黒島の豊年祭2019  作成 2019.10.12

 宮里海岸で開催される黒島豊年祭は、新暦7月最終日曜日の開催を基本とし、旧暦の配置または潮の干満等の理由により、その前後の日曜日に開催されます。
 豊年祭は、穀物の収穫を終えた後、神への豊作の感謝と、来夏世(クナツユー、クナチィユー)の豊作祈願を行う祭です。
 黒島の豊年祭の特徴・見どころは、海の彼方「ニライカナイ」の神に感謝して行われる村対抗の「ウーニー・パーレー競争」(ハーリー「爬竜船競漕」)です。この船の競争は、船漕ぎの結果だけで勝負が決まるのではなく、船が岸に着いた後に、ウーニーと呼ばれる青年が浜を走り、先に長老の所に到着した方が勝ちとなります。
 また、海の向こうから五穀豊穣、幸福をもたらすとして崇められている神「ミルク神」がお出ましになる「ミーラク(ミルク行列)」や、迫力ある「棒術」
など古式ゆかしい様々な芸能が奉納されます。

 2019年の黒島豊年祭は、7月21日(日)に開催されました。好天に恵まれることの多い黒島の豊年祭ですが、今年は台風5号の影響もあり厚い雲に覆われ、また海上は波の高い状況のなか、朝10時半から公民館長の挨拶でスタートしました。
 例年ではこの後、2艘の船が海岸を一周する「朝漕いの儀式」から行事が始まるのですが、今年は海上の波高が高かったためいきなり宮里村の「ミーラク」となりました。その後は舞踊や棒術などが演じられました。
 ところで今年は毎年楽しみにしているユーモラスな「ハディクマイ」は演じられませんでした。地元の知り合いの方にその理由をお聞きすると、詳細は記せませんがなかなか複雑なものがあるようで復活は簡単ではなさそうな印象を受けました。高齢化や過疎化で人口が減っていく中、鳩間島と同様に伝統行事の維持継続が難しい状況にあることを知らされました。
 黒島の豊年祭の目玉であるパーレー競漕(ハーリー競漕)は午後に、午前の分もあわせて2度行われました。そして、14時15分頃の船を陸上に担ぎ上げる「ユー揚げ」で終了しました。

 豊年祭開催当日、石垣・黒島間の定期船は祭りの開始終了に合わせて臨時便が数便運航されます。
 時刻等は開催日間際の八重山毎日新聞等で確認して下さい。
 会場となる宮里海岸は黒島港から約2kmほど離れていますが、例年豊年祭当日のみ船の発着に合わせ送迎シャトルバスが運行されており、日帰り観光客でも利用できます。
 会場内には飲み物のみの売店が設けられますが昼食の販売はなく、会場周辺の飲食店は全て休業していますので、注意して下さい。(石垣島離島ターミナルなどで買って持参されることをお勧めします。)

黒島の豊年祭2019の様子

豊年祭会場は宮里海岸です。普段は路線バスやタクシーのない黒島ですが、この日は豊年祭ということで会場となる宮里海岸近くのビジターセンター前まで、無料の送迎車が運行されていました。 観客席テントの中央祭壇にはミルク様のお面が供え物と共に飾られています。左は神司さんです。
公民館側からの開会の挨拶でスタート。 竹富町長の挨拶(代理:祝辞)だったような・・・。
八重山農林水産振興センター所長の祝辞です。 ???(誰だったかなぁ)
石垣在黒島郷友会だったような・・・。
来賓の方々につきましてはメモをとっていなかつたため、ご紹介が間違っている可能性があります。その場合は悪しからず。
もしもご存知の方がいらっしゃいましたらお教え下さい。

  この後は、例年であれば豊年祭の目玉であるパーレー競漕(ハーリー競漕)が行われます。
 しかし、今年は台風5号の影響や潮の関係で午後にまとめて行われました。

奉納舞踊が始まり、まず最初は宮里村の「ミーラク」です。 行列は西から東に向って進んできます。
ミルク神は「豊穣の神」と崇められており、八重山地方の祈願祭や豊年祭でお目にかかることができます。 やはりミルク様は晴れ渡った青空の下での登場が似合います。まぁ雨に降られなかっただけでも幸せと思わなければなりませんね。
ミロク様はとても美しいお顔とお姿をされています。

次は、東筋の「傘ブドゥン」です。
  
続いて同じく東筋村の「ガッキブドゥン」(鎌踊り)です。
  

この踊りは???
   

