旧牧志家住宅主屋(石垣島)  更新 2021.03.28 

今回は地図の修正を行いました

 石垣やいま村(旧八重山民俗園)に入ってすぐの所にある旧牧志家住宅主屋(以下牧志邸)は、沖縄本島の那覇から石垣島に移り住んだ指物職人、牧志家十一代当主宗保氏が1923年(大正12年)に長男の牧志宗得氏(医師、のちに石垣市長三期歴任(*1))の医院開業のため、二年の歳月をかけて建てたものです。
 牧志邸はイヌマキ、クロキなど八重山の一級建材を使用した八重山の代表的な建築様式の家屋で、彫刻などが巧みに施されており、全体の工法は釘を用いない貫木式となっています。

 建物は、木造平屋建、建築面積123u、寄棟造本赤瓦葺で、入母屋造屋根の玄関が付けらけています。 元診療所兼住宅の居室部分で、トコと棚のある一番座と二番座、三番座からなり、四周に縁廊下が廻れています。 建物内は間柱を省略した間取りとなっており、軒や天井を高くすることにより、開放的な空間が造られています。 なお、正・側面には雨端が設けられています。

 この主屋は、元は石垣市字大川にあったものを1980年に現在地に移築したものです。 2007年(平成19年)12月5日に国の登録有形文化財に登録されました。

(*1) 牧志宗得氏は、特に石垣島の上水道敷設に貢献した戦後第二代の石垣市長です。上水道は、於茂登岳の水源から市街地に水を通すという画期的なもので、白水の水源の発見と米国軍政府の理解と莫大な資金援助により実現されました。

地図

旧牧志家住宅主屋
 
主屋外観(1) 主屋外観(2)
建物内部(1) 建物内部(2)
説明プレート
             旧牧志邸
・旧所在地
 石垣市字大川一九八番地
・建物の歴史
 沖縄本島の那覇から石垣島に移り住んだ指物職人、牧志家十一代当主宗保氏が大正十二年、長男宗得氏(医師、のちに石垣市長三期歴任)の医院開業のため、二年の歳月をかけて建てた八重山を代表する赤瓦建築
・建物の特徴
 ・建築面積が約八十坪と当時の八重山では破格の規模
  を誇っていたこと
 ・柱止めなど建築に際して鉄釘を一本も使用していないこと
 ・イヌマキ、クロキなど八重山の一級建材を使用している
  こと
 ・建物の内、外部には指物技術を生かした彫刻が施され
  豪華さと精緻さがよく表現されていること
 
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