四ケ字の豊年祭(ムラプール)2023  作成 2024.03.03


 石垣島最大の伝統行事は、五穀豊穣に感謝し来夏世(クナツユ)の豊作を祈願する「豊年祭」ですが、その豊年祭の中でも一番規模が大きく賑やかなのが四カ字(シカアザ)の豊年祭です。四カ字とは、石垣島の市街地(中心部)にある「新川」、「石垣」、「大川」、「登野城」の字(アザ)のことで、豊年祭はこれらの地区が合同で行うものですが、最近は四ケ字だけでなく、周辺の新興集落(ex.双葉公民館)も参加するようになっています。

 四ケ字の豊年祭は二日間にわたり開催され、一日目のオンプール(御嶽プール:フバナアギ)は各地域の御嶽で開催され、二日目のムラプール[*1](村プール:ユーニガイ)は、新川地区が「大川」「石垣」「登野城」の各地域を招き、真乙姥(マイツバ)御嶽にて合同で開催されます。

 ムラプールでは、各字会や各種団体の自慢による旗頭や伝統芸能が奉納されますが、特色あるそれぞれの旗頭や奉納行事・伝統舞踊を一堂に見る事ができます。
 また、豊穣の神が出現する「五穀の種子授けの儀」、女性だけで繰り広げられ子孫繁栄を祝う「アヒャー綱」、勇壮な「ツナヌミン」、「大綱引き」など見ごたえのあるものも多くあり、夜遅くまで賑やかに行われます。

 2023年の四カ字豊年祭は、当初8月3、4日に予定されていましたが、台風6号の接近で順延されました。
 ムラプールは8月6日(日)午後3時半から、新川の真乙姥御嶽(マイツバオン)で実に4年ぶりに通常開催されました。

 当日は、旗頭が14本立ち、巻踊りをはじめ数多くの芸能が神前に奉納されました。

 

 四カ字の豊年祭の開催日は新暦の7月中旬から8月上旬頃であり、1日目は市内四ヶ所の御嶽でオンプール、2日目は真乙姥御嶽[*2]でムラプールが行われます。
 2023年のムラプールのスケジュールは例年同様、以下のようになっていました。しかし、この年も例年同様「巻踊り奉納」は長引き、「五穀の種子授けの儀」は約40分遅れて開催され、またツナヌミンも約20分遅れで開催されました。[原則ツナヌミンは日没後、周囲が暗くなって松明の明かりが映える頃からの開催となります。] 
 ムラプールを見学する場合、メインとなる行事は凡そ15時30分~21時頃までの間と捉えておくとよいでしょう。

【真乙姥御嶽でのムラプール予定表】
 
15:30
16:00
17:30


19:30
豊年祭祝典
巻踊り奉納
五穀の種子授けの儀
アヒャー綱[*3] 
 (西へ大綱の移動)
ツナヌミン[*4]・大綱引き[*5]
 
[*1] 豊年祭は、「プール」、「プーリィ」、「プーリン」などと各字(村)によって呼び方が多少異なります。これを漢字に当てはめると「プー=穂:五穀」、「ル(リィ、リン)=礼:儀礼」を意味し、つまりは「穂の儀礼」ということになろうかと思います。
[*2]  真乙姥は、16世紀初頭のオヤケアカハチの乱で王府軍に味方して勝利に導いた功績により、神として祀られていて、その遺徳をしのびムラプールの会場(祭場)になっているそうです。各字会は午後から各御嶽の旗頭を先頭に真乙姥御嶽に集まります。なお、各字会には、それぞれの字会を象徴する2本の旗頭があります。
[*3]  【アヒャー綱】 (「アヒャーマ綱」とも言います。)
 「アヒャー綱」は女性だけで繰り広げられます。ブルピトゥ(棒貫人)に選ばれた女性が神司から授かったブル棒(貫棒:カヌチ棒とも呼ばれます)で雌雄の大綱をつなぎ合わせると、取り囲んだ大勢の婦人たちが「サァー、サァー、サァー、サァー」と掛け声を上げガーリー(歓喜の乱舞)で熱狂、盛り上がります。「アヒャー」とは、貴婦人という意味だそうです。
[*4]   【ツナヌミン】
 「アヒャー綱」の後、豊年祭の会場は水元の神前と言われる真乙姥御嶽の約200m西側の場所に移動します。綱は市民や観光客が持って移動します。 そして、日が傾きかけたころ、綱の両側から松明に囲まれて、東から「なぎなた」、西から「鎌」を持った武者が板舞台に乗せられてきて、綱の中央で勇壮なツナヌミンを演じます。
[*5]   【大綱引き】
 フィナーレは大綱引きで、東西に分かれ合図とともに大勢の市民や観光客が東西に綱を引きあいます。2023年は東が勝ちました。(1回勝負)
   

