白保の豊年祭(ムラプール)2019  作成 2019.11.16

 石垣島で一番農業が盛んで、特に芸達者な人が多いと言われる白保集落、ここで開催される豊年祭[今年の五穀の稔りに感謝し、来夏世の豊穣(ほうじょう)と弥勒世果報を祈願する祭り]は、旧暦6月末頃(新暦の7月下旬から8月上旬)に開催されることが多く、八重山のなかでも非常にユニークかつユーモラスな豊年祭と言われています。
 白保の豊年祭は、他の地域と違って稲の播種から収穫までの過程を表現する、70年の歴史を育んできた「稲の一生」という他にはない独特の行列(物語)が演じられます。この行列は白保集落を5班に分けて、各班が分担して稲の物語を演じるものです。参加者の中には、女装した男性や、顔を白塗りの化粧をした人とか、白保集落の住民総出で、賑やかに繰り広げられます。面白さ満載の豊年祭です。
 この「稲の一生」の他にも、弥勒(ミルク)行列、旗頭、五穀の種子の献上、大綱引きなどが奉納されますが、白保の豊年祭(ムラプール)は実に見応えのあるものです。

 2019年の白保村豊年祭(ムラプール)は、7月29日(月)の16時50分過ぎから開催されました。よく雨に降られることの多い白保の豊年祭ですが、この年は台風やスコールに遭うこともなく、とても良く晴れしかも大変暑い中で行われました。
 旗頭奉納から始まり、稲の一生の後、五穀の種子の授受、大綱引きで祭りは最高潮に達し、20時15分過ぎに終了しました。

 豊年祭の開催日は毎年旧暦5月上旬(新暦6月頃)の神行事にて正式決定されます。開催日は、八重山各地域の豊年祭で最後の開催となることが多いようです。(必ずしもそうとは限りませんが…。)
 ムラプール前日のオンプールでは、21時すぎから24時頃まで白保集落内四ヶ所の御嶽(嘉手苅御嶽(カチガラオン)、真謝御嶽(マジャオン)、波照間御嶽(ハテルマオン)、多原御嶽(ターバルオン))にて舞台芸能や巻き踊りが行われます。真謝御嶽、波照間御嶽での行事が比較的規模が大きく、多原御嶽の行事が一番規模が小さなものとなっています。
 ムラプールは飾墓御嶽(カツァリバオン)[嘉手苅御嶽と同一敷地内]前にて開催されます。開始時刻は一般に17時とされていますがこれは旗頭奉納が始まる時刻で、その後の開会の言葉や来賓挨拶等にかなりの時間を要し弥勒加那志来訪は18時頃となります。
 なお、ムラプールのパレードは国道390号側から海側(西から東)に向かって進みます。(A−19の通りです。)
 会場周辺には駐車スペースがありませんが、少し離れた場所には路上駐車可能です。また少し距離がありますが、白保小学校の校庭が臨時の駐車場として開放されます。
 会場で飲酒される場合、市街地からは路線バスやタクシーを利用するとよいでしょう。タクシーだと片道2,000円程度です。

【ムラプールの概要】 

 2019年のムラプールは概ね以下のような流れ(プログラム)で進められました。

1. 旗頭奉納
2. イリク太鼓奉納
3. 開会の言葉
4. 公民館長挨拶
5. 来賓祝辞等
6. 弥勒加那志来訪 
7. 白保老人クラブによる白保節
8. 白保小学校鼓笛隊
9. 稲の一生(奉納行列)
   第1実行組合・・・アブシバライ・田打ち・種まき・稲植え
   第2実行組合・・・田草取り・パピル節・稲刈・脱穀・籾俵運搬
   第3実行組合・・・ウタマムレ・稲シリ・稲シサギ
   第4実行組合・・・新安里屋ユンタ・ヨイシン(米俵奉納)
   第5実行組合・・・うりずんの唄・ヘリによる害虫駆除
10 白保中学校 校歌ダンス
白保青年会歌・ダンス
11. ビギリ・ブナリ神・五穀の種子の献上
ビギリ(兄弟神)からブナリ(姉妹神)へ五穀の種子が授けられます。
12. 大綱引き

白保の豊年祭(ムラプール)2019の様子

豊年祭の会場は飾墓御嶽(嘉手苅御嶽)の前の道路です。左側壇上の女性は神司の皆さんです。 公民館役員が勢揃いして、いよいよ豊年祭のスタートです。時刻は16時55分です。
 
