石垣島 観光スポット   更新 2017.03.25

青字が今回追記した個所です。

石垣島の地図

名前 内容
あい アイナマ石
アイナマとは方言で花嫁を意味します。
『昔、川平村の美しい娘が平久保村に嫁に行くことになりました。平久保村と川平村は遠く離れていて、行き来するにはジャングルのけもの道や干潮時に海浜沿いに歩かねばならず、二日がかりでした。
親の勤めで、仕方なく承諾したものの、娘にとっては気の進まぬ結婚でした。嫁入りのため平久保村に向かう途中、花嫁は用足しにといって茂みのなかへ姿をかくしました。なかなか戻らないので、お供の者があたりを探しましたが、花嫁の姿はなく、昼なお暗い山奥には花嫁に似た冷たい石がひっそりと立っているばかりでした。いつしか人びとは、この石のことをアイナマ石と呼ぶようになりました。』
石垣島の伝説の一つです。アイナマ石は、明石集落から平久保に行く途中の山中にあります。
あか 明石の西の浜
赤石
「明石」は、集落の西側の浜に赤い石があり、それ故に、「アカイシ」という地名がついたそうです。昔は集落の名前を「赤石」と書いていたそうですが、後に入植団によって「赤」を「明」に変えて「アカイシ」と読むようになったそうです。
あか アカフチ


伊原間中学校の北、約150mの畑地にあり、集落南西方向の山にある岩(ティラ石)に向かって「にらみ」をきかせ据えられている獅子がアカフチ(赤口)です。ティラ石は大浦山の中腹にそそり立つ巨大な岩です。
伝承によれば、1792年頃、伊原間村は大飢饉に見舞われ、村は餓死者が出て、加えて疫病が蔓延するような状況だったそうです。何年かたっても貧苦と疫病はおさまらず村人はティラ石のたたりだと信じました。
そしてその後、風水師が村の西方にある山の中間に「悪石」があることに気づき、その石が村に悪い気をもたらし、村の発展を抑えているので、それに対抗して悪い気を返すために「獅子」を据えなさいとの指示があり、それに基づき設置されたのが「アカフチ」です。以来、村は安泰したそうです。

あか 赤馬の碑
赤馬の公園」は、市街地から国道390号線を北上し宮良橋を渡り、宮良集落手前の坂道の途中の海側にあります。
昔、宮良村の大城師番が、名蔵湾の北のシィーラ原の海沿いを歩いていると、不思議な子馬が海から上がってきました。師番は、その子馬を大切に育てたところ、大きく気品にみちた名馬に成長し、駿馬は赤馬の愛称で呼ばれ、広く知られるようになりました。その噂は琉球国王にも届き、赤馬は国王に献上されることになりました。師番は、それは名誉なことであり、嬉しく思うと同時に別れの寂しさも感じていました。いよいよ別れの日、船に乗せられて行く赤馬を見送った場所が「馬見盛」と呼ばれ、現在、そこに「赤馬の碑」が建てられています。
あや 「あやぱにモール」 「ユーグレナモール」を参照。
現在は、命名権譲渡により「ユーグレナモール」に名称を変更しています。
あー アーラティンマーセー
市街地を抜けるY字路(もしくはX字路)の分岐点に石垣を積み回し、アコウやガジュマルなどの樹木が植えてある所をチィンマーセーと言います。ムラ(集落)の出入り口になる場所です。
アーラ(東)チィンマーセーは、元「唐真組(建築会社)」の前に位置して、イーラチィンマーセーより東方にあることからそのよう呼ばれています。かつては、豊年祭に使用する大綱の製作を行う祭場で、アーラチィンマーセーでは雄綱を作りました。
あら アラマリナー

