国立公園 皆冶浜(カイジハマ)
皆冶浜は、星砂のある場所として知られています。星砂は、海藻などに付着した有孔虫「ホシズナ 学名 Baculogypsina spbaerulata 」の遺骸が砂浜に打ち上げられたものです。幸福をもたらすといわれている星砂ですが、島には「海の大蛇に食べられた星の子供の骨が流れついた」という悲しい民話があり、古くから竹富島の人々の間でよく知られていました。
周囲の海岸線には亜熱帯地方特有の植生が見られ、竹富島の防風・防潮林の役割を果たしています。

Kaiji Hama (Kaiji beach)
Kaiji Hama is known for its hoshizuna, or star sand. Star sand is actually the sedimentation of the foraminifer’s dead shells (Baculogypsina spbaerulata).
Live foraminifers can usually be found on seaweed and other sea plants. Star sand is said to bring happiness, though there is a sad folktale about it that has been handed down among Taketomi islanders from ancient times. It explains that a giant sea serpent eats the babies of stars, and, later, their remains wash ashore.
Subtropical vegetation is found along the adjacent coastline, serving as a shelterbelt against the winds and tides.


 環境省 平成16年度

皆冶浜

8.欠

9.水道記念碑

水道記念碑


碑文(表面)
水道記念碑
第五代沖縄開発庁長官 
植木光教 書

竹富島は昔から水に恵まれず 島の人々
は専ら天水と旧式の井戸や縦堀式の井戸
を頼りに生活を営んできた 旱魃の時に
は石垣島や遠くは西表島から水を運ぶと 
いう想像のつかぬ苦難と斗いながら生命
をつないできたのである
竹富町では 竹富島の水の解決を図るた
めあらゆる機会にあらゆる方面に根気
強く陳情を続けた 如何なることがあっ
ても幾多の困難を克服して切実な要求
である水道を実現しなければならないと
考えた
幸いにして 石垣市の深いご理解とご厚
情によって海底送水への計画が具体化し
悲喜こもごもの過程の中に待望の於茂登
の真水を引く恩恵に浴したことは聖代の
一大快挙であり無限の感慨にひたらざる
この海底送水の実現方についてご指導
ご協力をいただいた政府並びに県 石垣
市に対し満腔の敬意と感謝の意を表する
とともに この施設が永遠に島の発展へ
の礎となることを祈念する

昭和五十一年十月二十八日
竹富町
仲筋井戸(ナージカー)

水道記念碑はこの仲筋井戸(ナージカー)の南側向かいにあります。
(裏面)
水道工事の概要
一. 分水の地点      石垣市上水道
                新川配水本管より分水
一. 石垣島
  陸上送水管延長    二、五五二米
一. 送水ポンプ場      一式、石垣市新川舟蔵に設置
一. 海底送水管延長    四、二五一米
一. 竹富島
  陸上送水管延長    一、二○三米
一. 高架配水池       容量九○トン
一. 竹富島配水管延長  四,一九七米
一. 工事着工        昭和五十年十月二十日
一. 工事竣工        昭和五十一年十月二十八日
一. 総工費         四億壱千九百八拾九万円
一. 工事発注者      竹富町長 瀬戸 弘
一. 工事施工者      日本鋼管株式会社
                  社長槙田久生

10.人頭税廃止百年記念之碑

人頭税廃止百年記念之碑

人頭税廃止百年記念之碑
【左側】
近世から明治の後期に至るまで両先島(宮古・八重山)には、各個人に頭割りに課した人頭税があり、私たちの先人はその不合理で過酷な税制のもとで苦境にあえいでいた。
宮古島における先覚者らによる人頭税廃止請願運動の盛り上がりと、沖縄県土地整理事業の完了により明治36年(1903)1月1日から新税法に移行し、人頭税は廃止となった。
それを記念して八重山では郡民あげての祝賀会が催された。
人頭税廃止百年に当たり、先人の苦労を後世に伝えると共に、その歴史的意義に鑑み、ここに記念碑を建立する。
 2003年(平成15) 1月1日
 八重山人頭税廃止百年記念事業期成会

【右側】
竹富島では新税法移行を記念してンブフルの岡に記念碑が建立されていた。廃止百年に当たり当時の和歌をもって碑を再建し、先人の苦労と功績を偲ぶものである。
 新税法實施紀念碑
  日の本を 照らす光はてんか下
  曇らぬ御代そ とう登りかり
                 気留
  明治癸卯一月創立


「人頭税」とは、薩摩藩からの搾取による財政難に陥った琉球王府が、その打開策として施行した税制で、収入ではなく人の存在そのもの(15歳から50歳まで)に対して課税されるという悪税で、この税制は1637年(寛永14年)より施行され八重山では1902年(明治35年)末まで266年間続きました。
同様の石碑は、石垣市や与那国町にも建立されています。

人頭税廃止百年記念之碑(左)

