野底(ぬすく)マーペー登山  更新 2013.03.16

 
1. 概要
 野底岳(野底マーペー)は、恋人を想って石になった美女マーペーの悲恋伝説の場所で、野底集落からは一際目立つ円筒状の巨岩(搭状山頂)がそそり立つ、高さ281.4mの山です。石垣島北部山岳地帯の中ではとても目立つ、いわばランドマークになっている岩山です。飛行機からもよく分かります。
 さて、その悲恋伝説というのは、1732年に黒島から強制移住させられたマーペーが、黒島に残した恋人を思い、せめて島影でも見ようと野底岳に登ったものの、於茂登岳が立ちはだかって島は見えず、絶望のあまり山頂の岩石と化したというものです。
 
2. 登山ルート
 野底岳には登山道があり、手軽に登ることができますが、登るには2つのルートがあります。
 一つは、野底集落側の山麓の登山口から登る1時間コースで、もう一つは、野底林道(野底集落と伊野田集落とを結ぶ林道)の東側から登る15分コースです。

 1時間コースの登山口は、川平側からだと多良間公民館手前から脇道に入り、西浜川を渡る橋の手前に、もしくは野底小学校を越え野底岳が美しく見える場所の右手側に「野底マーペー登山道→」の標識が立っていて、山側に向かって入っていく道を進むと、登山道「野底マーペー登山口入口」という山水会の看板があります。分かりやすいと思います。

 15分コースは、島の東側の幹線道路(国道390号線)を白保集落側から玉取崎方向に北上し、伊野田集落を過ぎてすぐの所の左手側に「野底マーペー登山口」という看板を目印に左折し林道に至る道へと入っていきます。 しかし肝心の林道へ至るまでの道は、おそらく誰もが「本当にこの道で間違いないのかなぁ?」という感じで戸惑いつつ車を進めることになりますが、暫く進んでいるとやがてりっぱに整備された林道に入っていきます。
 また島の西側からであれば県道79号線の野底集落兼城バス停の東側から野底林道に入っていくルートがあります。

 いずれもこの道を進んでいくと、途中道路脇に「野底マーべー登山口」の看板と車数台程度が停められる駐車場があり、ここに車を置いて、野底岳頂上に登ることとなります。

 野底林道東側から登る15分コースは、登山道入口まで林道が整備されていて分かりやすく、距離的にも近いということで、今回はこのコースで登りました。(楽に登りたいというのが本音ですけれど。)
   
3. 登山時の注意事項
 登山道は赤土の箇所が多々ありますが、そこはよく滑ります。途中の急勾配の場所では、ロープや木の幹につかまったりして(両手を使って)、登ることになります。色んな虫などもいますので、軍手を準備しておくとよいと思います。またシーズンによっては、ハブやヒルにも注意しましょう

 天気が良い時はスニーカーでもOKですが、雨上がりなどの場合は足下が非常に滑りやすいので注意してください。雨が降った後は道が滑りやすく予想以上に時間もかかります。尤も雨上がり直後の登山は止めることをお勧めします。 

 登山は、登る時よりも下りる時により注意が必要です。あわてず慎重に足運びをしましょう。また、他に登山者がいる場合は、道や頂上の岩などは、場所をお互いに譲り合いましょう。

 野底林道を使う場合、坂道でカーブも多いため、安全運転には心掛けましょう。また、動物保護の観点からスピードを出しすぎないように、あわせて路上の小動物にも気をつけましょう。

4.登山参考地図

地図と写真の位置関係がズレている箇所があります。また道路の一部については未記載となっている箇所があります。

5.登山記録 

野底林道入口のだいぶ手前のキビ畑の中に掲示されていた看板です。 林道の途中にある展望台です。ここからの見晴らしは結構良いものがあり、登山前の小休止にはお勧めです。上る道の両側が除草されていなかったのが残念。
 
高台の上には東屋が建てられています。 展望台から眺めた野底マーペー。どこから眺めても特徴ある形状のためすぐにわかります。
 
麓は原生林、その向こうには珊瑚礁の海が見えます。正面は玉取崎展望台です。 北東側こ目をやると、伊原間・平久保方向の山々が見えます。
 
南側に目を向けると、星野集落・マンゲー山やカラ岳が見えます。カラ岳南側は石垣空港建設予定地です。 野底林道のあちこちには、このカメ横断注意の標識が立てられています。セマルハコガメを意識したものでしょうか・・・ゆっくり路上に注意して走行しましょう。
 
また、このカンムリワシ注意の標識もたくさん立てられています。カンムリワシが車に激突しないよう、ゆっくり走行しましょう。 これは違うバージョンのカンムリワシ注意の標識です。手作りの標識ですね。
 
展望台を過ぎると登山道入口まではそれほど距離はありません。登山道の入口手前には駐車場がありますが、林道内にはこの駐車場しかありませんのですぐ分かるでしょう。登山道の入口は道路左側に見える青緑の看板が目印です。 看板を拡大したものです。「野底マーペー登山道入口」と大きく明示されています。しかし実際にはこれだけでは登山道の入口がよく分かりませんでした。
 