アラマリナー近景
アラマリナー遠景
昔、長崎家の祖が森で怪しい火の明滅に気づき、訪ねてみると夫婦石がありました。霊石に違いないと考えた祖は、それ以来お参りするようになります。ある凶作の年のこと、なぜか長崎家の作物だけは豊かに実りました。
そこで村人たちは社を建てて信仰を深めたといいます。これが八重山の七大御嶽のひとつ、長崎御嶽の由来で、社への神の降臨があったのちに湧き出たのがアラマリナー(「新生井戸」)だと言われています。
ウリガー(降り井戸)でしたが、現在では水がかれた状態になっています。
新川村が石垣村から分村独立したとき、この泉にちなんで新川村と名づけられました。
新川の旧・双葉公民館の敷地内にあります(双葉公民館は海側に新築移転しています)
いし 石垣港離島ターミナル
ターミナル内の様子
2007年1月31日にオープンした新離島桟橋の施設です。今まで屋外にあった各船会社のチケットカウンターが集約されました。但し、波照間海運だけは一番奥の見えづらい所に配置されていて、ホールからはその場所が見えないので注意が必要です。船の時刻表はカラー液晶掲示板表示になりましたが、特定の島への便が集中表示されるため、少し分かりづらいものがあります。
いし 石垣氏邸
庭園説明書き
石垣市字新川にある琉球王朝時代の役人の屋敷で、琉球石灰岩を使った日本庭園や枯山水は日本最南端のものです。19世紀初期に造られた石垣氏庭園は、1983(昭和58)年に国指定の名勝になっています。庭園の設計は宮良殿内庭園と同じ首里の庭園師・城間ペーチン。枯山水の庭で、琉球石灰岩の自然石を使用し、周辺のフクギや築山へのソテツの植栽など南国特有の趣を出しています。宮良殿内庭園と並んで八重山の2大名園とされる庭園です。
石垣氏庭園の見学は所有者のご厚意で、無料で出来ますが、あくまでも民家で、現在も生活されていますので、家の中をのぞき込んだり、立ち入り禁止の場所に入ったりしないようにしましょう。
いし 石垣島産コーヒー
石垣島で自家栽培のコーヒーの飲めるお店。お店の名前は「人魚の里」です。
市街地から国道390号線を北上し、星野集落の手前・左手側にピンクの建物と「石垣島産珈琲」の幟が立っているのですぐに分かるかと思います。
石垣島でのコーヒー作りは、オーナーによると「台風との戦い」で、ずいぶんと苦労されたそうです。以前はコーヒー作りのために那覇から都度足を運んでこられたそうですが、現在は石垣島に移られ栽培に専念されておられるそうです。
お店で頂くことはできますが生産量が僅かなため、豆の販売はしていないそうです。
いし 石垣島天文台
「むりかぶし望遠鏡」
石垣島天文台は、国立天文台、石垣市、石垣市教育委員会、NPO法人八重山星の会、沖縄県立石垣青少年の家、琉球大学の6者の連携によって運営されている天文台です。
九州・沖縄では最大の口径105cmの光学・赤外線反射式望遠鏡「むりかぶし望遠鏡」を備え、天体観測研究および天文学の広報普及を行っています。施設は無料で一般公開されており、夜間には天体観望会なども行われています。
TEL:0980-88-0013 月・火・祝日の翌日は休館
いし 石垣市役所
日本列島の最西南端にあ.る八重山諸島の、拠点都市・石垣市の行政機関です。
前庭には種々の植物が植えられ、またよく整備されていて綺麗です。
石垣市役所は、建物の老朽化・耐震対策の必要性等から、旧石垣空港跡地への移転が住民投票により決まりました。
いし 石垣市立八重山博物館
人頭税廃止百年記念の碑
昔の生活道具や農具など、また各遺跡から発掘された土器などが展示されている、石垣島唯一の博物館です。
玄関口の左には「人頭税廃止百年記念の碑」があります。
いし 石垣島鍾乳洞
(竜宮城鍾乳洞)

石垣市内からバンナ展望台に向かう途中にある日本最南端の鍾乳洞で、全長距離3.2km、全国第7位、観光洞(公開)660m。この鍾乳洞は、今から100万年前に、陸続きになっていた琉球弧 の陸が島々に分離し、さらに隆起・沈降を繰り返してできた洞窟です。洞内には、珊瑚礁 でできた琉球石灰岩などを見ることができ、また水琴窟の音色も楽しめます。周辺には、売店や飲食店も設置されています。
鍾乳洞営業時間: 9:00~18:30(最終入洞受付18:00)
入場料金大人:1,080円

いし 石垣島製糖
名蔵にある粗糖、糖蜜の製造販売を行なっている、大日本明治製糖系列の製糖会社です。
毎年、年末から春先(3~4月)まで操業し、操業期間中は周囲に甘い香りが充満します。
いし 石垣ダム*
 
バンナ公園内のセイシカの橋の南側にあるダムで、宮良川水系磯辺川を堰き止めた人造湖です。
前進は1962(昭和37)年に竣工した、通称・バラビドウダムですが、1981(昭和56)年に宮良川土地改良事業で改修され今日のダムとなりました。このダムから新川・平田原の水田まで自然流下方式での水路が5700mも掘られ、水路橋も造られましたが今ではその多くが撤去されました。
多くの水鳥を見ることのできるダムで、湖面近くには観察棟も設置されています。
いし  石垣電波方位測定所*

