白保の豊年祭(ムラプール)2017  作成 2018.09.01

 石垣島で一番農業が盛んで、特に芸達者な人が多いと言われる白保集落、ここで開催される豊年祭は、旧暦6月末頃(新暦の7月下旬から8月上旬)に開催されることが多く、八重山のなかでも非常にユニークかつユーモラスな豊年祭と言われています。
 白保の豊年祭は、他の地域と違って稲の播種から収穫までの過程を表現する70年の歴史を育んできた「稲の一生」という他にはない独特の行列(物語)が演じられます。この行列は白保集落を5班に分けて、各班が分担して稲の物語を演じるものです。参加者の中には、女装した男性や、顔を白塗りの化粧をした人とか、白保集落の住民総出で、賑やかに繰り広げられます。
 この「稲の一生」の他にも、弥勒(ミルク)行列、旗頭、五穀の種子の献上、大綱引きなどが奉納され、白保の豊年祭(ムラプール)は見応えがあります。

 2017年の白保豊年祭(ムラプール)は、7月27日(木)の16時半頃から開催されました。よく雨に降られることの多い白保の豊年祭ですが、この年はスコールに遭うこともなく実に良い天気に恵まれました。
 旗頭奉納から始まり、稲の一生の後、五穀の種子の授受、大綱引きで祭りは最高潮に達し、例年より少し早い20時過ぎに終了しました。

 豊年祭の開催日は毎年旧暦5月上旬(新暦6月頃)の神行事にて正式決定されます。開催日は、八重山各地域の豊年祭で最後の開催となることが多いようです。(必ずしもそうとは限りませんが…。)
 ムラプール前日のオンプールでは、21時すぎから24時頃まで白保集落内四ヶ所の御嶽(嘉手苅御嶽(カチガラオン)、真謝御嶽(マジャオン)、波照間御嶽(ハテルマオン)、多原御嶽(ターバルオン))にて舞台芸能や巻き踊りが行われます。真謝御嶽、波照間御嶽での行事が比較的規模が大きく、多原御嶽の行事が一番規模が小さなものとなっています。
 ムラプールは飾墓御嶽(カツァリバオン)[嘉手苅御嶽と同一敷地内]前にて開催されます。開始時刻は一般に17時とされていますが、これはミルク行列が始まる時間で、実際には16時半に旗頭奉納が始まります。なお、ムラプールのパレードは国道390号側から海側(西から東)に向かって進みます。
 会場周辺には駐車スペースがありませんが、少し離れた場所には路上駐車可能です。市街地からは路線バスやタクシーを利用するとよいでしょう。タクシーだと片道2,000円前後です。

白保の豊年祭(ムラプール)2017の様子

豊年祭の会場は飾墓御嶽(嘉手苅御嶽)の前の道路です。 御嶽の反対側が観覧席となっています。行列は向こう側(西側)から手前(東側)に進んできます。[2014年撮影]
     
ムラプールの開始前に、オーセで旗頭の奉納を行います。[2014撮影] ここはWWFしらほサンゴ村の向い側です。[2014撮影]

【ムラプールの概要】 

ムラプールは以下のような流れで進められます。

1. 旗頭奉納
2. 来賓祝辞等
3. 弥勒加那志来訪 
4. 白保老人クラブ・白保婦人会による白保節
5. 白保小学校鼓笛隊
6. 稲の一生(奉納行列)
   第1実行組合・・・アブシバライ・田打ち・種まき・稲植え
   第2実行組合・・・田草取り・パピル節・稲刈・脱穀・籾俵運搬
   第3実行組合・・・ウタマムレ・稲シリ・稲シサギ
   第4実行組合・・・新安里屋ユンタ・ヨイシン(米俵奉納)
   第5実行組合・・・うりずんの唄・ヘリによる害虫駆除
7. 白保中学校 校歌ダンス
8. 白保青年会 歌・ダンス
9. ビギリ・ブナリ神・五穀の種子の献上
ビギリ(兄弟神)からブナリ(姉妹神)へ五穀の種子が授けられます。
10. 大綱引き

ムラプールは旗頭奉納からスタートします。時刻は17時過ぎです。 男達がサーサーサーサーとかけ声をかけながら旗頭を腰に乗せて練り歩く様は勇壮です。 白保青年会の旗頭。
         
