黒島の豊年祭2014  作成 2014.08.09

 宮里海岸で開催される黒島豊年祭は、新暦7月最終日曜日の開催を基本とし、旧暦の配置または潮の干満等の理由により、その前後の日曜日に開催されます。
 豊年祭は、穀物の収穫を終えた後、神への豊作の感謝と、来夏世(クナツユー、クナチィユー)の豊作祈願を行う祭です。
 黒島の豊年祭の特徴・見どころは、海の彼方「ニライカナイ」の神に感謝して行われる村対抗の「ウーニー・パーレー競争」(ハーリー「爬竜船競漕」)です。この船の競争は、船漕ぎの結果だけで勝負が決まるのではなく、船が岸に着いた後に、ウーニーと呼ばれる青年が浜を走り、先に長老の所に到着した方が勝ちとなります。
 また、海の向こうから五穀豊穣、幸福をもたらすとして崇められている神「ミルク神」がお出ましになる「ミーラク(ミルク行列)」や、迫力ある「棒術」、ユーモラスな「ハディクマイ」など古式ゆかしい様々な芸能が奉納されます。

 2014年の黒島豊年祭は、7月20日(日)のとても良い天気の下で開催されました。
 朝10時30分頃の、2艘の船が海岸を一周する「朝漕いの儀式」から行事がスタートし、14時30分頃の船を陸上に担ぎ上げる「世揚げ」で終了しました。

 豊年祭開催当日、石垣・黒島間の定期船は祭りの開始終了に合わせて臨時便が数便運航されます。
 時刻等は開催日間際の八重山毎日新聞で確認して下さい。
 会場となる宮里海岸は黒島港から約2kmほど離れていますが、例年豊年祭当日のみ船の発着に合わせ送迎シャトルバスが運行されており、日帰り観光客でも利用できます。
 会場内には飲み物のみの売店が設けられますが昼食の販売はなく、会場周辺の飲食店は全て休業しているので、注意して下さい。(石垣島離島ターミナルなどで買って持参されることをお勧めします。)

黒島の豊年祭2014の様子

豊年祭会場(宮里海岸)入口です。

 

朝10時半、朝漕い(あさくい)の儀式で行事がスタートし、2艘の船が海岸を一周します。

朝漕いは、宮里村、仲本村の人達によるものです。
民謡・ジラバを唄っています。

 

続いて午前のパーレー競漕が行われます。 午前のパーレー競漕は、宮里村と仲本村の間で行われました。
ウーニーの2人が長老から訓示を受け、その後、杯を受けます。長老は、黒島ビジターセンターの宮良哲行さん(通称:テッちゃん)です。 船へと向かって駆け出し、パーレー競漕のスタートです。

 

黒島豊年祭では、午前と午後の2回に分けパーレー競漕が行われます。船漕ぎだけで勝ち負けが決まるのではなく、海岸到着後、ウーニーが陸上を走り、長老のもとに先に到着したほうが勝ちとなります。 また、石垣島や糸満のハーリーでは10人乗りの船が用いられますが、黒島では倍の大きさの20人乗りの船が用いられます。
船が浜に戻ってきます。 ウーニーが長老のもとに必死に走ります。

 

浜では女性達がパーランクー(太鼓)を叩き、声援を送ります。勝利を称える女性達の巻き踊りです。 朝の、仲本集落と宮里集落の戦いは、1972年の豊年祭復活後、宮里集落が初めて勝利しました。

 

パーレー競漕の後は奉納芸能の時間となり、初めは宮里村による奉納舞踊「ミーラク」です。
ミルク(弥勒)神を崇める厳かな舞踊です。
ミルク様は八重山各地の豊年祭に登場されますが、海辺で行事を行うのはこの島以外にはありません。

ミルク神とは
 不思議な顔をした白い仮面を被り、鮮やかな黄色い服をまとい、右手に団扇、左手に杖を持ち、優雅に団扇を扇ぎながら多くの供を引き連れ、「弥勒節(ミルクブシ)」の唄声とともに現れるのは、「ミルク」と呼ばれる神さまです。「ミルク」は八重山諸島のさまざまな神行事に登場します。

