小浜島の石碑・説明看板  更新 2020.02.08

※ 今回は、一部写真の入替えを行いました。

No. 名  称
1. 小浜節の碑(大岳登山口)*
3. 「大岳」の碑
5. 節さだめ石*
7. ちゅらさんの碑*
No. 名  称
2. 小浜節の碑(大岳頂上部)
4. 山の子守唄の碑*
6. カンドゥラ石*

地図



1.小浜節の碑(大岳登山口)

小浜節の碑 全景

碑の上段

碑の下段
【表面 上段】
小浜節

一、だんちよ てゆまりる
  小浜てる 島や
  大岳ば くしゃで
  白浜 前なし
二、大岳に 登てぃ
  押しとみゆ見りば
  稲粟ぬ なうり
  弥勒 世果報
三、稲粟ぬ 色や
  二十才頃 女童
  粒美らさ あてぃど
  御初 上ぎる

表面 下段】
歌碑の趣旨と歌意
小浜島の「お盆・結願祭・種子取祭の芸能」が平成十九年三月に国の重要無形文化財に指定されたのを受け、ちゅらさん広場の開設とあわせてこれを記念し、ここに島の象徴でもあり、広く世に歌い親しまれている名曲"小浜節"を後世に正しく継承し発展させていくことを願い、歌碑を建立するものである。
小浜節は、一七五一年八月から二カ年間、小浜与人(ゆんちゅ)に拝命された、石垣島 大川出身の宮良永祝が、しまの先人 新里加武多が謡っていた歌を琉歌調に改作したものだと伝えられており、歌意はつぎのとおりである。
一、世に誉れ高い小浜島は、大岳を背に、白浜を前にしている。

二、大岳に登り四方を眺めれば、稲粟がよく稔り豊年満作である。
三、稲粟の色は、二十歳頃の女童のように色艶良く粒そろいで、初穂は神仏に捧げましょう。



この碑は、標高99mの大岳の登山道入口(左側)にあります。島の「お盆・結願祭・種子取祭の芸能」が国の重要無形文化財に指定されたのを記念して、ちゅらさん広場整備と併せて建立されました。

小浜節は島の豊かな自然を称え、神々に稲の実りに感謝して来夏世の豊作を祈る内容で、八重山を代表する民謡の一つです。1751年に与人(役人)として赴任した大川出身の宮良永祝が、島の戦陣・新里加武多の歌を改作しました。大岳山頂には古い碑があります。(次項参照)

碑 裏面
【裏面 上段】
二〇〇八年十一月八日建立
         謹書 花城 英行
小浜公民館
  館長 副館長 
以下氏名省略
小浜節歌碑建立期成会
  会長 副会長 
以下氏名省略
施工・(有)石垣島石材
           
以下役職・氏名省略

【裏面 下段】
小浜節石碑ご芳志者
在小浜  以下氏名省略
在石垣・沖縄・本土 
 以下氏名省略
会社・企業・団体  
以下会社名省略
小浜節歌碑建立期成会役員
  以下役職・氏名省略
小浜島公民館  以下役職・氏名省略

2.小浜節の碑(大岳頂上部)

小浜節の碑【表面】

小浜節の碑【裏面】
同 [右側]
【表面】
小浜節

一、小浜照る島や果報ぬ島やりば
  大岳ば後て白浜前なし
二、大岳に登て押し下し見りば
  稲粟ぬ稔り弥勒世果報
三、稲粟ぬ色や二十歳頃女童
  粒美らさありど御初上ぎる


【裏面中央】
親善記念碑
一九六三年一月二十三日建立
京迎●●
[●は判別不可]

【裏面右側】
与那国出身
郵便局長
一九五八年十一月赴任



小浜の名の由来は、小古見だとする説があります。 古見はかつて西表島東部の中心的集落だった古い村です。 そこから海を越えてやって来た人々は、この島で農業をして村をつくりました。
小浜は今ではサトウキビの島ですが、かつては稲作が盛んな島でした。 豊かな土地と地下水に恵まれていたため、水田による農耕が島の礎をつくりました。



この碑は大岳の頂上(展望台奥側)にあります。

3.「大岳」の碑

大岳の碑
大岳(ウフダキ)
山頂よりの眺めは絶景 裾野に広がる部落や田畑の眺めも格別 有名な民謡小浜節にうたわれている。



この碑も大岳の頂上にあります。

4.山の子守唄の碑

山の子守唄の碑 表面

碑 遠景
[表面碑文]
山の子守唄の碑

               作詞 宮良高司
               作曲 宮良長包
一.ねんねんほろろん ほろほろねむれ
  裏の小山にゃ 夕日がさして
  ほろろん ほろろん
  小鳩も鳴きました
二.ねんねんとろろん とろとろねむれ
  裏の小川にゃ すすきが散って
  とろろんとろろん
  蛙もなきました
三.ねんねんねむれ 夜までねむれ
  鎮守の森には 小鳥もねたよ
  ぽっかりぽっかり
  白い月ばかり



この歌詞の中の「裏の小山」は大岳、「裏の小川」は小池(小浜島ではクモール)、「鎮守の森」は嘉保根御嶽を指しています。

この碑は、宮良長包生誕120周年を記念して島の有志によって建立されました。その目的は、碑の建つ周辺を島の人たちの心のふるさと・オアシスの森にし、島の活性化・地域おこし・むらづくりの拠点にしようというものでした。
碑の裏面

