白保の豊年祭2014  作成 2014.08.23

 石垣島でも芸達者な人が多い白保集落、ここで開催される豊年祭は、旧暦6月末頃(新暦の7月下旬から8月上旬)に開催されることが多く、八重山のなかでも非常にユニークかつユーモラスな豊年祭と言われています。
 白保の豊年祭は、他の地域と違って稲の播種から収穫までの過程を表現する65年の歴史を育んできた「稲の一生」という他にはない独特の行列(物語)が演じられます。この行列は白保集落を5班に分けて、各班が分担して稲の物語を演じるものです。参加者の中には、女装した男性や、顔を白塗りの化粧をした人とか、白保集落の住民総出で、賑やかに繰り広げられます。
 この「稲の一生」の他にも、ミルク行列、旗頭、大綱引きなどが奉納され、白保の豊年祭(ムラプール)は見ごたえがあります。

 2014年の白保豊年祭(ムラプール)は、7月19日(土)の16時半頃から良い天気の下でスタートしたのですが、途中2回、計20分弱、強烈なスコールに見舞われました。ずぶ濡れになる間も「稲の一生」は演じ続けられていました。
 スコールが過ぎ去ると辺りは夕闇に包まれるようになり、五穀の種子の授受、大綱引きで祭りは最高潮に達し、20時半頃に終了しました。

 豊年祭の開催日は毎年旧暦5月上旬(新暦6月頃)の神行事にて正式決定され、八重山各地域の豊年祭で最後の開催となることが多いようです。(2014年は例外で7月19日の開催となりました。)
 ムラプール前日のオンプールでは、21時すぎから24時頃まで白保集落内四ヶ所の御嶽(嘉手苅御嶽(カチガラオン)、真謝御嶽(マジャオン)、波照間御嶽(ハテルマオン)、多原御嶽(ターバルオン))にて舞台芸能や巻き踊りが行われます。真謝御嶽、波照間御嶽での行事が比較的規模が大きく、多原御嶽の行事が一番規模が小さなものとなっています。
 ムラプールは飾墓御嶽(カツァリバオン)[嘉手苅御嶽と同一敷地内]前にて開催されます。開始時刻は一般に17時とされていますが、これはミルク行列が始まる時間で、実際には16時半に旗頭奉納が始まります。なお、ムラプールのパレードは国道390号側から海側(西から東)に向かって進みます。
 会場周辺には駐車スペースがありませんが、少し離れた場所には路上駐車可能です。市街地からは路線バスやタクシーを利用するとよいでしょう。タクシーだと片道2,000円前後です。

白保の豊年祭(ムラプール)2014の様子

 
豊年祭の会場は飾墓御嶽(嘉手苅御嶽)の前の道路です。 道路の反対側が観覧席となっています。正面が西方向です。
ムラプールの開始前に、御嶽へ旗頭の奉納を行います。 ここはオーセ(WWFしらほサンゴ村の向い)です。

 

ムラプールのパレードは、16時半頃からの旗頭奉納からスタートします。 こちらは司(ツカサ)の皆さんです。
神司(カンツカサ)とも呼びます。
男達がサーサーサーサーとかけ声をかけながら旗頭を腰に乗せて練り歩く様は勇壮です。 周囲を女性たちが取り囲み踊ります。

 

中学生による鐘・イリク太鼓の奉納で幕開けです。

 

17時頃に、写真のように司たちが「ミルク加那志」の来訪を出迎えます。 白保でミルクの役を務めることができるのは、孫の代まで三代に渡って健在な一家の主のみで、後ろに続くのは皆その子孫とのことです。 今年は第14代ミルクを引き継いだ金嶺さんの親族約30人家族が練り歩きました。進む速度は非常にゆったりとしています。
司たちの前まで、「ミルク加那志」が進んできたところです。 ミルク行列の後、それに合わせたようにスコールがやって来て文字通り世果報(ユガフ)雨となりました。

 

ミルク神とは
 不思議な顔をした白い仮面を被り、鮮やかな黄色い服をまとい、右手に団扇、左手に杖を持ち、優雅に団扇を扇ぎながら多くの供を引き連れ、「弥勒節(ミルクブシ)」の唄声とともに現れるのは、「ミルク」と呼ばれる神さまです。「ミルク」は八重山諸島のさまざまな神行事に登場します。

ミルク信仰
 沖縄においては、もともと東方の海上にあって神々が住む「ニライカナイ」という土地があり、神々がそこから地上を訪れて五穀豊穣をもたらすという思想がありました。この思想に「ミルク信仰」がとり入れられ、「ミルク」は年に一度、東方の海上から五穀の種を積み「ミルク世」をのせた神船に乗ってやってきて豊穣をもたらすという信仰が成立しました

ミルク仮面
 沖縄のミルクの仮面は布袋様の顔をしており、日本内地の仏像にみられる弥勒仏とは全くかけ離れた容姿をしています。これは、沖縄のミルクが、日本経由ではなく、布袋和尚を弥勒菩薩の化生と考える中国大陸南部の弥勒信仰にルーツをもつためであると考えられています。
 布袋和尚は実在の人物と考えられ、唐末期、宋、元、元末期の4人の僧が布袋和尚とされています。彼らは大きな腹をし、大きな布袋をかついで杖をつき、各地を放浪したといわれています。12世紀頃の禅宗でこの布袋を弥勒の化身とする信仰が始まりました。この布袋=弥勒と考える信仰は中国南部からインドシナ半島にかけて広まりました。これが八重山諸島にも伝播することとなったのです。