JAおきなわの旗頭。 白保中学校の旗頭。 白保小学校の旗頭。
 
旗頭の後には女性たちが踊りながら進みます。   こちらは司(ツカサ)の皆さんです。神司(カンツカサ)とも呼びます。
 
     
白保中学校生徒による鉦・イリク太鼓の奉納です。  
     
旗頭が勢揃いしました。これは東側です。 これは西側です。
 
中山石垣市長の来賓祝辞。 石垣島製糖且ミ長の祝辞。
 
17時頃に、「弥勒(ミルク)加那志」の来訪です。 白保でミルクの役を務めることができるのは、孫の代まで三代に渡って健在な一家の主のみで、後ろに続くのは皆その子孫とのことです。 司たちは、「ミルク加那志」を扇を振って出迎えます。
         
第15代ミルクを継承した前盛善昭さん一家は、三世代総勢60人で練り歩き初の大役を果たしました。進む速度は非常にゆったりとしています。 司たちの前まで「ミルク加那志」が進むと、司たちは頭を下げ迎えます。
         
弥勒加那志の来訪です。
 

ミルク神とは
 不思議な顔をした白い仮面を被り、鮮やかな黄色い服をまとい、右手に団扇、左手に杖を持ち、優雅に団扇を扇ぎながら多くの供を引き連れ、「弥勒節(ミルクブシ)」の唄声とともに現れるのは、「ミルク」と呼ばれる神さまです。「ミルク」は八重山諸島のさまざまな神行事に登場します。

ミルク信仰
 沖縄においては、もともと東方の海上にあって神々が住む「ニライカナイ」という土地があり、神々がそこから地上を訪れて五穀豊穣をもたらすという思想がありました。この思想に「ミルク信仰」がとり入れられ、「ミルク」は年に一度、東方の海上から五穀の種を積み「ミルク世」をのせた神船に乗ってやってきて豊穣をもたらすという信仰が成立しました

ミルク仮面
 沖縄のミルクの仮面は布袋様の顔をしており、日本内地の仏像にみられる弥勒仏とは全くかけ離れた容姿をしています。これは、沖縄のミルクが、日本経由ではなく、布袋和尚を弥勒菩薩の化生と考える中国大陸南部の弥勒信仰にルーツをもつためであると考えられています。
 布袋和尚は実在の人物と考えられ、唐末期、宋、元、元末期の4人の僧が布袋和尚とされています。彼らは大きな腹をし、大きな布袋をかついで杖をつき、各地を放浪したといわれています。12世紀頃の禅宗でこの布袋を弥勒の化身とする信仰が始まりました。この布袋=弥勒と考える信仰は中国南部からインドシナ半島にかけて広まりました。これが八重山諸島にも伝播することとなったのです。

経緯
 1791年、公務で八重山から首里に向う海路で嵐(台風)に遭い安南(ベトナム)に漂着した「大浜用倫」氏は、その地で「弥勒菩薩」の行列に遭遇します。初めて目にした衆生済度の弥勒菩薩に深い感銘を受け、面と衣装を譲り受けたと言います。その後首里に辿り着いたものの、すぐに八重山に戻ることができなかったため、一足先に八重山へ帰る随行者・新城筑登之氏に面と衣装、自作の「弥勒節」を託します。(本人は帰路、今度は中国に漂着、客死しました。)筑登之氏が持ち帰った品々は、「八重山が豊かになるように」という「用倫」氏の切なる願いが詰まったものでした。これが八重山諸島のミルク信仰の始まりとされています。
 「弥勒(ミロク)」が訛り「ミルク」と呼ばれるミルク信仰は、八重山のすべての島々に受け継がれています。