写真中央やや右側の、少し赤土が露出している部分が登山道入口です。登山道に入って暫くはまさに藪の中を掻き分けて進む状態が続きます。左手奥には車が数台停められる駐車場があります。(トイレ無) 藪を過ぎるとすぐに深い森の中に入っていきます。直射日光を受けることはありませんが湿度は非常に高く、相当蒸し暑く感じます。また、登山道はかなりの急傾斜で、滑りやすい所にはロープが張ってあります。
 
山頂に近づくほど傾斜は急になります。赤土の所は特に滑りやすくなっていますので注意しましょう。相当ハードで、両手両足を駆使して登ることになります。なお、途中の要所には道標がありますので、道に迷うことは無いでしょう。 頂上の岩基部には野底マーペーにまつわる歴史が書かれた看板がありますので、先に進む前に熟読されることをお勧めします。(下記参照)  2008.11.7時点では説明書きの右端部が台風の影響か、紛失した状態になっていました。
 
◇伝説 ヌスクマーペー◇
 昔、琉球王国時代、役人が国王の命として人々を一人残さず強制移住させる「道切りの法」という制度があった。
当時、黒島の宮里村のカニムイとマーペーは恋仲であったが、道切の法により享保七年(1732)に建立された新村、野底村へマーペーは強制移住させられた。
 毎日カニムイの事を思い泣きもだえていたマーペーは、近くの高い山に登ってふる里を見ようとしていたが、オモト山が立ちはだかり、何も見えなかった。
幾日もなげき悲しんだマーペーは、頂上で祈る姿で石となった。その後、人々はマーペーをあわれみ、この山を野底マーペーとよぶようになった。

 八重山歴史研究家 牧野清 山水会
 
頂上部を下から見上げたところで、山頂には大きな岩々があります。その岩に登るとさらに素晴らしい景色を望むことができます。但し足場がそんなにしっかりしていないので、注意して登りましょう。 北側の眺めです。手前の山際の緑が欠けたところは、伊野田と野底集落を結ぶ野底林道です。
 
石垣島北東部の平久保半島方向の景色は本当に素晴らしいものがあります。右側は太平洋、左側は東シナ海です。 遮るものが何もない頂上からの360度の眺め(パノラマ風景)は大変素晴らしいものがあります。東側(太平洋側)を眺めた景色ですが珊瑚礁がとても美しいです。
 
南西方向の眺めです。正面の高い山が於茂登岳(526m)ですが、この山に遮られて黒島を見ることはできません。 西側は米原から川平方面まで見え、東シナ海側の珊瑚礁が見渡せます。(写真は逆光で見づらいかもしれませんが)
 
北西側の野底集落の眺めです。わずか280mほどの小山なのですが、絶壁の上から見下ろすと、すごい高度差を味わうことができます。まさに、森の中に吸い込まれそうです。 岩と森の間に相当な高度差があるためか、ピークに立つと、あたかも自分が空を飛ぶことができるような錯覚に陥ります。
 

島の西側からの登山ルート(遠景) 

野底小学校を過ぎると右側に「登山口」の看板があります。正面に「野底マーペー」が見えます。この道をしばらく行くと登山道入口に辿り着きます。 野底集落のサトウキビ畑の向こうに聳えるマーペーです。独特の形状をした頂上部は鋭いものがあります。
 
野底集落側の登山口前の駐車場です。小川の橋を渡ってすぐの所にあります。ここに車を置いて登ります。 登山道入口の看板が設置されていますので分かりやすくなっています。

6. 伝説詳細・背景
◇民話 野底(ぬすく)マーペー

 その昔、黒島は水に乏しく、稲作はできなかったため、人々は近くの西表島に渡って稲の出作りをして税を納め、島中が一つになり助け合って暮らしていました。

 ある日、この島に首里王府の役人が急にやってきて、島の中央の十字路に杖を立て、「この杖で道切(みちきり)をする。どの方角に倒れても、文句を言わずに石垣の野底に行け。」と命じました。 当時はこの道切の方法で島民を移住させたため、道を隔てて住んでいた仲の良い兄弟、親子、愛し合う者を一度に引き裂いて、寄せ人として強制移住させられました。

 それまでにも島人は懸命に頼んだことがありましたが、取り合ってもらえず、役人の命に背くことができませんでした。 村人は息を殺し、杖の倒れる方向を見守りました。 その中に、将来を固く約束しあった気立てのやさしい娘マーペーと働き者の青年カニムイの姿もありました。

 マーペーもカニムイも共に一人っ子で、小さい頃から姉弟のように仲良く暮らしていました。 共同作業の時も、西表への出作りの時も二人は片時も離れることなどありませんでした。 そして、両親たちも気心の知れあった二人を夫婦にするのが一番いいと考えていました。

 さて、道切による、杖の倒れ具合で共に島に残れるか、さもなければどちらかが野底へ行かなければなりません。
 ところが、その杖はマーペーとカニムイとを引き裂くように道を挟んで向かいあう二人の家の間の道の方に倒れました。こうしてマーペーは島を離れなければならなくなりました。