宮良牧中・ユナムリ後方を海に向かって真直ぐに伸びるピーゴロ坂の途中(南側)にあります。複数の円形アンテナは、総務省沖縄総合通信事務所が設置したもので、ラジオ放送などに妨害を与える電波を確認する施設です。施設機器は遠隔モニターで監視されています。
なお、法律で1km以内の地域に電波を乱す恐れのある建物や工作物を建設する場合には総務大臣に届け出る必要があります。
いし 石垣の塩
市街地区から観音崎方面に向かい、唐人墓・フサキリゾートを過ぎたところに、「石垣の塩」の工場があります。
ここでは、名蔵湾の沖合約1.5km先、水深約20mから海水をくみ上げ、独自の低温乾燥により釜で煮詰め結晶化させています。
いの 伊野田キャンプ場
伊野田キャンプ場入口
伊野田キャンプ場は、市街地から国道390号線を北上した伊野田の海岸近くに位置し、車ごと乗り入れてキャンプできるオートキャンプ場となっています。
管理棟のほか、温水シャワーやコインランドリーもある充実した施設で、電気も使えます。
いー イーラチィンマーセー
市街地を抜けるY字路(もしくはX字路)の分岐点に石垣を積み回し、アコウやガジュマルなどの樹木が植えてある所をチィンマーセーと言います。集落(ムラ)の出入り口になる場所です。イーラ(西)チィンマーセーは、「やーじ商店」前に位置し、アーラチィンマーセーより西方にあることからそのように呼ばれています。かつては、豊年祭に使用する大綱の製作を行う祭場で、イーラチィンマーセーでは雌綱を作りました。
うが 御神崎(ウガンザキ)
オガンザキとも呼ばれます。島の北西部に位置し、屋良部半島の北部突端部にあります。絶壁には白い御神崎灯台があります。夕陽の美しいことで知られるスポットです。また、4月になると鉄砲百合が咲き、自生の野牡丹も見られます。
灯台下には仏石像や記念碑が建てられていますが、これは昭和27年12月に那覇からの帰途、御神崎の南西2600mの海で八重山丸が遭難沈没し、死亡行方不明者35名を出したことを供養したものです。

御神崎の「ウガン」は神の尊称で、川平に伝わる「願い口」に「大屋良部根元 御神崎 降りおる 大親」と謳われ、神が降臨する聖地とされています。
岬の岩の上に乗る小岩は「ブナルツブルイシ(or フチブイ岩)」(姉の頭石)と呼ばれ、伝説では『名蔵に優しく信仰新の強い姉と、乱暴者の弟が住んでいて、姉は神司になり、ある日弟の行いをたしなめたところ、激怒した弟に刀で首を落とされ、その頭は空を飛び、御神崎の岩の上に落ち、石になった』そうです。
※ フチブイ岩の項も参照下さい。
えめ エメラルドの海を見る
展望台から


竹富島方向

市街地から県道308号線を約10分ほど北上すると見えてくるのがバンナ岳です。山に近づくと右手に「バンナ公園」への進入路があります。ここから、公園を縦断するバンナスカイラインへと続きます。ほぼ最初の坂を登りきる所(途中)に「エメラルドの海を見る展望台」があります。階段を上った展望台からは、石垣島市街地が見渡せるだけでなく、八重山の島々を見ることができます。また夜景を眺める場所としても適しています。無料の望遠鏡も設置されています。 駐車場もあります。
おお 大濱信泉記念館

大濱信泉(おおはま のぶもと)記念館。日本の私学振興や戦後の沖縄の復興に多くの貢献をした第7代早稲田大学総長で石垣市の名誉市民でもある大濱信泉先生を顕彰し、平成9年12月に完成した記念館です。
大濱信泉先生に関する文献・関連資料・遺品などが収集・展示されています。
おく オグデン道路

「オグデン道路」とは、石垣島の川平と井原間を結ぶ道路で昭和28年(1953)に完成しました。それまでは、川平と富野を結ぶ道は山道で、ジャングルの中を人馬がかろうじて通れる程度でした。このため海浜を道路代わりに利用するようなこともよく行われていたそうです。
昭和28年6月に琉球米国民政府副長官オグデン少将来島の際、八重山開発援助金として軍予算から川平~桴海間の道路工事費用を捻出し、オグデン少将は技術者と共に重機類を派遣し於茂登山麓を削岩して道路を建設しました。このことから、以降、この道路は「オグデン道路」と呼ばれることになります。
その後もオグデン副長官は、伊原間までの延長工事を実現し、
石垣島環状(周回)道路が完成したのが昭和30(1955)年11月のことです。
おも 於茂登岳(オモトダケ)*
島のほぼ中央部に位置し、沖縄県内では最高峰(標高526m)の山です。広く花崗岩が分布し、一帯には亜熱帯の貴重な固有種を含む動植物も生息しています。村の人々は、この於茂登岳を「ウムトゥダギ」とも呼び、昔から信仰の場所になっています。登山道はよく整備されていて、登山口から約1時間程度で頂上に辿り着くことができます。山頂手前にはレーダードーム、山頂にはテレビ塔があり、必ずしも見晴らしが良いとは言えません。なお、山腹の荒川はカンヒザクラ(緋寒桜:ヒカンザクラ)の自生地としても知られています。
おや オヤケアカハチの像*
大浜の大浜小学校の北側の公園に建てられています。
13~15世紀の八重山は各地に豪族が台頭し、小高い丘に「スク(城)」を築いて勢力を競っていました。
波照間出身のオヤケアカハチは、石垣島南東部の案司(地方豪族)となり、大浜のフルスト原遺跡(城=グスク)を拠点として活躍していました。彼は、王府の厳しい年貢の取り立てや信仰の弾圧(イリキヤアマリ信仰の禁止:1489年)などに対し反発し、貢納を廃止するなどの革命的な行動をとりました。結果的に1500年に乱を起こすこととなりますが、宮古の仲宗根豊見親(なかそねとぅいみやー)と尚真(しょうしん)王の派遣した中山軍100隻の連合軍に破れ、その結果、八重山は琉球王府の支配下に入ることとなりました。
なお、すぐ近くの崎原公園には「オヤケアカハチ顕彰碑」があり、毎年旧暦3月3日に慰霊祭が行なわれています。
かー 「カースンヤー浜」の
5つ石*


