長田家の古墓  作成 2014.12.13

 長田家の古墓は、長田大主の子孫が古来大事に守ってきた墓です。現在は家譜を受け継いでいる長田信洋氏が管理されておられます。
 バンナ岳の麓に建てられており、亀甲状の屋根がなだらかな形状であることから、亀甲墓の中でも古くからある手法で造られた要素を持っています。 このため、長田大主の墓と考えられていますが、直接関係する資料は確認されていません。
 八重山諸島で唯一の形状で、墳墓の形成、特に亀甲墓の成り立ちを解く上でも大変重要なものとされています。
 平成26年10月24日に石垣市指定文化財(建造物)に指定されました。

長田大主(なあた うふしゅ、1456-1517)は1500年のオヤケアカハチの乱で、琉球王府軍に忠誠を誓い、同じ波照間島出身のアカハチを討伐した人物です。八重山で初めての頭職に任じられた石垣島の豪族です。
長田大主の妹の古乙姥(くいつば)はアカハチの妻でもあり、アカハチとともに大浜地区に祀られています。またもう一人の妹、真乙姥(まいつば)は、四ヶ字(石垣・登野城・大川・新川)の豊年祭が行われる真乙姥御嶽で信仰されています。

1.地図

2.写真

 長田家の古墓は、なだらかな亀甲を頂点とし、左右へ緩やかに流れる形態が類例を見ないとされています。
 古墓は幅約17m、縦7m。現在、亀甲はモルタルで補修されているます、元はしっくいによるものと推察されます。
 墓室は上方から長方形状に掘り込んで造られており、入り口部分で細くなっています。
 墓内には20基の蔵骨器(ズシガメ)が安置されており、銘書が確認できた8基の中で最も古い年代を示すものは1668(康煕7)年、最も新しい年代は1835(道光15)年と推測されます。
 古墓は、亀甲墓によく見られる墓前面部に配される臼や袖石などがなく、形態がシンプルなことなどから、亀甲墓の成り立ちを理解するのに重要とされています。
 (記事の一部は、八重山毎日新聞より引用)
 
正面左側より
右側面より
古墳全体の光景
「長田家の古墓」のある前の小路
 
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