川平の豊年祭2015  作成 2015.09.05

 川平村は古くからの歴史のある村で、今日でも多くの祭事や伝統行事が執り行われ、しかもそれは他の地域とは違った独特の風習・文化となっています。
 2015年の川平村の豊年祭は、7月25日(土)の、大変天気の良い日に開催されました。
 今年の豊作に感謝し、来夏世(クナツユ)の五穀豊穣を祈願する豊年祭ですが、集落内の各御嶽で催されました。なかでも、赤イロ目宮鳥御嶽では、村の繁栄に繋がるとされる約60kgの「ビッチュル石」を氏子(男性)が担ぎ、来夏世の豊作を祈願する神事が奉納されました。ビッチュル石は年々大きくなっていると伝えられ、村の繁栄や豊穣につながるものとされています。
 この儀式が終わる頃に合わせて、群星御嶽と山川御嶽の旗頭が赤イロ目宮鳥御嶽まで運ばれ、奉納されました。

1.概要

(1) ビッチュル石の由来
正面左のつるつるした石が「ビッチュル石」です。
 ビッチュル石」を担ぐようになったのは、願い人(氏子でビッチュル石を境内の真ん中に出す役目の人)である大屋さんの曾々おじいさんが始めたと言われています。ざっと今から150年前ぐらい前のことだそうです。

 曾々おじいさんが豊年祭のお供えの魚を海に取りに行き、投網を投げたところ、何度も同じ石がかかったことから、これは何かあると考え、その石を豊年祭に奉納したそうです。以来、毎年豊年祭のときに、石を持ち上げて、皆に披露するために石を担ぐようになったそうです。石は、不思議なことに少しづつ大きく成長し、今の大きさになったと言われています。
 
(2) ビッチュル石の様子と担ぎ方
 石の表面は、川石のようにつるつるしています。丸くて横に少し長い石で、持つ所はありません。このため、滑りやすく、手のひらにはかかりません。両腕で抱き抱え持ち上げなければ、肩には上がりません。強引に力任せで上げようとしても、恐らく上がるものではないと思われます。また肩には、バランスよくのせないと境内を回ることはできません。
 肩に背負ってからは境内を奇数回、回ることと決まっています。 担ぎ手は「ゆい!」、「ゆい!」と、気合を入れて境内を左回りに回りますが、やはりどんな力自慢も苦戦するようです。力持ちは、膝を深く折って、腰を低くして余裕を見せたりします。通常3周(正確には3周半)しますが、余裕のある人は周囲の、「あと1周、あと1周」という声や「5周、行け!」といった聞きながら5周回ることになります。しかし、2015年は5周回られる方はおられず、担ぎ手の5人全員が3周回られました。なお、石を途中で落とせば、凶作になるとされています。
 また、担ぐのに練習はできず、カマンガー(御嶽の管理者)に口頭で要領を教わるものの、あくまでもぶっつけ本番となっています。神行事のため、年に1回しかできないものとなっています。加えて、担ぎ手は川平の中でも赤イロ目宮鳥御嶽の氏子に限られるとのことでした。
 
余談
川平の豊年祭は、他の地域の豊年祭のように予め決められたスケジュールというものがありません。つまり何時から始めると正式に発表されたことはありません。しかし、凡そ14時頃から神事が始められ、ビッチュルは16時過ぎから始められ、17時頃までには終了します。
 「ビッチリ」とは、突き当りに置く魔よけの石のことだそうです。(石敢當のような意味かも?!)
 山川御嶽の豊年祭では14年ぶりに旗頭が復活しました。持ち手は時折、旗頭を倒しそうになりながらも懸命に支え、無事に奉納しました。生まれて初めて旗頭を持つという人もいて、ちょっぴり危なげな奉納でもありました。
 

2.川平の豊年祭(2015)の様子 [ここでの撮影にはフラッシュは使っていませんので、少し見づらいかもしれません。]

群星御嶽の旗頭奉納の様子。 山川御嶽の旗頭(14年ふりの復活)奉納後の様子。旗頭は、太陽とデイゴ、オオゴマダラでデザインされています。
 
14時頃からは、赤イロ目宮鳥御嶽のイビ(拝所)で、お祈りが始まりました。イビ門の向こう側の様子は分かりません。 供物を届ける人達も多く、境内では飲食も始まりました。
順にイビに向かってお祈りをしていきます。 神司へのビッチュル奉納を告げているところと思われます。
その後、願い主の挨拶があります。 続いて来賓の挨拶があります。これは中山市長の挨拶です。
 
「ビッチュル石」担ぎの神事が始まったのは、14時15分過ぎ頃でした。まず、境内に藁むしろを敷きます。 願い人が「ビッチュル石」の前で祈りを捧げます。
願い人が「ビッチュル石」を転がして移動させます。 神司の前まで運びます。表面はつるつるです。
 
その後は、力自慢の男性たちが、 1人ずつ、神司の前で、「イヤー!」の掛け声とともに、ビッチュル石を肩に担ぎます。最初はこの担ぎ手から。 担ぎ上げたその後は、「ユイ!ユイ!」の掛け声で、境内を、1歩1歩、腰を落としながら、ゆっくりと、左回りに回ります。この方が2番手。
基本は、境内を3周しますが、5周でも7周でも良いようで、3周目の終わり頃には、周りから、「大きく回れ!」とか「5周、行け!」とかの声が掛かります。この方は3番手。 この方が4番手。
2015年の担ぎ手は、この方が最後で、計5人でした。 周り終えると、最後は、神司の前に石を豪快に放り投げます。
 
ビッチュルが無事終了すると、願い主がお礼の言葉を述べられます。 いかにも無事大役を務められたことに対しての喜びが表れていました。
元の場所にビッチュル石を戻します。 ビッチュルは、16時40分過ぎ頃に終わりました。
 
17時5分頃から旗頭奉納が始まりました。最初は子供たちの旗頭が登場しました。旗文字は「豊かな心」です。 神司を先頭に、山川御嶽の旗頭が、赤イロ目宮鳥御嶽前(ロータリー前)まで運ばれます。
消防署前のロータリー前で旗頭奉納が行われます。これは群星御嶽の旗頭です。 青い旗頭は山川御嶽のものです。18時頃まで旗頭奉納が行なわれ、川平の豊年祭は終了しました。

この後、私は平得・真栄里地区の豊年祭(ムラプール)の見学のため、大阿母御嶽に移動しました。
 


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