この碑は、「ンブフルの丘」の下(仲筋集落入口)にあります。

11.「うつぐみ」の碑

「うつぐみ」の碑
 かいしくさ
  うつぐみど
   まさりょる


人頭税廃止百年記念之碑の右側にあるこの碑には、このように記されています。

前1・2項では、「かし(賢)くさ」と記していますが、この碑では「かいしくさ」と記しています。 このため「かし(賢)くさ」は誤った宛字であり、美しい気風という意味の「かいしくさ」が正しいという説があります。
また、「戻って来る」という意味の「カイシクーサ(返し来さ)」とする説もあります。
ただ、一般には、「賢さ」の漢字を当てる場合が多いようです。
    「うつぐみ」の碑(右)

「人頭税廃止百年記念之碑」と並んで建てられている姿を見ると、島の人々が、お互いに助け合い支えあうことで、過酷な人頭税のもとでも生き延びることができたということを伝えているように思われます。

12.ンブフルの説明板

ンブフルの説明看板

ンブフル
ンブフルは、一名牛岡(ウシムル)ともいわれています。昔、仲筋村の住民の飼っていた牛が夜中に飛びだし、角で土や石を突き上げて一夜のうちに高い丘をつくり、その上でンブフル、ンブフルと鳴いていました。
当時の酋長はこれを見て大いに喜び、この丘を土台にして堅固な見張台を築き上げ、その名を牛の鳴き声にちなんでンブフルとしたと伝えられています。
また、竹富島はほとんどが隆起サンゴ礁でできていますが、この丘は島の核ともいえる古成層の珪岩(ケイガン)で形成されています。

ンブフル

13.うんむいの碑

うんむいの碑
一.竹富島の村は、屋久島、徳ノ島、久米島、沖縄島
から祖神たちが渡って来て建てたと伝え
られている。

二.八重山が沖縄についたのは、一三九○年以後の
ことであるが、それ以前の八重山は、大和と
直接交通していたという。 毎年、夏至の
●●季節風が吹きはじめる頃になると島の
「神々」や「とんち」たちは、急いで大和旅に
上り、北流する黒潮の流れに北風の花が
チラホラ見えはじめる頃になると、大和
から穀物の種子や加治の資材等を満
載して竹どん島に帰って来たという。

神々の舟がヤラブ岬から現れると、村人
たちは島の北西の浜におりて、これを迎える。
このときの寿敬に「あ方から来る舟やわがいいぬと
んちま達だ。おやけ世ばたぼらる」と歌うのである。
積荷は浜伝いに南の「薦●●の浜」から小波本オガン
の小城場に運ばれ、ここで八重山の島々から集って来
た神たちに分配されたという。 このとき、島々の神た
ちが舟待ちしたところが、この「海森」(うんむい)である。

三.竹どん島の祖神たちは、彼等の貴重な体験から、
この国境の島々に残される子孫たちが、将来素
姓のことで隣りの高砂子の島に住むマライ
族と混同され、迷惑を蒙ることあるを予見して、
自分たちの出身地をはっきりと●筋に明示して
代々子孫に伝えている。 隋書琉球國伝によ
ると推古天皇十六(六〇八)年に高砂子
の島で●久人が隋の朱寛の難にあっている
からこの●●人は竹どん島の屋久の祖●た
ちと何らかの関係があったと考えられる

は判読のできない文字です。
碑の遠景

この碑は石垣在仲筋会により1966年11月23日に建立されました。

ンブフル丘

この階段を上ったすぐのところに碑が設置されています。

14.幸本御嶽の説明板

幸本御嶽の説明看板
幸本(小波本)御嶽
御嶽の森は島の祖神をまつる聖
域として、昔から島の人々によっ
て大切に保存されてきました。
したがって、そこでは竹富島の自
然に近い姿の森を見ることができ
ます。
同遠景

15.竹富島の民家

竹富島の民家の説明看板
竹富島の集落は、赤がわらの屋根 魔よけのシーサー 石灰岩の石垣 ひんぷん 福木の並木 サンゴ砂の道 草花の植込みなどで構成されています。この付近は、竹富島の伝統的なたたずまいを 今も色濃くのこしている地域の一つです。 この説明看板は、仲筋村のほぼ中央部・仲筋村伝統芸能継承之碑の近くの通りに設置されています。

16.仲筋村伝統芸能継承之碑

仲筋村伝統芸能継承之碑



演目
あぶじ狂言
種子蒔き狂言
天人狂言
はる屋の願い
組踊り父子忠臣
スル掬い狂言
タナドウ屋狂言
いも掘り狂言
たこ捕り狂言
鬼狂言
タノリャー
八人踊り
サングルロ
仲筋のヌベマ
マミドー
腕棒