四ケ字の豊年祭(ムラプール)2023の様子


各字会や公民館、学校、各種団体の旗頭が建てられています真乙姥御嶽周辺では13時頃から車両は通行禁止となり、旗頭の支障にならないよう信号機も予め向きが変えられます。 新川字会副会長の会式のことばです。時刻は15時半過ぎです。
新川字会の会長さんの挨拶です。   こちらは、中山石垣市長の祝辞です。
 
登野城字会長の祝辞です。   沖縄県八重山農林水産振興センター所長の乾杯で、奉納舞踊等がスタートします。 
 
 
ここからは「各種芸能(巻踊り)の奉納」です。

樹齢2~300年と言われるオオバアコウの巨樹の下の広場(境内)で各種芸能が奉納されます。 最初は新川字会の旗頭奉納(スナイ)です。新川の旗頭はターガシラ(田頭=田と鍬、鎌を組み合わせたデザイン)とヤーガシラ(矢頭=矢と的のデザイン)で、旗文字は「祈豊」と「請福」です。旗頭の舞の後、旗頭はこのように鳥居の左右に縛り付けられます。(なお旗頭奉納は全ての団体が行います。)
シルシバタ、グクと呼ばれる稚児が捧げ持つ旗と籠の五穀を奉納します。
  白衣、白鉢巻きにクバ扇を持つ姿で4人の婦人でなる水の主(ミズヌス)。
 
ユームツ、ウヤジュウと呼ばれる新川字会長ら役員と村の長老が合掌してヤ-ラーヨーを歌いながら入場します。  
 
ザイを振って舞の所作をする婦人たち。  
 
ターラグと呼ばれる人も登場(後方中央)。子どもたちも参加します。ユラス、イニスリ(稲摺)、マスタテを演じます。   こちらは稲摺(イニスリ)?
 
杵を持った踊りのようです。 アズンと呼ばれます。   マスタティ、ターラグ?
 
こちらは 手に鎌を持っています。荒れ田の草を払う様子を表現した鎌払(ガギバライ)と呼ばれる演目です。 こちらは手に鋤を持っています。田打(ターウツ)と呼ばれます。
 
鉦に合わせて太鼓を打ちます。    
 

ここからは双葉公民館の皆さんによる奉納です。 鉦を打ち鳴らし、鉦に合わせて太鼓が打たれます。
婦人たちによる巻踊りです。 奉納舞踊(スナイ)が次々に演じられます。
 

ここからは大川字会の皆さんによる奉納です。
法螺貝が吹き鳴らされ、鉦に合わせて太鼓が打たれます。
ご婦人たちによる三板(サンバ)を使った踊りが奉納されます。
 

ここからは石垣字会の皆さんによる奉納です。 法螺貝が吹き鳴らされ、鉦に合わせて太鼓が打たれます。
ご婦人たちによる笠を使った踊りです。
 
 

ここからは登野城字会の皆さんによる奉納です。 法螺貝が鳴らされ、鉦に合わせて太鼓が打たれます。
 
ご婦人たちによる巻踊り奉納です。
 
 

JAおきなわ」の皆さんによる奉納です。
 
 

「石垣島製糖(株)」の皆さんによる奉納です。 鉦鼓の奉納です。
 
 

「石垣中学校」の皆さんによる奉納です。   手に苗を持って…。
 
田植えの様子を演じています。  
こちらは鎌を持って稲刈りの様子を演じたものです。 刈り取った稲を手にしています。
太鼓(パーランクー)や三板を打ち鳴らし収穫の喜びを表します。
 

「八重山農林高校」の郷土芸能部の皆さんによる奉納です。 郷土芸能部は第47回全国高等学校総合文化祭の郷土芸能・伝統芸能部門で最優秀校・文部科学大臣賞を受賞しました。
稲作をテーマにした舞踊です。これは田植えの様子です。  
 
一連の稲の収穫の様子がよく表され素晴らしいです。
  籾摺りor餅つき?
千歯扱き (せんばこき)による脱穀の様子です。    
 
無事収穫できたことを皆で祝います。
 

 「東京八重山会」の皆さんによる奉納です。   真乙姥御嶽の神司さんです。
 
 
 

各団体の奉納後、「五穀の種子授けの儀(グクシュシサズケノギ)」が行われす。

まずは通りが広く空けられます。    
 
東から稚児を連れた五穀豊穣の神(農の神:ユーヌヌシ(世の主))が板舞台に乗って登場します。時刻は18時10分頃です。  
    西からは真乙姥御嶽の巫女が現れます。こちらも板舞台に乗っての登場です。
 