ミルク信仰
 沖縄においては、もともと東方の海上にあって神々が住む「ニライカナイ」という土地があり、神々がそこから地上を訪れて五穀豊穣をもたらすという思想がありました。この思想に「ミルク信仰」がとり入れられ、「ミルク」は年に一度、東方の海上から五穀の種を積み「ミルク世」をのせた神船に乗ってやってきて豊穣をもたらすという信仰が成立しました

ミルク仮面
 沖縄のミルクの仮面は布袋様の顔をしており、日本内地の仏像にみられる弥勒仏とは全くかけ離れた容姿をしています。これは、沖縄のミルクが、日本経由ではなく、布袋和尚を弥勒菩薩の化生と考える中国大陸南部の弥勒信仰にルーツをもつためであると考えられています。
 布袋和尚は実在の人物と考えられ、唐末期、宋、元、元末期の4人の僧が布袋和尚とされています。彼らは大きな腹をし、大きな布袋をかついで杖をつき、各地を放浪したといわれています。12世紀頃の禅宗でこの布袋を弥勒の化身とする信仰が始まりました。この布袋=弥勒と考える信仰は中国南部からインドシナ半島にかけて広まりました。これが八重山諸島にも伝播することとなったのです。

 

経緯
 1791年、公務で八重山から首里に向う海路で嵐(台風)に遭い安南(ベトナム)に漂着した「大浜用倫」氏は、その地で「弥勒菩薩」の行列に遭遇します。初めて目にした衆生済度の弥勒菩薩に深い感銘を受け、面と衣装を譲り受けたと言います。その後首里に辿り着いたものの、すぐに八重山に戻ることができなかったため、一足先に八重山へ帰る随行者・新城筑登之氏に面と衣装、自作の「弥勒節」を託します。(本人は帰路、今度は中国に漂着、客死しました。)筑登之氏が持ち帰った品々は、「八重山が豊かになるように」という「用倫」氏の切なる願いが詰まったものでした。これが八重山諸島のミルク信仰の始まりとされています。
 「弥勒(ミロク)」が訛り「ミルク」と呼ばれるミルク信仰は、八重山のすべての島々に受け継がれています。

 

「ミーラク」の後は、奉納舞踊が行なわれます。 これは仲本村の「ガッキブドゥン」(鎌踊り)。
続いては東筋村の「笠ブドゥン」。

 

黒島豊年祭の奉納舞踊の中で、他の島では見られない独特な演目に「ハディクマイ」があります。 いわば酔っ払いのナンパ踊りで、黒い頭巾で顔を隠した女性を男達が面白おかしく誘い出し、どこかへと消えていきます。

 

黒島小中学校の生徒・教職員による「傘ブドゥン」です。 唄も楽器も生演奏です。
こちらは「コームッサ(鍬踊り)」です。

 

奉納舞踊の最後は、郷友会・公民館による棒術です。 足元の悪い砂浜での演舞にも拘わらず、勇壮で型も美しく決まっていました。
 
 
 
 

 

奉納舞踊の終了後、午後のパーレー競漕が行われます。 ウーニーが走ります。
午後のパーレー競漕は東筋村と公民館の競漕です。
 
東筋村の勝利に終わりました。

 

パーレー競漕終了後、漕ぎ手と女性達が巻き踊りを踊ります。

 

14時半頃、競漕した船を陸上に担ぎ上げるユー揚げ(世揚げ)が行われ、全ての行事が終了します。
ビジターセンター裏の保管場所まで運搬します。 最後は閉会の挨拶と万歳三唱で終了します。

 

当日のプログラムです。
裏面は「黒島豊年祭の唄」が載せられています。(略)
今回利用した安栄観光の黒島豊年祭鑑賞割引チケット。
石垣〜黒島〜宮里海岸(高速船+バス)間の往復チケットですが、この写真は石垣〜黒島の往路券を使用した後のものです。

 


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