同裏面 碑文拡大
[裏面碑文]
この子守唄は、作詞者で石垣市字石垣生まれの宮良高司(1905〜1991年)が、小浜尋常高等小学校在職中(1929〜1932年)に、夕暮れどきの嘉保根お嶽あたりを散策しながら、"教え子たちの夢よ、まどかなれ"との願いを込めて、島の清純な自然景観と人情ゆたかなふるさとの風情を童謡詩に詠まれたものである。
 教え子の作詞に、恩師で近代沖縄が生んだ優れた音楽家宮良長包が作曲(1931年)し、いまや長包メロディーの中でも、「えんどうの花」や「桑の実」等と並ぶ名曲として、広く世に知られ愛唱されているのが、この「山の子守唄」である。
2003年11月3日建立



この碑は、小浜集落から大岳への道の途中(嘉保根御嶽の北側)にあります。

碑の建つ周辺は「ウカー道一本松ひろば」と名付けられています。

5.節さだめ石

節(シチ)さだめ石と碑

同碑拡大
【表面】
節さだめ石
この石に十二支の順に穴が掘られて
おり 小浜島の人々はその石の穴と星
(ムリ星)との方角等によって農作物の
作付時期等を定めたと伝えられている

【裏】
史跡
節さだめ石(町指定)

指定年月日 昭和五十一年七月十五日
建設年月日 昭和五十二年三月三十一日
竹富町 教育委員会

※ 節さだめ石の上面には、子、丑、寅…と方位を示す12個の小さな穴が開けられており、ここに竿を立てて星見をすること(群星[=スバル]との方角等)によって農作物の作付時期を判断していたようです。
節さだめ石はいわば、昔、農業をしていた小浜島の人々にとっての、「農耕カレンダー」と言ってよいでしよう。
節さだめ石 近景
節さだめ石はシュガーロードに向かう集落端(二股の分岐点)にあります。

各地にあった星見石は、長い歳月で風化したり、各種の開発工事で撤去されるなどして姿を消し、現存するものは極めて少なくなってしまいました。貴重な歴史資料で、「節さだめ石」は1976年7月15日に竹富町の史跡に指定されました。周辺はきれいに整備されています。

6.カンドゥラ石

カンドゥラ石と碑

カンドゥラ石は、碑の前にある2つの石です。

同碑拡大
【右の碑】
竹富町指定史跡 カンドゥラ石 指定年月日 昭和四七年八月三〇日

【左の碑】
カンドゥラ石(雷石・力石)
旱魃の際この大小二個のこの石を
担いだり投げたりすると雨が降る
と伝えられている。


※ カンドゥラ石とは、その年の豊作の感謝と来年の五穀豊穣を願う、小浜島最大の祭りである「結願祭(国の重要無形民俗文化財に指定)」が行なわれる嘉保根御嶽(カブニワン)の中に置かれている2つの石のことです。
その昔、この石は雷鳴とともに空から落ちてきて大雨を降らせたと伝えられており、島の人はそれを神の仕業と信じ、日照りが続くとこの石を担いだり投げたりして雨乞い(あみんぐい)神事をしたそうです。大きい石は重さ約60kg程度、小さい石でも重さ約30kg程度あり、隕石という説もあるそうです。
持ち上げて落とすと、雨を降らせる神の石と信仰され、50年から100年に一度と言われるような大干ばつに見舞われた時には、男衆が神の山の大岳(うふだき)に登り、頂上から転がして落とし、慈雨を願ったと言います。竹富町の指定文化財(史跡)です。
嘉保根御嶽(カブニワン)
カンドゥラ石は、嘉保根御嶽境内の、向かって左側に置かれています。

7.ちゅらさんの碑

ちゅらさんの碑

同 中央部

碑 裏面
【表面】
ちゅらさんの碑

 ちゆらさん 
  たのシーサー!
  うれシーサー!


【裏面】
平成十三年度前期 連続テレビ小説「ちゅらさん」
  (作・岡田恵和  放送・平成十三年四月〜九月)
 沖縄の海はちゅらさん
      島もちゅらさん
琉球舞踊が得意で、紅型(びんがた)がよく似合う
沖縄出身のヒロイン古波蔵恵里(こはぐら えり)。
上京し看護師の資格を得た恵里(エリィ)は、
東京での生活の中で、沖縄の太陽(てぃだ)のように
周囲の人々まで明るくし心を和ませる。
やがて医師である夫と、一人息子と共に故郷・八重山
の小浜島に帰り、「島の保健室」を開き、
島の人々と交流を深めていく。
   平成十六年三月建立
            竹富町



「ちゅらさんの碑」は、小浜島の北西部の高台、「ちゅらさん展望台」の頂上にあります。NHK朝の連続テレビ小説ちゅらさん放映を記念し、竹富町が建立したものです。テレビ番組の大ヒットで小浜島は「癒しの島」として全国の注目を集め、移住ブームのきっかけとなりました。
なお、「ちゅらさん展望台」付近は私有地の牧場となっていて、2012年2月1日以降、「ちゅらさん展望台」は口蹄疫防御等の関係から閉鎖され、立ち入りができなくなっていました。

なお、現在、この碑は西大岳の頂上(東屋の横)に移転されています。ここからはカヤマ島をはじめ小浜島の西側半分ならびに西表島がよく見えます。
ちゅらさんの碑のある西大岳の東屋
元ちゅらさんの碑のあった高台(展望台)を望む

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