同拡大
大浜集落東側のカースンヤー浜(東崎浜)にある5つの石(祈願石)です。この石は、それぞれの神司が守る集落内の5つの御嶽(大石、大城、ヲノミチ、コルセ、崎原)を表しているとされています。以前は波打ち際にありましたが、台風で動いたり、砂に埋まったりするため、1954年に現在地に移転建立されました。伝承では、昔大浜に住んでいた兄弟が大和の国に鉄の道具を買うために舟を造り、東崎浜から出航し、その際、家族や親せきが浜で航海の無事を祈ったそうです。
大浜豊年祭(ムラプール)では、神司達はこの祈願石の前に集まり、東の海の彼方から神々を呼び寄せ、五穀のみのりに感謝し来夏の豊作と安全を願う「カースンヤー願い」が行われます。
かび 川平湾(カビラワン)*

島の西北端に面し、石垣島では最も美しいといわれている湾です。展望台からの光景は、各種のパンフレット等に採用されており誰もが一度は目にしたことがあるでしょう。 湾内には小島も点在していて、光の加減や潮の干満で変化する海の色がとても美しく(個人的には午前中の訪問がお勧め)、「日本の自然100選」にも選ばれています。湾内では、黒真珠の養殖を行っています。海流の関係から遊泳することは禁止されていますが、グラスボートに乗って海中の珊瑚礁や熱帯魚を見て楽しむことができます。なお、グラスボートは数社ありますが、値段はどこもほぼ大人1000円程度です。
1997(平成9)年、国指定の名勝「川平湾及び於茂登岳」に指定されましたが、自然景観の名勝指定は県内初でした。(国指定名勝地は全国で8カ所) なお、川平湾は琉球王府のころには貢納船の風待ち港でした。

かび 川平湾の人魚姫像
 
「琉球真珠」の横から川平公園が望めますが、その手前には子供を抱えた人魚の像があります。写真の後ろの風景が川平公園で、後ろの一番高い山は於茂登岳です。
<川平湾の人魚物語>(看板より転記)
『その昔、村の若者が漁をしていると人魚がとれました。そのころ人魚は不老長寿の薬とされていたので、捕まえるのが常でしたが、大変美しい娘(人魚)であったので若者は村人の止めるのも聞かずに、人魚を海に返してしまいました。 若者は村から追われ、行き場を失ったので娘(人魚)が哀れに思い、自分の国へと連れて帰りました。 人魚の国の長老は「娘を助けてくれたので、かの地で二人で暮らせ」と言って見事に光輝く黒蝶真珠を取り出し若者と娘(人魚)に与えました。 二人はこの地へ移り住み子沢山に恵まれ幸せな一生を送りました。それゆえに真珠を身につけ人魚にふれると願い事がかなえられると言い伝えられています。』
因みに、川平湾は世界初の黒蝶真珠養殖発祥の地です。
から カラ岳
カラ岳は石垣島の東海岸にある、標高136mの小さな丘です。しかし、あたりのカルスト台地からひょっこり立ち上がった山容は、海人(ウミンチュ)が「山あて」をする格好のランドマークになっています。
新石垣空港建設により、東側の一部が削り取られました。
かん 観音崎灯台*
唐人墓のすぐ近く、石垣島の西南端の新川・冨崎の岬に建つ、小さな灯台です。正しくは琉球観音崎灯台と言います。
1953(昭和28)年7月にアメリカ軍によって最初の灯台が建設され、昭和47年5月の本土復帰とともに海上保安庁に引き継がれました。その後、数回にわたり改良され現在の形になりました。光達距離は11.5海里(21km)です。この岬の沖合には南東に長々と伸びる暗礁があり、沖を航行する船舶の安全を守っています。

灯台は小高い丘の上にあり、ここからは名蔵湾越しに石垣島の西部地区が見えます。フサキリゾートホテルからも歩いて5分ほどの距離です。
夕日の美しい場所としてよく知られています。
きゅ 旧離島桟橋
2007年1月31日に新離島ターミナルが供用開始されるまで、八重山列島各地への交通の拠点として利用されていた桟橋です。
待合所といっても建物があるわけでなく、テント張りの屋根付ベンチといった感じの、実に風情ある桟橋でした。
きん 金武山のニャン

金武山の麓、ちょうど玉取崎展望台下のほんの少し北側、国道390号線そばのこの家の庭には、写真の様に4.5mの巨大な猫の像がありました。数年前、ここの家の持ち主が自分で作られた猫だそうです。
なお、この写真は2010年の11月のものですが、1カ月半後には撤去されてしまい、今ではもう見ることはできません。 
ぐし 具志堅用高記念館

