旧和宇慶家墓(石垣島)   更新 2015.06.27

 和宇慶家(わうけいけ)は、玻武名家から分家した大川村の旧家で、墓は本家から譲り受けたものと伝えられています。築造年代は伝承などにより、17世期後半(江戸時代中期)と考えられています。内部の石棺には、宮良間切りの頭が葬られていたそうです。

 墓は洞穴式の墓室部と、石垣で囲まれた内庭部、及び外庭部から構成されています。墓室部は、自然の岩盤を利用し、洞穴囲込墓に屋根形を加えたものとなっています。略半円形に琉球石灰岩の石垣を巡らした内庭、凸形に石垣を巡らした外庭など、発達した前庭部を備えています。

 旧和宇慶家墓は、洞穴式の墓から亀甲墓へ発展する中間の墓として典型的な形式をもつもので、沖縄地方における墳墓形式の変遷を知る好例として大変貴重なものとされています。旧和宇慶家墓は、2000年5月25日に国の重要文化財に指定されました。
  
 旧和宇慶家墓のある場所は、石垣市字大川宇志原1117番の1で、石垣市街の北方の小高い丘陵にあります。詳しい場所を説明するのは難しいのですが、凡そホテル日航の北側、八重福牧場の西側、バンナ岳が見える草地の先の林地の中にあります。
  
 この墓に関する疑問として、墓の入口の手前にある大岩(琉球石灰岩の石垣の下にある礎石の緑色凝灰岩)は周辺にない岩で、遠くから運ばれて来たと考えられています。しかし、どのように運搬したのかその運搬手段は謎です。
 
 上記の説明文については、国指定文化財等データベース(文化庁)より一部引用しました。なお、この文化庁DBで示された地図の場所(位置)は間違っていますので注意して下さい。

1.地図

2.史跡の紹介

石垣浄水場の約400m南の道路を西に進みます。 「八重山農林高校採草地」の看板のある電柱の横の道を北進します。
和宇慶家墓の標識が建っています。 うっそうと夏草が生い茂る時の様子です。
墓は洞穴式の墓室部と、石垣で囲まれた内庭部、及び外庭部からなります。 墓室部は、自然の岩盤が利用されています。

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