一方、長田大主のもう一人の妹、真乙姥は兄に従い王府軍のために働くことになります。オヤケアカハチ討伐後王府軍が無事首里まで帰還できるよう、祈願しこれが叶ったということから永良比金(イランビンガニ)という神職を授かることになります。その後真乙姥は人々の尊敬を集め神職としての役目を全うし、没後は立派な墓が作られ鄭重に供養されました。この墓地を訪れる人々は多く、遂には真乙姥御嶽として多くの人々から崇敬されることになりました。
この戦功により、仲宗根豊見親は宮古の頭職、その次男の真刈金豊見親は石垣の頭職に任ぜられます。長田大主は古見大首里大屋子、その他オヤケアカハチに殺害された長田大主の二人の弟の遺児や仲間満慶山の遺児等にも要職が与えられました。
しかし、栄華を誇った琉球王朝もそれからおおよそ百年後の1609年薩摩郡の侵略を受けその支配に下るという皮肉な運命を辿ることになります。
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