1.旗頭奉納

ムラプールは旗頭奉納からスタートします。時刻は17時過ぎです。男達がサーサーサーサーとかけ声をかけながら旗頭を腰に乗せて練り歩く様は勇壮です。 白保集落の旗頭、東西2本です。
旗文字は「五風十雨」と「祈豊年」。
       
旗持ちの真剣な表情。 旗頭の後には女性たちが踊りながら進みます。
 
鳥居の両側に「トゥール」(旗文字は五風十雨)と「スムヤ」(旗文字は祈豊年)と呼ばれる二つの旗頭が建てられました。
 
白保の旗頭について
白保には「トゥール」と「スムヤ」と呼ばれる二つの旗頭があります。
「トゥール」頭は菱形の枠の中に朝日の絵を配し、まわりは「鍬」「鎌」「ヘラ」の農具と「米」「粟」「麦」等の五穀で飾りつけられています。菱形の枠は田畑を模ったもので、中の朝日は天候に恵まれ、五穀が稔り豊かに育つことを意味しているそうです。旗文字は「五風十雨(ごふうとぅあみ、ごふうじゅうう)」です。
この「トゥール」頭の持ち手は、「真謝嶽」と「多原嶽」のヤマニンズ(所謂「御嶽の氏子」)で持つ習わしになっています。
  一方「スムヤ」頭は、八角凧の形をした枠の中に米俵を模った型が置かれ、その上にアカバナが配われています。
八角の形は尖った所が岡や丘、森、林等を意味し、窪んだ所はバリ(割り)を意味し、川や湧きを現しているそうです。そして中の俵は豊かに稔った米を俵いっぱいに詰めて、豊作の喜びを表現したものだそうです。旗文字は「祈豊年」です。
「スムヤ」の持ち手は「嘉手苅嶽」と「波照間嶽」のヤマニンズです。
「トゥール」と「スムヤ」にはそれぞれに公民館から委嘱された旗頭責任者がいます。
責任者は持ち手の選任から指導、旗さおの製作等の全てに責任をもたなければなりません。
今年の豊年を神に感謝し、来夏世の豊作を願う村プーリンでの旗頭奉納の時、「トゥール」と「スムヤ」の責任者はウランゲー(真謝井戸)の前から、御嶽の鳥居の前までの約30mを「旗頭」を持ち上げ、婦人達のガーリと太鼓隊を従え、ゆっくりと厳粛に進み、奉納しなければなりません。途中、倒してならないのは勿論、絶対に降ろしてはならない決まりとなっています。

白保青年会の旗頭。
旗文字は「世果報」
JAおきなわ八重山支店の旗頭。
旗文字は「瑞雲慈雨」
石垣市役所の旗頭。
旗文字は「賜稔世(ゆばなうれ) 」
         
石垣島製糖の旗頭。
旗文字は「庶穂」
白保中学校の旗頭。
旗文字は「瑞雲」。
白保小学校の旗頭。
旗文字は「元気よく」

2.イリク太鼓奉納

白保中学校生徒による鉦・イリク太鼓の奉納です。  
 
3.開会の言葉〜4.公民館長挨拶〜5.来賓祝辞等

開会の言葉 公民館長挨拶
     
中山石垣市長の来賓祝辞。 JAおきなわ八重山地区本部長の来賓祝辞。
     
石垣島製糖且ミ長の祝辞と乾杯の挨拶。   祝電披露
 
 
6.弥勒加那志来訪

18時頃に、「弥勒(ミルク)加那志」来訪が始まります。 白保でミルクの役を務めることができるのは、孫の代まで三代に渡って健在な一家の主のみで、後ろに続くのは皆その子孫とのことです。 神司たちは、ミルクを扇を振って出迎えます。
     
今年、第16代ミルクを継承した世持秀男さん一家は、三世代夫婦と親族で練り歩き初の大役を果たされました。 世持さんの親族の方々の奉納行列です。行列の進む速度は非常にゆったりとしています。
 
 
    司たちの前までミルクが進むと、神司たちは頭を下げ迎えます。
 

ミルク神とは
 不思議な顔をした白い仮面を被り、鮮やかな黄色い服をまとい、右手に団扇、左手に杖を持ち、優雅に団扇を扇ぎながら多くの供を引き連れ、「弥勒節(ミルクブシ)」の唄声とともに現れるのは、「ミルク」と呼ばれる神さまです。「ミルク」は八重山諸島のさまざまな神行事に登場します。