石垣市の名誉市民となっている具志堅用高さんは、昭和51年にWBA世界Jr.フライ級王座となり、以後13度防衛を果たし、日本歴代の世界チャンピオンの中でも、最多連続防衛記録を持っています。
その偉大な記録を讃えた記念館です。館長は具志堅用高さんの実父・用敬さんです。
入館料は、大人400円、子供200円。開館時間は9:00~18:00、休館日はありません。
 くら  蔵の前道(ウラヌパナミチィ)
登野城の蔵元(旧八重山支庁)南側の市道です。長さ約500m、幅約10mあり、当時は大道路だったそうです。首里王府からの公用船は近くの沖に停泊し、役人や乗組員は小伝馬船で上陸しました。公用船が入港すると住民の盛大な歓迎が行なわれ、蔵の前道を通って蔵元に入りました。道路と言うだけでなく、派遣された在番を歓待する重要な「舞台」でもありました。廃藩置県後は、人頭税廃止や大正天皇即位式など群島的大祝賀会の場所ともなり、綱引きも行なわれたそうです。
こく 国立天文台
VERA石垣島観測所
石垣島の中央部にあたる名蔵白水地区に、直径20mの巨大な電波望遠鏡が建っています。
銀河系の立体地図を作る「VERA計画」に基づき建てられたもので、岩手県、小笠原、鹿児島に続き、1年遅れの2002年3月に石垣局が完成しました。「VERA」とはラテン語で「真実」を意味する言葉だそうです。
この4局で観測すると、直径2300kmの望遠鏡と同じ性能を発揮し、銀河系にある多数の電波天体の距離と運動をこれまでにない高い精度で計測でき、銀河系の真の姿を明らかにしていくことができるのだそうです。国立天文台を中心に、多くの大学などから研究者が参加しています。
見学可で無料です。
営業時間: 9:00~17:00、定休日は年末年始です。
ごん 権現堂
 
1641年に、隣の桃林寺とともに建てられた寺院です。1771(明和8)年の大津波で壊滅し、後の1786年に再建された沖縄最古の木造建築です。神殿、拝殿、薬医門からなる沖縄独特の様式で、国指定の重要文化財です。見学無料。
さざ サザンゲートブリッジ
1993年より供用開始された440mの長さの橋で、夜にはライトアップされます。石垣市街から徒歩で気軽に行ける夕日のスポットで、特にお勧めは橋の上。ここから見る夕日は、とても美しいものがあります。旧離島桟橋付近のランドマーク的存在ですが、橋の向かい側は開発中の人工島で、現在も工事が続いています。渡った先は市民の公園(八島公園)として開放されていて、犬と散歩する人やサイクリングの休憩場所など市民の憩いの場となっています。
サザンの名は南十字星の意味で、実際に橋の上からは、冬の明け方、南の水平線あたりに南十字星を見ることが出来ます。
さた 佐竹利彦椰子記念館
記念館周りの椰子の木
この記念館は「リュウキュウヤエヤマヤシ」が新種であることを発見し学名にも「サタケンチャ・リュウキュウエンシス」と名を残すヤシ研究の権威者・佐竹利彦の志を偲ぶとともに、多くの人々にヤシを紹介することで、地域振興や植物学の発展に貢献することを目的に2005年2月にオープンしました。世界の代表的なヤシ105種類やその種子などが展示されています。また展望台からの東シナ海や川平方向の眺めは絶景です。場所は米原のヤエヤマヤシ群落の南側です。開館時間は9時〜17時、入館料は300円(小学生以下無料)、休館日はなく年中無休です。
さっ サッカーパークあかんま*

市街地から車で約15分の、於茂登トンネル手前・西側にあります。
サッカーを核とした地域住民による健康スポーツ・文化活動の拠点として、総工費16億円をかけた本格的な競技場で、1997年2月から供用開始しました。ヨーロッパのプロチームが使用するコートを研究し、石垣島の気候に合わせた芝や徹底したグラウンド管理は高く評価されています。敷地面積が69,760㎡もあり、天然芝グランド3面と屋内フットサル場、管理棟などが設置されています。Jリーグのチームキャンプやサッカー日本代表の合宿などが行なわれたことがあります。

維持管理費に対して、使用料収入はその1割程度と石垣市の大きな財政負担となっているようです。名前の「あかんま」とは、名馬の伝説を歌った民謡赤馬節(あかんまぶし)に由来するとのことです。
さび サビチ洞

島の北東部、伊原間集落にある鍾乳洞で、全長は324m。このうち主洞部分237mが観光洞として整備されています。「日本で唯一海に抜ける鍾乳洞」をキャッチフレーズにしている鍾乳洞で、ここは3億7000万年前に海底隆起で生まれたものと言われています。
洞窟内では鍾乳石やサンゴ化石などの他、八重山焼の瓶・壷の展示館(?)ともなっています。
営業時間: 9:00~18:00、年中無休、入場料:1250円(2015.4)