 例年ですとこの後に「ハディクマイ」が演じられるのですが、残念ながら今年は演じられませんでした。「ハディクマイ」は次のような内容の演目です。(なお、詳細は過去のページをご覧下さい。)
     
   仲本村の、黒島豊年祭の奉納舞踊の中で、他の島では見られない独特な演目に「ハディクマイ」があります。
女性は、黒のスディナに白のカカン、黒のウチクイ(風呂敷)を被り、クバ笠を持ちます。男性は、クロキン(黒衣)に赤のサナジ(褌)姿です。
いわば酔っ払いのナンパ踊りで、黒い頭巾で顔を隠した女性を男達が面白おかしく誘い出します。
カップルが成立すると、2人でどこかへと消えていきます。

黒島小中学校の生徒・教職員の入場です。 「傘ブドゥン」が演じられました。
かなり練習をされたようでよく揃っていました。
引き続き「コームッサ」が演じられました。

奉納舞踊の最後は、郷友会・公民館による棒術です。
これは入場の様子。
まずは全員で浜の広場を回ります。
そして全員で演じます。 次に個別の戦いを演じます。これは刀と槍の戦い。
足元の悪い砂浜での演舞にも拘わらず、勇壮で型も美しく決まっていました。
次は刀と薙刀の戦い。

これは鉾同士の戦い。
棒術の演技で曇り空も少し明るくなったような気が・・・。 
これは鎌と槍の戦い。
 
これは棒同士の戦い。
   

こちらは櫂同士の戦い。
これで奉納舞踊が終わり、お昼になりました。 昼休み(休憩)の間には婦人会の皆さまが作られた「ぜんざい」が振る舞われます。随分と前からこの日のために準備を進めてこられたそうです。緑豆と押麦とお団子の入った、冷たくて黒糖の甘みのきいた味の「ぜんざい」です。

 この後は、村対抗のパーレー(爬龍船)競漕が行われます。
 この競漕は、ウーニ(各村から選ばれた足の速い青年)が盃を受けた後に走り爬龍船に飛び乗り、船は沖に浮かぶフキ(浮き)を取り上げ折り返して元の位置まで戻ってきます。
 そして最後にウーニが船から飛び降り、最初の地点(青竹の挿してある場所)まで走ります。

午後は、例年であれは朝一に行うパーレー競漕からスタートです。このパーレー競漕は、宮里村と仲本村の間で行われます。 まずは、船を選ぶかコースを選ぶかの下見を行って決めておきます。
こちらはウーニーの2人です。 ウーニーの2人が「杯取らし」から訓示を受け、その後、杯を受けます。今年も「杯取らし」役は黒島ビジターセンターの宮良哲行さん(通称:テッちゃん)です。
発着点である青竹の位置から砂浜を走り出し船へと向かって全力で駆け出し、パーレー競漕のスタートです。 例年、黒島豊年祭では、午前と午後の2回に分けパーレー競漕が行われます。船漕ぎだけで勝ち負けが決まるのではなく、海岸到着後、ウーニーが陸上を走り、長老のもとに先に到着したほうが勝ちとなります。
石垣島や糸満のハーリーでは10人乗りの船が用いられますが、黒島では倍の22人乗りの船が用いられます。 船は200m先の沖合に浮かぶフキ(浮き)を取り上げ折り返して元の位置まで漕ぎ続けます。
船が浜に着くとすぐにウーニーが長老のもとに必死に走ります。
浜では女性達がパーランクー(太鼓)を叩き、声援を送ります。 競争が終わると豊年ジラバを歌いながら旗頭のまわりに円陣をつくり、やがて賑やかな巻き踊りとなります。 ???(誰だったかなぁ)
 
 環境省の方の祝辞。    ???(誰だったかなぁ)
 
 確か黒島小中学校長の祝辞だったような・・・。    
  来賓の方々につきましてはメモをとっていないため、ご紹介が間違っている可能性があります。その場合は悪しからず。
もしもご存知の方がいらっしゃいましたらお教え下さい。
 
午後のパーレー競漕は東筋村と保里村との間で行われます。下見の後、ウーニーが 「杯とらし」のところに向います。 発着点である青竹の位置から走りだし浜までウーニーが全力で走ります。今年も大潮の干潮時間帯で、陸上を走る距離がとても長いです。
パーレー競漕。沖のフキを取ってきて浜に戻ってきます。
浜に着くとウーニーはまた全力で走ります。おばぁ達がウーニーを迎え讃えます。 パーレー競漕終了後、漕ぎ手と女性達が巻き踊りを踊ります。
14時15分頃、競漕した船を陸上に担ぎ上げるユー揚げ(世揚げ)が行われ、全ての行事が終了します。 ビジターセンター裏の保管場所まで運搬しました。

この後、ビジターセンター前から送迎バスで黒島港まで送ってもらい、黒島港16時発の便で帰途につきました。





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