旧宮良殿内(石垣島)  作成 2012.08.04

 宮良殿内([*1]みやらどぅんち、めーやらどぅぬじい)は、石垣市字大川にある琉球王府時代の赤瓦古民家で、八重山の行政官・宮良間切の地頭職だった宮良親雲上當演(ぺーちんとうえん[*2]:宮良家8世)が、琉球(首里)の伝統的な建築様式を模して1819年(嘉慶24年)頃に作らせた私宅で、沖縄における上級士族の屋敷構えをよく残していると言われています。

 第二次世界大戦で沖縄本島の士族家屋はことごとく焼失してしまいましたが、石垣島は戦火を免れたため、この「宮良殿内」も焼失せずにすみました。この宮良殿内は、沖縄県内において現存する殿内構造の唯一の士族家屋で、当時の士族邸宅を知る貴重な資料として1972年5月15日に国の重要文化財に指定されました。

 なお、王府時代の住宅建築は階級や制度による厳格な規制(規格)があり、八重山の頭職がこのような家屋敷を構えるのは不相応(違法)であるとして、5回にわたって王府から取り壌しを命じられたもののこれに従わず、1875年(光緒元年)に、検使の譴責にあい茅葺きに改められ、廃藩置県後の1899年(明治32年)に再び現在の本瓦葺きになりました。

【注】 宮良殿内は、現在も宮良家の住居として使用されていますので、家の中に入ることはできません。
   家の外側からの見学となりますが、立派な庭園[*3]は一見の価値があります。
   また、ご当主(お爺さん)の石垣・八重山の歴史についての講話を聞くのもよいかと思います。
   市内の中心部に位置していることもあり、是非見学されることをお勧めします。(雨天時もいいかもしれません。)

[*1]殿内         : 殿内とは地頭職の邸宅の敬称で、頭職を勤めた宮良家に対する尊称でもあります。
[*2] 親雲上(ぺーちん): 琉球の士族は、一般に親雲上(ぺーちん)と呼ばれましたが、その中でも采地を賜った者、地頭職にある者は親雲上(ぺーくみー)と発音して区別されたと言います。
古くは「大やくもい」と称し、役職に就いた者を指していたようです。「もい」は一種の敬称で、親雲上とは「大やくもい」の当て字であると言われています。
[*3]庭園         : 琉球石灰岩の巨石を多く配したこの庭園は、石垣邸庭園と同様、首里の庭師・城間親雲上(ぐすくまぺーちん)の作と伝えられています。

 【旧宮良殿内の見学について】  住所 : 石垣市字大川178番地
                      電話 : 0980-82-2767
                      営業時間 : 9時〜17時
                      定休日  : 火曜日 
                      入館料  : 200円

地図


 
1.旧宮良殿内 主屋
 462坪の屋敷に建てられた母屋は、木造瓦葺・平屋建で、部屋数は12間。
 建物の建築主材にはイヌマキ(八重山ではキャンギと呼ばれる)が使われ、その他にもセンダンや屋久杉など、硬くて虫の付きにくいものが使われています。今でも柱の軸組は非常にしっかりしています。 
主屋・玄関(上がったところが一番座) 玄関より西側
重要文化財指定の看板 屋根の造り
調度品の展示棚と一番座 (右の老人が当主) 同じく調度品の展示棚

2.旧宮良殿内 ヒンプン
 表門の中には築地塀形式のヒンプンがありますが、ヒンプン中央の中門は、重要な祭事や慶事、凶事の際のみに用いられたそうです。なお、ヒンプンの前には、国の重要文化財指定の碑があります。 
ヒンプン中央の中門 左(西)側からの眺め
ヒンプンの裏側(主屋側) 右(東)側からの眺め

3.旧宮良殿内 東築地塀
 ヒンプンの他にも敷地内には築地塀がいくつかあります。東築地塀重要文化財指定の一部となっています。 
玄関より東側(塀の裏手が庭園) 築地塀の奥は来客用トイレ