しあ しあわせの敷石

730交差点から石垣市役所にかけてと、市役所からユーグレナモールにかけての歩道は、琉球石灰岩を使った歩道となっていますが、ここの敷石にはハート型をしたものや魚(鯛焼き)の形をしたものなど、ちょっと変わったものを見つけることができます。
なぜか、これを「しあわせの敷石」と言うそうです。
しー シードー線

標識は「シードー線」となっていますが、多くは「シード線」と呼ばれています。新川川の南側に沿って設けられた道路の名称です。

「シードー」とは水道のことを表し、「シードー線」と平行に走る新川川という「水路」のことを意味しているそうです。つまり、「シードー線」とは水道線ということのようです。
じど 児童公園

新川児童公園と呼ばれていますが、正式な名称は舟蔵公園のようです。公園の南側の浜からは竹富島が一望でき、またここは夕日を眺めるのに適した場所です。児童公園とよばれていますが、子供が遊ぶ遊具はあまりありません。
広い芝生のある公園ですが、ここはかつて復帰前は米国統治下の「民政府」が置かれていた場所です。
じゅ ジュマール楽園

県道87号線沿いの石垣市平得1273-185にあるレジャーランド(?)です。
園内には、ゴルフコース(16ホールのショートコース)、グランドゴルフ場、テニスコート、レストラン・カフェがあります。いずれもお値段は手頃です。
しら しらほサンゴ村
世界最大級と言われるアオサンゴの大群落のある白保に、WWFジャパンがサンゴ礁保護研究センター「しらほサンゴ村」を設立し、その調査と保全に取り組んでいます。
しら

白保の珊瑚礁

島の東部・白保地区の海岸に沿って南北約10kmで、最大幅約1kmにわたって広がる今では世界的に有名な珊瑚礁です。この白保サンゴ礁には600年以上生きていて、世界有数の規模を誇るとともに、北半球全体をみても最大といわれるアオサンゴの大群落が広がっています。それ以外にも、巨大なハマサンゴの群落、マイクロアトール、ユビエダハマサンゴの群落が分布し、30属70種以上の造礁サンゴの生息地となっています。ここは、オニヒトデによる食害や、赤土流出による影響をあまり受けておらず、良好な生態系を残しているとても貴重な珊瑚礁です。
かつて、「新石垣空港」は、当初、白保地区の沖合に海上空港として建設される予定でしたが(白保海上案)、白保サンゴ礁の重要性が認識されてきたことから、反対運動が高まり1989年には、この案は撤回されました。その後、白保地区北部のカラ岳付近に、空港を建設する案が出され(カラ岳陸上案)、最終的にはこれで決着し、2013年3月に新空港が完成しました。

しん 新栄公園
距離標識
市内新栄町の石垣市民会館前にある大きな公園です。
シーサーの遊具や戦争放棄の石碑、弾痕の壁、距離標識などがある公園です。
すく 底地(スクジ)ビーチ
景勝地・川平湾から車で数分、日本一速い海開き(八重山の海開き)が、何年かに一度開催されることで有名な石垣島を代表するビーチです。海とそれらを囲むモクマオウの木々の緑のコントラストがとても美しく、林に沿って白い砂浜が約1kmも続いています。浜は遠浅で波も穏やかなので安心して遊べるビーチですが、干潮時は干上がってしまい、泳ぐどころではない状態となります。また、夏場はハブクラゲの多発地帯でもあり、海水浴は防護ネットの中だけに限定されることになります。ビーチの手前は公園になっていて、更衣室、シャワー、トイレが完備されています。また広い駐車場(約50台:無料)もあります。このビーチは、石垣島の中でも数少ないリゾートビーチであり、周辺にはリゾートホテルも何棟か建っています。夕日も美しく、 夜は満点の星空が眺められます。シーズン中でもさほど混雑することはなく、ゆっくりと過ごすことができます。
せい セイシカ(聖紫花)の橋
展望台より
沖縄唯一の釣り橋。バンナ公園内の、石垣ダムを臨む場所にあるピンク色の橋で1985年に完成、供用開始されました。一時期、橋の床板が腐食したため通行禁止となっていましたが、現在は床板をより丈夫なものに取り替える改修が行なわれ通行可能です。
この橋の周辺では、毎年3~4月頃になると、「セイシカ」の花が咲き乱れます。
せい 請福酒造 泡盛博物館
泡盛博物館には、泡盛造りに関する昔の道具、酒器、創業当時の古いラベルやボトル、写真などが展示されています。
併設の漢那蒸留所では、タイミングが合えば古式手造りの酒造りの様子を見ることができます。

【泡盛博物館は2014年4月より休館されています。】
そこ 底原ダム
干ばつに悩まされた歴史を持つ石垣島ですが、恒久的な用水対策が望まれ、沖縄の本土復帰以降、大浦・底原・真栄里・名蔵・石垣の5つのダムが建設・改修されました。底原ダムはその中で最も大きい灌漑用ダムです。堤高29.5m、堤長1,331mのロックフィルダムで、堤は石垣島で一番長い直線道路です。
5つのダムがあると言っても、島の水は(飲料・灌漑用ともに)慢性不足で、毎年台風には悩まされるものの、台風が恵みの雨をもたらしているのも事実です。
たい 泰山石敢當*