ミルク信仰
 沖縄においては、もともと東方の海上にあって神々が住む「ニライカナイ」という土地があり、神々がそこから地上を訪れて五穀豊穣をもたらすという思想がありました。この思想に「ミルク信仰」がとり入れられ、「ミルク」は年に一度、東方の海上から五穀の種を積み「ミルク世」をのせた神船に乗ってやってきて豊穣をもたらすという信仰が成立しました

ミルク仮面
 沖縄のミルクの仮面は布袋様の顔をしており、日本内地の仏像にみられる弥勒仏とは全くかけ離れた容姿をしています。これは、沖縄のミルクが、日本経由ではなく、布袋和尚を弥勒菩薩の化生と考える中国大陸南部の弥勒信仰にルーツをもつためであると考えられています。
 布袋和尚は実在の人物と考えられ、唐末期、宋、元、元末期の4人の僧が布袋和尚とされています。彼らは大きな腹をし、大きな布袋をかついで杖をつき、各地を放浪したといわれています。12世紀頃の禅宗でこの布袋を弥勒の化身とする信仰が始まりました。この布袋=弥勒と考える信仰は中国南部からインドシナ半島にかけて広まりました。これが八重山諸島にも伝播することとなったのです。

経緯
 1791年、公務で八重山から首里に向う海路で嵐(台風)に遭い安南(ベトナム)に漂着した「大浜用倫」氏は、その地で「弥勒菩薩」の行列に遭遇します。初めて目にした衆生済度の弥勒菩薩に深い感銘を受け、面と衣装を譲り受けたと言います。その後首里に辿り着いたものの、すぐに八重山に戻ることができなかったため、一足先に八重山へ帰る随行者・新城筑登之氏に面と衣装、自作の「弥勒節」を託します。(本人は帰路、今度は中国に漂着、客死しました。)筑登之氏が持ち帰った品々は、「八重山が豊かになるように」という「用倫」氏の切なる願いが詰まったものでした。これが八重山諸島のミルク信仰の始まりとされています。
 「弥勒(ミロク)」が訛り「ミルク」と呼ばれるミルク信仰は、八重山のすべての島々に受け継がれています。

 
7.白保老人クラブによる白保節

白保老人クラブによる白保節です。
 
 
8.白保小学校鼓笛隊

白保小学校鼓笛隊です。 列の初めは鉄琴や太鼓の列。
     
こちらはリコーダーの列。
 
9.稲の一生(奉納行列)
  まずは第1実行組合からスタートです。

いきなりミキ(多分中身は泡盛のミキ割り)を持ったニーニーの登場。 最初は悪虫払い(アブシバライ:アブシバレー)です。
   
     
行政指導(?)もあります。
 
田打ちです。  
 
     
水牛も登場して田圃の整地、タックルバシャーです。 代掻きを行っている様子です。
 
これは種蒔きです。
     
籠に入った種籾を蒔きます。    
 
 
予め苗を田圃に投げ入れて植える準備を演じます。 早乙女たち(?)の登場です。
     
稲植え(ターイビ)の様子です。本物の稲の苗を使っています。
     
しゃがんだ姿勢を続けると腰が痛くなるので時々は体を起こします。
 
ここからは第2実行組合が演じます。

子供達は田草取り(雑草取り)を演じます。
     
パピル節です。 胡蝶の舞(パビルの舞)は、受粉の様子を演じているようです。
     
日本を代表する沖縄民謡界の唄者、地元白保出身の「新良幸人」さんの演奏です。    
 
 
稲刈り(メッカリ)の様子です。
     
刈り取りの様子を表わしたもの。 右手に鎌、左手に刈り取った稲穂を持っています。
 
脱穀です。 これは籾を振るっているところ。
     
足踏み式の脱穀機を使っています。 当然のことながらお尻は本物ではありません。
     
これは籾俵運搬です。水牛が引っ張っています。 水牛に鞭を入れると、水牛が怒ったりサボったりします。
 
ここからは第3実行組合が演じます。

「ウタマムレ」です。背中に赤子を背負っています。八重山の子守唄として、「月ぬ美しゃ」同様に有名な民謡「あがろうざ」に合わせ、子守姿の女の子達がパレードします。 農作業で忙しい親の代わりに、年長の女の子が赤子の子守をしている様子を演じているようです。
     