4.旧宮良殿内 石垣
 屋敷の周囲はきれいに加工された琉球石灰岩の石垣で囲われています。石垣の交差する所は、角が取られ丸く加工されていますが、これは当時、相当の有力者であったことを示すものの一つです。 
西側の石垣 西側と南側とが交差する石垣の角 (中央右側は裏門)
南西の端から東側の眺め(前の道は3号線) 南側の石垣と正門(屋敷は道路より一段低くなっています)

5.旧宮良殿内 庭園
 主屋・一番座の東側には国の名勝にも指定されている、和風の枯山水庭園があります。琉球石灰岩などで構築されるこの庭園には5つの築山があり、北側から南側に向って少しずつ低くなるように造られています。三の山と四の山の間には石橋がかけられています。また周囲には、フクギやソテツなどの木が植えられています。
 
 琉球石灰岩を使っているためか本土の枯山水庭園とは異なった独特の雰囲気がありますが、じっくり眺めると日本式の庭園であることを感じ取ることができます。また、上品な美しさを伺い知ることができます
 この庭園は日本の最南端に位置し、日本庭園の流れを知る上で貴重なばかりでなく、近世沖縄の上流階級の庭園造りを最もよく伝えるものの一つであるといわれています。
 
庭園北側の眺め 庭園東側の眺め
南側より北側の眺め  庭園南東側の眺め(右端が入口) 

6.旧宮良殿内 説明看板
旧宮良殿内および旧宮良殿内庭園説明板
重要文化財建造物 旧宮良殿内(めーらどうぬず)
         名勝 旧宮良殿内庭園

                   国指定 昭和47年5月15日
 文政二年(1819年)松茂(しょうもう)氏八代宮良親雲上当演(ぺーちんとうえん)が宮良間切頭職(まぎりかしらしょく)(八重山最高の役職)に任命されたことを記念に建造されたといわれる。上級武士の格式を備えた構えである。 建物は木造平屋づくり本瓦葺きである。 材料は総イヌマキで雨端(あまはし)柱(方言ハナシバーヤ)は根付丸太を使用している。 屋敷は琉球石灰岩の石垣で囲い、南西の中央に薬医門型式の門を建て、その西端に裏門を築いてある。 表門を入ると築地塀のひんぷんがあって、中門を開ける。 敷地のほぼ中央に主家を配置しその東側には石を組み築山を築いた庭園がある。 南東部に築地塀で囲った便所を設け、表門と裏門の間に井戸を造ってある。
 庭園は首里の庭園師城間親雲上(ぐすくまぺーちん)の設計指導によるもので、琉球石灰岩を主材料に五つの築山を築いている。 これは日本庭園の伝統様式を踏襲するもので日本庭園文化の伝播をみる上で貴重であるばかりでなく、わが沖縄の近世における上流階級の屋敷構えの中における庭園として最もよく保存されている。
                   石垣市教育委員会
                        昭和61年3月
宮良殿内庭園説明板
          史跡 宮良殿内庭園
                   昭和47年5月15日 国指定
 この庭園は文政二年(1819年)ごろ、八重山の頭職の地位にあった松茂氏八世当演のとき、作庭されたと考えられます。珊瑚石灰岩を主材料として五つの築山を、北を高く南に向って次第に低く築いています。この山と三の山との間に枯滝を落とし、三の山と四の山の間に石の反橋を架け、四の山と五の山は岩島風に作られています。また前面に平らな砂池とし、庇下には左手に一群の岩を組み、右手に蹲踞を、特に砂岩を用いて構えてあります。
 この庭園の構成の基準となっている地割は、日本庭園の伝統様式を踏襲する沖縄近世における上流階級の屋敷構えの中における庭園として最もよく保存されているものの一つです。
                   沖縄県教育委員会
                        昭和52年3月31日
 
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