  真乙姥御嶽の前で双方が出会います。
 
農の神が真乙姥の神(巫女)に五穀(稲、粟、麦、大麦、甘藷)の種子を授けます。
種子が授けられたところです。これにより来年の豊作が約束されると言われています。
扇を挙げ種子が手渡されたことを表しています。これで来夏世の豊穣が約束されました。
授受が終わると両者は凄いスピードで再び東西へと離れていきます。それを祝って女性たちが喜び踊ります。
 

 無事、「五穀の種子授けの儀」が終わると、次は女性のみで行われる「アヒャー綱」の儀式に移ります。男性は、この儀式が終わるまで綱には触わってはいけないそうです。
 「アヒャー綱(「アヒャーマ綱」とも言います。)」は女性だけで繰り広げられます。ブルピトゥ(棒貫人)に選ばれた女性が神司から授かったブル棒(貫棒:カヌチ棒とも呼ばれます)で雌雄の大綱をつなぎ合わせると、取り囲んだ大勢の婦人たちが「サァー、サァー、サァー、サァー」と掛け声を上げガーリー(歓喜の乱舞)で熱狂、盛り上がります。「アヒャー」とは、貴婦人という意味だそうです。

 アヒャー綱は、四カ字豊年祭の神事の最後に行われる熱狂的な女性だけの綱引で、真乙姥御嶽の前で行われます。男綱と女綱を結び合わせるブル棒を貫く役目の中役は(この役目は「ツナブルピトゥ」と呼ばれます)、今でも新川出身で在住の婦人に限られますが、綱引はよその村の婦人も一緒に参加しています。(1948年頃までは、字新川の女性だけが綱引をやっていたそうです。) 中役に選ばれるのは大変名誉なことですが、選ばれる条件は夫が健在で夫婦円満の家庭の方だそうです。

 現在のような形で四ヵ字豊年祭が行われるようになったのは与那覇在番(よなはざいばん)の時代(1778~80)からと言われ、約230年以上の歴史ある祭りです。
 アヒャー綱の始まりは、次のように伝えられています。

 『昔、新川(あらかわ)村がまだ石垣村と分離していなかった頃、石垣村の知念家に航海術に大変優れた男がいた。琉球王府へ貢物を届ける仕事をこの男にお願いすると、誰よりも短時間で、安全に航海してきたので「宇根通事(ウーニトゥージ)(ウーニ:舟、トゥージ:船頭)」と呼ばれた。通事の妻は、いつも真乙姥御嶽の神様に夫の無事をお願いしていたが、あるとき目が見えなくなってしまった。困った通事は妻と相談して補佐役として第二婦人を持つことにした。通事が上覇するときには二人の妻が真乙姥御嶽に祈願しながら待った。
 ある年のこと、通事は王府からの帰りに遭難して唐国に流された。一年たっても帰らなかった。二人の妻は真乙姥御嶽に「夫を無事に帰してくれたら恩返しに綱引をして感謝の意を表しましょう」と言って祈願した。
 ある日、御嶽で祈願していた本妻が「長崎の浜に明かりがついている。夫が帰ってきたのではないか」という。もう一人の妻は「盲目の本妻が見たのなら神様の知らせではないか」と、翌朝早くに浜へ行って見ると、夫の舟が帰っていた。
 二人の妻は喜び勇んで真乙姥御嶽に詣で、約束の綱引をしようとしたが材料がない。そこで、近くの井戸のつるべ紐をはずして縄にない、綱引をして見せた。その後、士族の妻達が、通事の妻にあやかって王府に出向く夫の無事を祈って願を掛け、役目を果たして帰ってくると綱引をして御礼詣でをした。』

 以来、この綱引を、アヒャー綱と言うようになったそうです。なお、綱は龍の化身ともいわれ、水神、龍神への感謝を込めているとも言われています。 

 アヒャー綱は、女性だけで行うものですが、実際に綱を引くことはしません。神司からブルを受け取ったツナブルピトゥは、他の婦人たちが真乙姥御嶽の前に準備された雄綱と雌綱を絡ませて作った隙間にブル棒を差し込み、綱の上に乗ります。その綱はそのまま祭の中央へ運ばれ、そこでツナブルピトゥは綱から降りてブル棒を引き抜き御嶽へ戻します。この儀の間「サァーサァーサァーサァー」という凄いパワーの女性たちの掛け声と巻踊りが繰り広げられますが、これは豊穣の模擬行為を示していると言われています。
 [石垣島検島誌より一部引用]


 
巻き踊りからスタートします。時刻は18時20分頃です。 旗頭も一緒になり一層盛り上がります。
「ブルピトゥ(棒貫人)」は、拝殿で神司からブル棒(貫棒:カヌチ棒)を授かります。写真中央左の棒がブル棒です。   「ブルピトゥ(棒貫人)」はブル棒で雌雄の大綱を両側から持ち寄りつなぎ合わせます。
 
大綱をつなぎ合わせている最中ですが、この年は撮影によい場所の確保ができませんでした。   「ブルピトゥ」は、手を合わせ神司に無事に綱が結ばれたことを伝えます。 (中央)
 