 野底は石垣島の裏手にあり、水は豊富で土地は肥えているものの住む者もいない密林地帯で、野底へ移った400人余の黒島の人々は、木を切り、家を建て、荒れた土地を耕しました。 目の前に見えるのは果てしなく広がる東シナ海、後ろには標高およそ280メートルの険しい野底岳、黒島は山の陰となり見ることもできません。

 マーペーは、いつか黒島に帰れる、カニムイが迎えに来てくれる、そう信じてくる日もくる日も一心に働き続けました。 しかし、寄せ人で移された者はどんなことがあっても決して元の島に帰ることができませんでした。

 七夕の夜には、ウヤキ星(彦星と織姫)でさえ会えるのにと、マーペーは夜空を仰ぎながら、カニムイへの思いを募らせていました。今まで誰も住んでいなかった野底は、緑豊かに作物もだんだん実りだしてきました。

 ところが、夏の暑さが激しくなり始めた頃から高熱と寒気が繰り返し襲い、だんだん痩せ衰え死んでいく風土病マラリヤにかかる人が増えました。 そしてマーペーも発熱して倒れてしまいました。 なんとか悪い病気を振り払い、村を明るくしようと人々は、生まれ島黒島の歌を歌い、祭りを行うことにしました。

 祭りの夜、三味線や歌が聞こえてくると、マーペーは幼い頃、祭りの日に過ごしたカニムイとのことが思い出され、いてもたっていられず、こっそり村を抜け出しました。 「あの野底岳に登ればカニムイの住む黒島が見えるだろう」。 マーペーは、熱で震える体を自ら励まし、転んでは起き、起きては転びながらも、一歩一歩草に木に岩にしがみつき、必死に登りました。

 険しい岩山をやっとの思いで登りつめたマーペーは野底の頂に立ちました。 息を切らせ南の方に目をやったマーペーは、愕然として座り込みました。 目の前には標高520メートル、沖縄最高峰の於茂登岳(おもとだけ)がたちはだかり、島影すら見えることはできません。 マーペーは手を合わせ、ただ祈りつづけました。 そして、精も魂も尽き果てたマーペーは、悲しみのあまり、そのまま石になってしまいました。

 翌朝、村では姿の見えないマーペーに気づき、必死で探し回りました。 日頃、黒島が見たいと口癖のようにマーペーが言っていたので、もしやと思い両親や村人は野底岳へ急ぎました。
 ちょうど山の頂に来た時、手を合わせ黒島を向いて祈るかのように立っている不思議な石を見つけました。
 (・・・野底岳はちょうど、女の人が頭から頭巾をかぶって黒島のほうを見つめている姿をしています。)

 マーペーがふるさとの島にいるカニムイを、恋い慕って石になってから、野底岳のことを、だれというとなく、「野底マーペー」と呼ぶようになったそうです。


今もマーペーの故郷の黒島では、この悲しいマーペーの話がツィンダラ(ツゥンダラ)節として歌い続けられています。

7.ツィンダラ節 (強制移住による別離の嘆歌です。ここでは歌詞の一部を紹介します。)

歌 詞 意 味
1 サー とぅばらまーと我(ば)んとぅや (*1 ヨースリ) サー 彼と わたしは *1
童(やらび)からぬ遊(あすぃ)びとうら (*2 つんだらつんだらヨー) 子どものころからぬ遊び友だち *2
かなしゃまと此(くり)とぅや *1 彼女と彼とは *1
幼(くゆ)さからぬ睦(むつ)りとうら *2 幼いころから睦ましい間柄 *2
2 サー島(すぃま)とぅとぅみで思だら *1 サー 島にいつまでと思っていたのに *1
村とぅとぅみで思だら *2 村にいつまでもと思っていたのに *2
沖縄(うくぃな)からぬ御意志(いすぃ)ぬ *1 沖縄から御命令が *1
美御前(みょまえ)からぬ御指図(うさすぃ)ぬ *2 王様からのお達しが(下され) *2
3 サー島分(ばか)りでうふぁられ *1 サー 島分だと追われ *1
村分りでうふぁられ *2 村分けと追われ *2
うばたんがどぅけなり *1 お前等は退けと *1
野底(ぬすく)に分(ばぎ)られ *2 野底に分けられ *2
*1 「とぅばらまー」は女性より、「かなしゃま」は男性より見た恋人です。

トバラーマの語源は、「殿腹(トノバラ)」の転訛で、高貴な方々、または男子の尊称だと言われ、
「トノバラ」の「ノ」が省かれ「トゥバラ」になり、接尾愛称語の「マ」を付けたものと言われます。
女性から愛しい男性への呼び掛けのようです。


*2 「つんだら」は、八重山の言葉で「つらい」とか「かわいい」という意味があり、この歌は若い男女の悲恋の歌なので、ここでは「つらい」方の意味で使われています。
 因みに、安里屋ゆんたの囃子詞にも「つんだらかぬしゃまヨー」とあります。「カヌシャマ」は「か」の「様」、つまり「愛しい人よ」の意味です。つまり愛しい人への想いをはせた囃子詞ということになります。


 

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