経緯
 1791年、公務で八重山から首里に向う海路で嵐(台風)に遭い安南(ベトナム)に漂着した「大浜用倫」氏は、その地で「弥勒菩薩」の行列に遭遇します。初めて目にした衆生済度の弥勒菩薩に深い感銘を受け、面と衣装を譲り受けたと言います。その後首里に辿り着いたものの、すぐに八重山に戻ることができなかったため、一足先に八重山へ帰る随行者・新城筑登之氏に面と衣装、自作の「弥勒節」を託します。(本人は帰路、今度は中国に漂着、客死しました。)筑登之氏が持ち帰った品々は、「八重山が豊かになるように」という「用倫」氏の切なる願いが詰まったものでした。これが八重山諸島のミルク信仰の始まりとされています。
 「弥勒(ミロク)」が訛り「ミルク」と呼ばれるミルク信仰は、八重山のすべての島々に受け継がれています。

 

ここより「稲の一生」が始まります。

1班からスタートです。子どもたちが鎌を振り回し草刈りを演じています。 スコールの中ですが、一生懸命演じています。

 

田植え(ターイビ)の様子です。本物の稲の苗を使っています。 苗を田んぼに投げ入れ、植える様子を演じています。

 

2班は雑草取り(除草)のように思われます。 手元にプログラムがなかったため、子供達の動作からは何を演じているのかよく理解できませんでした。

2班の胡蝶の舞(ハビルの舞)では、受粉の様子を演じているようです。 春の様子を表しているようにも思われます。

 

3班は収穫から脱穀、精米です。これは稲刈り(メッカリ)の様子です。 右手に鎌、左手に刈り取った稲穂を持っています。

 

畑を耕す水牛です。再び凄いスコールが来たため撮影困難となりました。前の方はムシロで背中を雨から守っています。水色の傘の向こうに黒色の水牛が見えます。 この水牛は、代掻きを行っているようなので、本来はもっと早いタイミングで登場すべきだったかと思われます。スコールのせいかも?

 

脱穀の様子です。 懐かしい足踏み式脱穀機です。

 

収穫した稲の運搬の様子です。水牛が引っ張っています。 水牛に厳しく鞭を入れていますが、水牛が怒ってサボったりしています。

 

次は、もみすり(イニシリ)の様子です。
精米と思われますが、餅つきのようにも思われます。

 

八重山の子守唄として、「月ぬ美しゃ」同様に有名な民謡「あがろうざ」に合わせ、子守姿の女の子達がパレードします。 農作業で忙しい親の代わりに、年長の女の子が赤子の子守をしている様子を演じているようです。

 

4班は収穫した白米の俵を奉納する様子を演じ、ヨイシーヨイシーの掛け声に合わせ、大きな俵を運びます。 下の写真のニーニーは観客に無料でミキ(米で作った清涼飲料水)を配っていて、私も頂きましたが、実はそれはミキを泡盛で割ったものでした。
こんなユーモラスな余興(?)もあります。 合間に笠踊りもあります。

 

オウシマダニの駆除のため、かつては牧場などの池に薬浴施設を設け、牛を薬浴させていたのをコミカルに再現したものです。 牽引車の後に小さなプール(水槽)が乗せてあり、ここに牛を放り込んで殺虫する様子を演じています。

 

最後の5班は、ヘリコプターによる害獣(虫)駆除です。ここでは野鼠(野ネズミ)退治の様子が演じられています。かつて稲の一生は4班で行っていたそうですが、人口増加・集落の拡大に伴い5班が創設されたそうです。 それに伴い、ヘリコプターを使用した近代・未来の農業を演じるようになったそうです。機長さんは機上からお菓子などを会場に撒き、子どもたちが必死にそれを拾い集めます。

 

ここからはツナヌミンです。稲の一生が終わると松明が灯される中、東のビギリ神から西のブナリ神への五穀の種子の献上が行われます。下の写真は西のブナリ神です。 白保では他集落のような武者同士の戦いはなく、豊作の種子授けのみが行われます。下の写真は東のビギリ神です。
木製の板で出来た2つの舞台はゆっくりと両側から中央に向かって進みます。 そして、このように東のビギリ神から西のブナリ神へ五穀の種子の献上が行われます。
種子授けを終えると速やかに両者は離れていきます。 その移動スピードに驚かされます。

 

会場内を旗頭が乱舞し、豊年祭りも最高潮に達します。 時刻は20時過ぎです。西の空がまだ明るい。

 

日が落ち、最後の行事である大綱引きでムラプールが締めくくられます。こちらは西側の綱です。 沖縄では綱引きの綱は龍の化身ともいわれ、水神、龍神への感謝を込めてという意味で始まったようです。こちらは東側の綱です。
雄綱と雌綱が結びあわされ綱引きが始まります。
綱の長さは100mとも言われています。
ニーニーが結び目の上に乗って応援します。
白保の人達だけでなく観光客も参加しての綱引きとなります。東(海側)が勝てば豊漁、西(山側)が勝てば豊作です。 激しく引きあった綱引きは西に軍配が上がりました。
豊年祭はほぼ20時半頃に終了しました。

 


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