 
白保老人クラブ・白保婦人会による白保節です。
 
白保小学校鼓笛隊です。
 
ここより「稲の一生」が始まります。

まずは第1実行組合からスタートです。 最初は悪虫払い(アブシバライ:アブシバレー)です。
   
 
田打ちです。  
 
     
水牛も登場して田圃の整地、タックルバシャーです。 代掻きを行っている様子です。
 
これは種蒔きです。
 
予め苗を田圃に投げ入れて植える準備を演じます。
     
稲植え(ターイビ)の様子です。本物の稲の苗を使っています。
 

ここからは第2実行組合が演じます。 子供達は田草取り(雑草取り)を演じます。
     
パピル節です。 胡蝶の舞(ハビルの舞)は、受粉の様子を演じているようです。
 
稲刈り(メッカリ)の様子です。
     
右手に鎌、左手に刈り取った稲穂を持っています。
 
脱穀です。
     
足踏み式の脱穀機を使っています。
     
籾俵運搬です。水牛が引っ張っています。 水牛に鞭を入れると、水牛が怒ったりサボったりします。
 

ここからは第3実行組合が演じます。 「ウタマムレ」です。背中に赤子を背負っています。八重山の子守唄として、「月ぬ美しゃ」同様に有名な民謡「あがろうざ」に合わせ、子守姿の女の子達がパレードします。農作業で忙しい親の代わりに、年長の女の子が赤子の子守をしている様子を演じているようです。
 
稲摺(稲シリ)です。
     
稲シサギです。
 

ここからは第4実行組合が演じます。
     
下の写真のニーニーは観客に無料でミキ(米で作った清涼飲料水)を配っています。 かつて私も頂いたことがありますが、それはミキを泡盛で割ったものでした。(アルコールたっぷりでした。)
     
ヨイシン(米俵奉納)です。皆で米俵を載せた荷車の綱を引きます。 「新安里屋ユンタ」の曲が流れていたような・・・
 
収穫した白米の俵を奉納する様子を演じ、ヨイシーヨイシーの掛け声に合わせ、大きな俵を運びます。
 
 
合間に笠踊りもあります。
 

最後は第5実行組合が演じます。 オウシマダニの駆除のため、かつては牧場などの池に薬浴施設を設け、牛を薬浴させていたのをコミカルに再現したものです。牽引車の後に小さなプール(水槽)が載せてあり、ここに牛を放り込んで殺虫する様子を演じています。
     
野鼠(野ネズミ)たちの登場です。 ヘリコプターによる害獣(虫)駆除が行われますが、ここでは野鼠退治の様子が演じられます。
     
かつて稲の一生は4班で行っていたそうですが、人口増加・集落の拡大に伴い第5実行組合が創設されたそうです。 それに伴い、ヘリコプターを使用した近代・未来の農業を演じるようになったそうです。機長さんは機上から駆除剤の代わりにアメなどを会場に撒き、子どもたちが必死にそれを拾い集めます。
 

「稲の一生」が終わり、ここからは白保中学校による校歌ダンスです。
     
次は白保青年会歌とダンスです。
 

その後は会場内を旗頭が乱舞し、豊年祭りも最高潮に達します。 司の前で旗頭が担がれます。
     
時刻は19時45分頃で西の空はまだまだ明るいです。熱狂的なガーリー(歓喜の乱舞)で盛り上がります。 旗頭に明かりが灯されます。
 

ここからは五穀の種子の献上が演じられます。

松明が灯される中、東のビギリ神から西のブナリ神への五穀の種子の献上が行われます。 木製の板で出来た2つの板舞台はゆっくりと両側から中央に向かって進んできます。
     
白保では他集落のような武者同士の戦い(ツナヌミン)はなく、五穀の種子の献上のみが行われます。写真の右は東のビギリ神で、左は西のブナリ神です。そして、このようにビギリ神からブナリ神へ五穀の種子の献上が行われます。
 
ビギリ神が立ち上がります。 そうすると速やかに両者は離れていきます。その移動スピードには驚かされます。
 
最後は大綱引きです。

日が落ち、最後の行事である大綱引きでムラプールが締めくくられます。沖縄では綱引きの綱は龍の化身ともいわれ、水神、龍神への感謝を込めてという意味で始まったようです。両側から雄綱と雌綱の結び目が御嶽の前に運ばれます。 雄綱と雌綱が結びあわされます。綱の長さは100mとも言われています。
     
綱引きが始まります。ニーニーが結び目の上に乗って掛け声をかけ応援します。
 
白保の人達だけでなく観光客も参加しての綱引きとなります。東(海側)が勝てば豊漁、西(山側)が勝てば豊作です。 激しく引きあった綱引きは西に軍配が上がり、豊作が約束されました。この大綱引きは20時頃に終了しました。

この後、万歳三唱と閉会の挨拶が行われ、豊年祭は終了しました。
 
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