 
 石敢當は、中国から伝わった風習で、道路の突き当たる所や橋のたもとなどに設置されている魔除けです。石垣市健康福祉センター北方の交差点に設置されている「泰山石敢當」は八重山の中でも最大級のものです。「泰山」は中国・山東省にある道教の聖地で、「泰山」の名を付けることでより強い除災招福がもたらされると信じられています。
たか 嵩田植物園

バンナ公園の北側、名蔵ダムやVERAへ行く途中の左手にある植物園(農園)です。入り口にはキジムナー(樹木の精霊)が描かれています。植物園ですが、フルーツパーラー、定食屋さんでもあります。
なお、ここの手作りの「黒糖甘もち」はお勧めです。
たけ 竹富町役場
八重山諸島のうち、竹富島・西表島・由布島・鳩間島・小浜島・黒島・新城島・波照間島の有人島と、その周囲にあるいくつかの無人島からなる竹富町の行政機関です。
町役場は町外の石垣島(石垣市)にあります。
竹富町役場は、建物の老朽化・耐震対策の必要性等から、西表島・大原への移転が住民投票により決まりました。
 たこ タコラサー石*
 
 宮良・北方高台のタフナー原にある大きな石です。宮良村の伝承によれば1771(明和8)年の明和の大津波来襲の当日、野良仕事で集落の外にいて難を逃れた運天築登之(ちくどぅん)と、御用布を蔵元に納付するために宮良村を離れていて難を逃れた外本御嶽の神司・大久ウナリの両人が、津波後にこの石に辿り着きました。そして松明を焚いていたところ、その明りを頼りに生存者が寄り集まり、一時期共同生活を行ったと場所と言われています。
たふ タフク農園

「バラビドー観光農園」の北側にある農園で、島やさいを生産・販売しています
夏季の夜間にはサガリバナをライトアップし公開しています。また、池の熱帯スイレンも綺麗です。
たま 玉取石島
 
 
玉取崎の岬のすぐ東にある小島です。
かつて市街地から平久保半島へサバニで通い、泊り込みで漁を行っていた漁民が、宿泊小屋まで設けて利用していたそうです。海岸線に上陸しなかったのはマラリアを避けるためだったそうです。
今では夏場はアジサシなどが巣作りの場として利用しています。
たま 玉取崎(タマトリザキ)展望台
北側の眺め
石垣島の北東部の太平洋を臨む高台(国道390号上)にあります。展望台への遊歩道沿いには、多くのハイビスカスが1年中咲き乱れています。展望台からは東の珊瑚礁と、北に平久保半島へ続く船越(フナクヤー)を一望することができます。特にここから見る海は、リーフの内外で色が異なり、そのコントラストが石垣島内でもとても美しく見える場所です。
近くには大きな駐車場やトイレも整備されています。
ちね 知念商店

『オニササ』は、桟橋通りを北に上って行った知念商会が元祖と言われるB級グルメ。ふりかけおにぎりとササミフライを合わせた食べ物です。作り方は、まず、ささみフライに、マヨネーズとソースなどお好みで味つけをし、これとおにぎりをビニル袋の中でギュッと押しつぶして合体させたら出来上がり。今では、石垣島のソウルフードと言ってもよい食べ物です。
ちば 知花食堂 おばさんが趣味でやっているということもありお店は不定休。そば「大」が350円です。場所はヤシ群落の近くです。NHKドラマ「僕の島/彼女のサンゴ」では店内(食事風景)や玄関前のガジュマル下でロケがされました。
つな 津波大石

「津波大石」は地元で「ツナミウフイシ」と呼ばれる、高さ5~6m・幅12m・周囲38mの琉球石灰岩の岩塊で、重さは推定で700tと言われています(最近は推定1000tという説もあります)。 この石は、1771年(明和8年)に八重山・宮古諸島を襲った明和の大津波によって運ばれたのではなく、研究の結果、約2000年前の先島津波によって打ち上げられたものと考えられています。
この「津波大石」は、大浜小学校の東(海)側にある崎原公園内の一角(北側)にあります。 

てぃ ティラ石*
遠景
伊原間・ホーラヤマ(大浦山)の東山腹に露出する巨岩で、アカフチ(赤口)がにらみをきかせている(西方の)山がティラ石です。
凶作と疫病で苦しんでいた1864(同治3)年、琉球王府派遣の久米村のフンシーミー(風水見)与儀通事親雲上(ペーチン)・鄭良佐(テイリョウサ)が伊原間(当時は船越村)を訪れ、風水の見立てを行いました。「西・戌の方、其の山中間に悪石有りて直ぐに村中に向かう。吉からず。宜しく獅子を座しめ、以って其の凶を制えるべし。乃ち吉」と指導し、これにより村は悪石に対抗する獅子「赤口」を設置しました。
でん 電信屋
 
