ミルク神とは
不思議な顔をした白い仮面を被り、鮮やかな黄色い服をまとい、右手に団扇、左手に杖を持ち、優雅に団扇を扇ぎながら多くの供を引き連れ、「弥勒節(ミルクブシ)」の唄声とともに現れるのは、「ミルク」と呼ばれる神さまです。「ミルク」は八重山諸島のさまざまな神行事に登場します。
ミルク信仰
沖縄においては、もともと東方の海上にあって神々が住む「ニライカナイ」という土地があり、神々がそこから地上を訪れて五穀豊穣をもたらすという思想がありました。この思想に「ミルク信仰」がとり入れられ、「ミルク」は年に一度、東方の海上から五穀の種を積み「ミルク世」をのせた神船に乗ってやってきて豊穣をもたらすという信仰が成立しました
ミルク仮面
沖縄のミルクの仮面は布袋様の顔をしており、日本内地の仏像にみられる弥勒仏とは全くかけ離れた容姿をしています。これは、沖縄のミルクが、日本経由ではなく、布袋和尚を弥勒菩薩の化生と考える中国大陸南部の弥勒信仰にルーツをもつためであると考えられています。
布袋和尚は実在の人物と考えられ、唐末期、宋、元、元末期の4人の僧が布袋和尚とされています。彼らは大きな腹をし、大きな布袋をかついで杖をつき、各地を放浪したといわれています。12世紀頃の禅宗でこの布袋を弥勒の化身とする信仰が始まりました。この布袋=弥勒と考える信仰は中国南部からインドシナ半島にかけて広まりました。これが八重山諸島にも伝播することとなったのです。
経緯
1791年、公務で八重山から首里に向う海路で嵐(台風)に遭い安南(ベトナム)に漂着した「大浜用倫」氏は、その地で「弥勒菩薩」の行列に遭遇します。初めて目にした衆生済度の弥勒菩薩に深い感銘を受け、面と衣装を譲り受けたと言います。その後首里に辿り着いたものの、すぐに八重山に戻ることができなかったため、一足先に八重山へ帰る随行者・新城筑登之氏に面と衣装、自作の「弥勒節」を託します。(本人は帰路、今度は中国に漂着、客死しました。)筑登之氏が持ち帰った品々は、「八重山が豊かになるように」という「用倫」氏の切なる願いが詰まったものでした。これが八重山諸島のミルク信仰の始まりとされています。
「弥勒(ミロク)」が訛り「ミルク」と呼ばれるミルク信仰は、八重山のすべての島々に受け継がれています。
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