黒島の豊年祭2015  作成 2015.09.12

 宮里海岸で開催される黒島豊年祭は、新暦7月最終日曜日の開催を基本とし、旧暦の配置または潮の干満等の理由により、その前後の日曜日に開催されます。
 豊年祭は、穀物の収穫を終えた後、神への豊作の感謝と、来夏世(クナツユー、クナチィユー)の豊作祈願を行う祭です。
 黒島の豊年祭の特徴・見どころは、海の彼方「ニライカナイ」の神に感謝して行われる村対抗の「ウーニー・パーレー競争」(ハーリー「爬竜船競漕」)です。この船の競争は、船漕ぎの結果だけで勝負が決まるのではなく、船が岸に着いた後に、ウーニーと呼ばれる青年が浜を走り、先に長老の所に到着した方が勝ちとなります。
 また、海の向こうから五穀豊穣、幸福をもたらすとして崇められている神「ミルク神」がお出ましになる「ミーラク(ミルク行列)」や、迫力ある「棒術」、ユーモラスな「ハディクマイ」など古式ゆかしい様々な芸能が奉納されます。

 2015年の黒島豊年祭は、8月2日(日)に開催されました。晴天ではありましたが、丁度会場の上空に雲が長時間留まったため、いつもの強烈な日差しが地表に届かず、また逆光になった場面も多々あり、写真写りはあまりよろしくありません。(その分、演者も観客も過ごしやすかったかとは思いますが…。)
 豊年祭は例年同様、朝10時30分頃の、2艘の船が海岸を一周する「朝漕いの儀式」から行事がスタートし、14時30分頃の船を陸上に担ぎ上げる「世揚げ」で終了しました。

 豊年祭開催当日、石垣・黒島間の定期船は祭りの開始終了に合わせて臨時便が数便運航されます。
 時刻等は開催日間際の八重山毎日新聞等で確認して下さい。
 会場となる宮里海岸は黒島港から約2kmほど離れていますが、例年豊年祭当日のみ船の発着に合わせ送迎シャトルバスが運行されており、日帰り観光客でも利用できます。
 会場内には飲み物のみの売店が設けられますが昼食の販売はなく、会場周辺の飲食店は全て休業していますので、注意して下さい。(石垣島離島ターミナルなどで買って持参されることをお勧めします。)

黒島の豊年祭2015の様子
 
黒島港浮桟橋の様子です。この写真を撮影した場所が送迎バス乗場ですが、最後尾は桟橋まで続いています。 豊年祭会場は宮里海岸です。(送迎シャトルバスでビジターセンター前まで送ってもらえます。)
観客席テントの中央にはミルク様のお面が供え物と共に飾られています。左は神司さんです。 同祭壇の拡大。
 
黒島公民館副館長により開会のことばが述べられます。 朝10時半、朝漕い(あさくい)の儀式で行事がスタートし、2艘の船が海岸を一周します。
朝漕いは、宮里村、仲本村の人達によるものです。 沖合で櫂を立て、民謡・ジラバを唄います。
 
黒島公民館長による主催者挨拶です。 川満竹富町長の挨拶(祝辞)です。この後八重山農林水産振興センター所長の祝辞と、石垣在黒島郷友会会長の音頭による乾杯が行なわれました。
 
続いて午前のパーレー競漕が行われます。 午前のパーレー競漕は、宮里村と仲本村の間で行われます。まずは、船を選ぶかコースを選ぶかの下見を行います。
ウーニーの2人が「杯取らし」から訓示を受け、その後、杯を受けます。今年も「杯取らし」役は黒島ビジターセンターの宮良哲行さん(通称:テッちゃん)です。 笹竹の立ててある所を過ぎると船へと向かって全力で駆け出し、パーレー競漕のスタートです。
 
黒島豊年祭では、午前と午後の2回に分けパーレー競漕が行われます。船漕ぎだけで勝ち負けが決まるのではなく、海岸到着後、ウーニーが陸上を走り、長老のもとに先に到着したほうが勝ちとなります。 石垣島や糸満のハーリーでは10人乗りの船が用いられますが、黒島では倍の20人乗りの船が用いられます。船漕ぎでは仲本村の船から漕ぎ手が一人落ちました。パーリーでは沖に浮かべてあるフキを取って戻ってこなければなりませんが、取る時に落ちたようです。
船が浜に戻ってきます。浜に着くとすぐにウーニーが走り出します。 ウーニーが長老のもとに必死に走ります。結果は昨年に続き宮里村が勝ちました。
 
浜では女性達がパーランクー(太鼓)を叩き、声援を送ります。勝利を称える女性達の巻き踊りです。
 
JAおきなわ八重山地区本部長の祝辞(代読) 環境省九州環境事務局那覇自然環境事務所長の祝辞(代読)
この後、短い昼休み(休憩)になります。
昼休み(休憩)の間には「ぜんざい」が振る舞われます。聞けば1カ月前から準備を進めてきたそうです。 これが緑豆と押麦とお団子の入った、冷たくて黒糖の甘みのきいた味の「ぜんざい」です。
 
午後、0時20分頃から奉納舞踊が始まります。最初は宮里村の「ミーラク」です。 西から東に向って行列が進んできます。
とても美しいお姿です。笑顔だからでしょうか。
 
 
次は、東筋の「傘ブドゥン」です。
同じく東筋村の「ガッキブドゥン」(鎌踊り)です。
 
仲本村の 黒島豊年祭の奉納舞踊の中で、他の島では見られない独特な演目に「ハディクマイ」があります。
いわば酔っ払いのナンパ踊りで、黒い頭巾で顔を隠した女性を男達が面白おかしく誘い出し、どこかへと消えていきます。
 
黒島小中学校の生徒・教職員による「傘ブドゥン」です。 小さな子供たちも上手に踊っていました。
引き続き「コームッサ」が演じられました。
 
奉納舞踊の最後は、郷友会・公民館による棒術です。 足元の悪い砂浜での演舞にも拘わらず、勇壮で型も美しく決まっていました。これは刀と槍の戦い。
刀と薙刀の戦い。 鉾?同士の戦い
棒の戦い。 鎌と薙刀の戦い。
棒の戦い。 鎌と槍の戦い。
櫂の戦い。 棒術の後、黒島小中学校長と沖縄在黒島郷友会長の祝辞が述べられました。
 
この頃から日が射してきて、海は美しい黒島ブルーが見られるようになりました。
 
午後のパーレー競漕は東筋村と公民館との間で行われます。まずは下見に出掛けます。 沖から戻るとウーニーが 「杯とらし」のところに向います。
「杯とらし」役は又吉さん。 ウーニーが走ります。
ウーニーがそれぞれの船に向って全力で走ります。今年は大潮の干潮時間帯で、陸上を走る距離がとても長いです。 この間、「杯とらし」も踊って応援します。
浜に着くとウーニーはまた全力で走ります。
今年は、東筋村の勝利に終わりました。 「杯とらし」が両者を称えます。
 
パーレー競漕終了後、漕ぎ手と女性達が巻き踊りを踊ります。

この後、この一年の豊作を願う「流れ漕い」が行われます。
唄を歌いながら舟を漕ぎ、ニライの海に豊年を祈願して戻ってきます。

14時半頃、競漕した船を陸上に担ぎ上げるユー揚げ(世揚げ)が行われ、全ての行事が終了します。 ビジターセンター裏の保管場所まで運搬し、全ての行事が終了しました。
 
この後、ビジターセンター前から送迎バスで黒島港まで送ってもらい、帰途につきました。 


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