その後は周囲の女性たちが「サァー、サァー、サァー、サァー」と掛け声を上げる「ガーリー」で盛り上がります。    この方が「ブルピトゥ」です。「ブルピトゥ」は一生に一度の大役で、しかも1年に一人という、女性にとっては大変名誉のある役だそうです。
 

「アヒャー綱」の儀式の後、ブル棒が抜かれ2本になった大綱を見物客も参加して皆で水元の神前とされる真乙姥御嶽の西側200mの場所まで移動させます。 皆で力を合わせ引っ張っていきます。 また、全ての旗頭も同様に移動させます。
全ての旗頭は所定の位置に固定されます。ここは中央部。   こちらは東側です。大綱と全団体の旗頭が移動が完了する頃、ちょうど日が暮れます。随分と暗くなってきました。
 
 
【参考】 2023年奉納の旗頭の旗文字

集落・団体名 旗文字 意味
新川 請福 福の世を請い願う
祈豊 豊穣を祈る
双葉 和衷協力 心から協力し合い平和を願う
大川 瑞雲 恵みの雨をもたらし豊穣であるように
祈時雨順風 秋の終わりから冬の初めの季節を知らせる時雨が降り、穏やかな風が吹くのを祈る
石垣 五風十雨 ものを潤し育てる恵みの雨に感謝
押風黄金 気候が順調で農作物が黄金のように実る五穀豊穣を祈念
登野城 天恵豊 天の神々の恵みが豊かさをもたらし、来夏世の豊作を祈る
雨沛下 沛然と降る雨。激しく降る雨
JAおきなわ 瑞雲慈雨 瑞雲を呼び、慈雨に恵まれ万物の豊かさを祈る
石垣製糖 庶穂 甘庶の順調な生育を祈る
石垣中学校 善遊善学 善く遊び善く学べ
八重山農林高校 自然恵 これは自然が与えてくれた恵
八重山会 一陽来復 冬が終わって春(新年)が来る


綱の移動が終わると、八重山農林高校郷土芸能部の皆さんの踊りで場が盛り上がります。 踊りはマミドーだったかな。
  板舞台に乗った俵?の登場かな。
周囲の照明が消され、旗頭に明かりが灯されます。

 大綱の移動を終えるといよいよ「ツナヌミン」です。
 日が傾きかけたころ、綱の両側から松明に囲まれて、東から「薙刀」、西から「鎌」を持った武者が板舞台に乗せられてきて出会い、大綱の中央で勇壮なツナヌミンを演じます。
 「ツナヌミン」とは「綱の耳」、つまり綱引きの結びあう先端の「耳」を表しています。なお、地元の方の中には、この「ツナヌミン」のことを「牛若丸と弁慶」と呼ぶ方もおられます。


東西から武者が板舞台に乗せられてゆっくりと登場します。周囲の照明は全て落とされ松明の明りだけがたよりです。時刻は19時50分頃です。 東は薙刀を持ち、西は鎌を持っています。飾り手(歌舞伎でいう「見得」のような動作)を決めながらやってきます。
爆竹の合図で戦いが始められます。今回も見学しやすいポジションを確保することができました。 新川の奉納芸能をほかの字の人たちが下から支えます。
不安定な板舞台の上で武者が華麗に乱舞する姿は勇壮です。周囲は指笛の音で盛り上がります。3分30秒の闘いです。
 
最後の見栄を張り、爆竹の合図で終わると同時に凄いスピードで元の場所まで戻ります。
 
 フィナーレの「大綱引き」では東西二組に分かれ合図とともに大勢の市民や見物客が綱を引きあいます。
 組み合わせは、兄弟村といわれる登野城と石垣が雄綱で東の組、大川と新川が雌綱で西の組に別れて引きます。
 雌雄の綱が合わされると貫棒が差し込まれ(この準備作業には毎回結構手間取ります)、号砲とともに東西へ引き合います。鉦や太鼓に加え、掛け声や指笛も飛び交います。勝負がつくと再び号砲が鳴らされ終了します。1回勝負です。


見物客も参加できます。凄い熱気の中で綱を引き合います。
綱の上に乗り声援を送ります。 引き合いの真っ最中です。
2023年の大綱引きは東が勝ち、皆で万歳をします。
 
 終わると参加者は大綱に取り付けられた細い引き綱(縁起物)を取り、持って帰ります。
 以上で5時間以上にわたるムラプールが終了です。

 この後、各字会は旗頭を出身集落に持ち帰ります。一通りの行事が終わった後も片づけなければならない作業が多々あり、各地区のメンバーは夜遅くまで相当大変なようです。
 多くの人びとの力によって豊年祭が開催されていますが、この伝統的行事がいつまでも続いていくことを願わずにいられません。

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