八重山諸島では1972年(昭和47年)から1982年(昭和57年)までの10年間、八重山観光フェリーが、石垣島・竹富島・黒島・小浜島・西表島間で「蛟龍:こうりゅう」というホバークラフトを運航していました。(初就航は7月18日、石垣~竹富島離島間)
三井造船製のMV-PP5というホバークラフトで(三井造船では「ホーバー」と呼んだためこちらの方が親しみがあるという方もいらっしゃるかと思いますが)、定員は50名程度であったかと思います。
ホバークラフトの船内は狭く、窓側には航空機と同様の小さな窓があるものの水面上を滑走している時は水しぶきで外はほとんど見えず、また浮上用ファンと船尾の推進用プロペラの回転音で相当の騒音を発生させていました。
しかしながら、所要時間は短く、右の時刻表にもあるように実に短時間で各島間を結んでいました。
下表はホバークラフトと現在就航している高速船(ウォータージェット船)の各航路の所要時間について比較をしたものですが、これからも相当のスピード(時速80km以上)で運航されていたことが分かるかと思います。約40年前に石垣~竹富島を僅か5分で結んでいたのは驚きです。
航 路 |
ホバークラフト |
現在の高速船 |
石垣~竹富島 |
5 |
10 |
石垣~黒島 |
15 |
25 |
石垣~小浜島 |
15 |
25 |
石垣~西表島(大原) |
25~30 |
35 |
黒島~小浜島 |
10 |
- |
なお、ホバークラフトの運賃は相当高くて、当時の普通の定期船と比較すると恐らく3~4倍の運賃だったように記憶しています。
発着所については、就航当初は港湾設備がまだ十分に整備されておらず、石垣島以外の上陸スロープの無い離島では海岸の砂浜にそのまま上陸していたか(もしくは岸壁に接岸)と思います。また、離島の発着所には待合のための簡素なベンチとタラップが置かれていたようにも記憶しています。
なお、1982年に引退した後、このホバークラフト「蛟龍」は西表島大原の竹富町離島振興総合センターで屋外展示されていましたが、1996年の台風で大破したため解体されました。現在は、同じ大原の竹富町離島振興総合センター内にプロペラのみが保管されています。(右の写真参照:2010年撮影)
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