「あがろうざ」と「子守唄」の歌詞。
     
背中の赤子には市長や教育長など、地元の著名な方の名が記された札が付けられています。
 
稲摺(稲シリ=精米)です。 昔ながらの石臼による精米が演じられます。
     
これは石臼に籾を入れている様子です。
こちらでは臼に入れた玄米を杵でついて精米しています。
     
稲シサギ(イナサギ)です。
 
ここからは第4実行組合が演じます。

ヨイシンです。 「新安里屋ユンタ」の曲に合わせ踊りながら進みます。
     
     
このニーニーは観客に無料でミキ(米で作った清涼飲料水)を配っています。かつて私も頂いたことがありますが、それはミキを泡盛で割ったものでした。(アルコールたっぷりでした。)    
 
ヨイシン(米俵奉納)です。皆で米俵を載せた荷車の綱を引きます。
 
収穫した白米の俵を奉納する様子を演じ、ヨイシーヨイシーの掛け声に合わせ、大きな俵を運びます。
 
 
最後は第5実行組合が演じます。

まずは「うりずんの唄」が踊られます。
 
 

続いてこちらはオウシマダニの駆除のため、かつては牧場などの池に薬浴施設を設け、牛を薬浴させていたのをコミカルに再現したものです。 牽引車の後に小さなプール(水槽)が載せてあり、ここに牛を放り込んで殺虫する様子を演じています。
     
嫌がる人を無理やりプールに入れようとしています。   プールから上がったところですが、この後すぐにもう一度放り込まれます。
   
野鼠(野ネズミ)たちの登場です。 ヘリコプターによる害獣(虫)駆除が行われますが、ここでは野鼠退治の様子が演じられます。
     
これは薬剤が効きネズミたちが苦しんでいる様子を表しているようです。
 
かつて稲の一生は4班で行っていたそうですが、人口増加・集落の拡大に伴い第5実行組合が創設されたそうです。   それに伴い、ヘリコプターを使用した近代・未来の農業を演じるようになったそうです。機長さんは機上から駆除剤の代わりにアメなどを会場に撒き、子どもたちが必死にそれを拾い集めます。
 
10.白保中学校 校歌ダンス、白保青年会歌・ダンス

まずは白保中学校による校歌ダンスです。
     
地謡で頑張る学生たち。。
 
次は白保青年会歌・ダンス。
 
 

この後は会場内を旗頭が乱舞し、豊年祭りも最高潮に達します。これは「スムヤ」の旗頭の前でガーリー(歓喜の乱舞)。 こちらは「トゥール」の旗頭の前でガーリー。
     
皆、熱狂的なガーリーで盛り上がります。 神司の前で旗頭が担がれ一層盛りあがります。
 
11.ビギリ・ブナリ神・五穀の種子の献上
  白保では他集落のような武者同士の戦い(ツナヌミン)はなく、五穀の種子の献上のみが行われます。

松明が灯される中、西からはブナリ(姉妹)神が登場します。 東からはビギリ(兄弟)神が登場します。両者の乗った板舞台はゆっくりと両側から中央に向かって進んできます。
   
東のビギリ神から西のブナリ神に五穀の種子の献上が行われます。   五穀の種子の献上が行われるとビギリ神は立ち上がります。
 
するとブナリ神は速やかに西に離れていきます。 ビギリ神も速やかに東に離れていきます。五穀の種子が献上された後は、「エイサー」のかけ声に合わせガーリーが始まります。
 
12.大綱引き

最後の行事である大綱引きでムラプールが締めくくられます。沖縄では綱引きの綱は龍の化身ともいわれ、水神、龍神への感謝を込めてという意味で始まったようです。両側から雄綱と雌綱の結び目が御嶽の前に運ばれます。 雄綱と雌綱が結びあわされますが、結構な時間を要します。綱の長さは100mとも言われています。
 
爆竹の合図で綱引きが始まりました。 ニーニーが結び目の上に乗って掛け声をかけ応援します。
   
白保の人達だけでなく観光客も参加しての綱引きとなります。東(海側)が勝てば豊漁、西(山側)が勝てば豊作です。 大勢の参加者による綱引きは今年は西に軍配が上がり、豊作が約束されました。この大綱引きは20時15分頃に終了しました。

この後、万歳三唱と閉会の挨拶が行われ、豊年祭は終了しました。
 
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