この碑は1999(平成11)年9月に、仲筋村出身者によって建立されました。仲筋村は、竹富島最大の神行事である種子取祭の奉納芸能の2日目を受け持ちます。
この仲筋村伝統芸能継承之碑には、16の芸能の演目が記されています。
この演目のうち、1番目の「あぶじ狂言」から10番目の「鬼狂言」までは狂言で、11番目の「タノリャー」から16番目の「腕棒」までが舞踊です。
原則として、狂言は男性、舞踊は女性が担当することになっています。
これらのうち、「あぶじ狂言」「種子蒔き狂言」「天人狂言」「タノリャー」は、種子取祭(タナドゥイ)における儀礼的な芸能であり、どんな悪天候の日でも毎年必ず奉納することになっています。

この碑は、仲筋村のハニヤ御嶽の境内にあります。(写真手前側の碑)

17.ハニヤの由来の碑

ハニヤの由来の碑 ハニヤの由来
 人頭税時代 毎年首里王府へ上納船を出す
ことになっていた。帆船当時は季節風を頼りに
一路平安を祈願するため、神司を伴う航海で
あった。その大役を命じられたのが、仲筋御嶽
の司登野原屋のマイチであった。
 ところが、不運にも嵐に遭い中国に漂流した
中国の温情によって一命をとりとめたマイチは
幸いにも帰郷することになり、その際世話して
下さった方から無事に竹富島に着いたら「貴
方の家の西にある森に守護神を祀り信仰しな
さい。必ずや貴方の村は繁盛するでしょう」と
勧められ、印判を二つに割って互いに持ち
再開(*)を約束したと伝えられている。
 以来、仲筋村の無病息災の神として村人から
信仰されている。
平成十一年九月吉日 献納
仲筋村出身者一同

(*)再開は再会の誤字と思われます。
遠景

この碑は、仲筋村のハニヤ御嶽の境内にあります。(碑は写真の左側です。)

18.八重山島造船創業始祖之碑

八重山島造船創業始祖之碑
【表面】

【裏面】
【表面】
八重山島造船創業始祖之碑
              島仲家

【裏面】
 竹富島民部落民一同之建立

この碑は昭和50年代に建てられたものと思われますが、詳細時期は不明です。
碑 遠景

島仲家

この碑は仲筋集落の、ハニヤの先の十字路を東に行った左手側の民家(島仲家)の庭に建てられています。

19.竹富町竹富島伝統的建造物群保存地区

竹富町竹富島伝統的建造物群保存地区の説明看板
竹富町竹富島伝統的建造物群保存地区
 竹富島は、日本最南端に位置する八重山諸島の中にあって、北緯24度18分55秒、東経124度06分06秒に位置し、面積約5.4km2の楕円状の島の中心部にまとまって三つの集落域(東集落=アイノッタ村・西集落=インノッタ村・仲筋集落=ナージ村)を成しております。
 竹富島は住民による町並み保存の取り組みにより、伝統的建造物群及び周辺の環境が地域的特色を顕著に示しているものとして昭和62年4月28日に「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けております。
 集落には白砂の道がはしり、石垣と屋敷林で囲まれ屋敷には赤瓦屋根の民家が建ち並ぶ伝統的な集落景観を今に伝えております。
 一戸一戸の屋敷は、珊瑚石灰岩のグック(石垣)を150cm前後の高さにめぐらし、屋敷の中央部にフーヤ(主屋)が建ち、その西隣に炊事棟のトーラが位置しております。南面した屋敷の入り口部分には石積み、植栽によるマイヤシ(ヒンプン)が設けられ、屋敷の空間構成を果たしております。建物は主に、木造(貫屋造)・平屋の構造で赤瓦葺き漆喰塗り、茅葺きの寄棟造りで沖縄固有の景観を残しております。
 竹富町では、こうした町並みを後世に継承するため「竹富町歴史的景観形成地区保存条例」に基づき竹富町の伝統的な集落景観の保護保存に努めております。
            平成20年10月 竹富町教育委員会
説明看板外観

この看板は、仲筋村集落の西はずれにあります。

20.環境保護と伝統文化の継承

環境保護と伝統文化の継承
の説明看板

環境保護と伝統文化の継承
石西礁湖(セキセイショウコ)と呼ばれる美しいさんご礁の海域を含む竹富島全体が、一九七二年には国立公園に、一九七七年には種子取祭(タネドリサイ)が国の重要無形民俗文化財に指定されました。一九八七年には集落が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
先人たちから受け継いだ自然環境と集落景観を守るために、「売らない」、「汚さない」、「乱さない」、「壊さない」、「生かす」という竹富島憲章を一九八一年に制定し、八重山上布(ヤエヤマジョウフ)や八重山ミンサーの染織の後継者育成にも務めるなど、環境と伝統文化の保存景勝を地域づくりの柱にしています。
Taketomi Island was designated a National Park in 1972, together with the surrounding ocean called Sekisei Shoko, featuring beautiful coral reefs.
In 1987, in recognition of the communities' outstanding architectural features, representative of Okinawa and southern japanese culture, the Japanese government designated three local communities on the island Important Preservation Districts for Groups of Historic Buildings.
説明看板外観

この看板は、仲筋村西の周回道路横、コンドイビーチへ行く道の途中にあります。
 

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