元海底電線陸揚室です。日清戦争終結後下関条約で中国の清から台湾を割譲した1895(明治28)年、通信の重要性を理解していた日本は、植民地となった台湾との間に軍用海底線を敷設する事にし、翌年に鹿児島~沖縄本島、その翌年明治30年には石垣島を経て台湾との間に海底線を敷きました。この時、中継場所として作られたのがこの電信屋です。
当時は日本陸軍省の管理下で専ら軍の通信用に利用されていたようですが、後に管理を逓信省に移管されて一般公衆通信にも供用され、以降、第二次世界大戦の戦後まで、約半世紀にわたり重要な役割を果たしてきました。 第二次世界大戦では、米軍の攻撃目標の一つになり、現在も壁や天井に無数の弾痕が残っています。
とう 唐人墓(トウジンバカ)
1852年2月、中国・厦門からの苦力(クーリー:労働者)400人が米国船ロバートバウン号でカリフォルニアへ送られる途中、辮髪(べんぱつ)を切られたり、病人を海中に投棄されるなどの暴行に堪えかねて蜂起し、船長ら7人を殺しました。しかし、船は石垣島沖で座礁したため380人が上陸し、琉球王府と島民に保護されました。しかし、後日、米国と英国の海軍が3回にわたり来島し、島に砲撃を加え、上陸し厳しい捜索を行いました。苦力は山中に逃げたりしましたが結果として百名以上の苦力が銃殺され、逮捕され、また自殺者・病没者も続出しました。その後の国際交渉の結果、1853年9月、琉球側が船2隻を仕立て、生存者172人を福州に送還しました。
この墓は、その時の犠牲者を祀るために1971年に建立されたもので、中国福建省出身者128人の霊が祀られています。
 てん  天人(テンピトゥ)の墓* 阿香花の八重泉酒造の南側の畑地にある墓で、穀物と平安をもたらす「ミルク神」と伝えられています。墓はかつては円形に石積みされ、中央に海に向けて石碑が建てられていたそうですが、土地改良事業で移設されたため、原形は石碑などの一部を残すのみとなっています。
かつて八重山には「天人」の石墓とされるものが、この他にも大浜、川平、波照間島にあったようです。なお、大浜の「天人の墓」は開発で喪失したと言われています。
とう 桃林寺*
権現堂の隣にあります。1609年に薩摩藩が琉球を侵攻しました。支配下におかれた石垣島では薩摩藩による検地によって寺院がないことを指摘され、これをうけて1614年に新たに建立された八重山で最初の寺院です。当初は真言宗でしたが、現在は臨済宗妙心寺派の寺です。創建当初は茅葺きでしたが、1771年の明和の大津波で被害を受け、現在の建物は1786年、尚貞王代に瓦葺きに再建されたとされる沖縄最古の木造建築です。
赤い色の山門には阿形吽形の仁王像があります。この彫刻は沖縄最古の木彫像で1956年に県の文化財に指定され大切にされています。向かって右側の口をあけた方は阿形で蜜遮力士、左側の口を閉じた方は吽形で金剛力士と呼ばれます。双方合わせて一対をなし、ともに山門の左右で仏法の守護にあたるとされています。
見学無料。
とく 徳村菓子店
カールおじさん
「おかしのバザール」、「日本最南端の菓子問屋」と銘打った徳村菓子店さんのエントラナス横には、高さ3.8mのどでかい「カールおじさん」の像が建てられています。カールおじさんは、沖縄らしく、かりゆしウェア・半パン・島ぞうりを着用しています。
meijiのカールは勿論ですが、ロイズ石垣島の商品も沢山置いてあります。また現在、ロイズ石垣島では石垣島産のカカオの木からチョコレートを作ろうと取り組んでおられることもあり、カカオの木も販売されています。
とみ 富永家石敢當
 同拡大
八重山のあちこちで目にする石敢當ですが、その中でも比較的古いと見られるのが新川273番地の富永家の石敢當です。自然石を利用したもので設置年代は不明ですが、明治期の古地図によればここは当時も丁字路となっていたようです。自然石が使われていていますが、表面に文字は刻まれていません。
なか 仲本氏庭園*

仲本氏庭園は、19世紀前半の琉球王府治世下の八重山において、頭職(かしらしょく)という要職も務めた高級士族を輩出した仲本家の屋敷内に築造された庭園です。作庭時期の記録はありませんが、19世紀中頃と推定されています。
この琉球庭園は、仲本家(旧前石垣殿内)の庭の一部を主庭として、五つの築山と出島からなり、琉球石灰岩の石組とソテツ、ツバキ等の植栽を配置した枯山水庭園となっています。
県の都市計画街路事業により、庭園の一部が削られることになったため、歴史的建造物である同庭園を活かし、隣接する桃林寺や権現堂の町並みと相和し、歴史の趣を備えた空間として2000(平成12)年3月に整備されました。
桃林寺前(南側)に位置しています。別名「ポケット公園」です。
なぐ 名蔵(ナグラ)アンパル
島の南西部に位置し、市街地から車で県道79号線(西側一周道路)を北上し約15分、名蔵川が名蔵湾に流れ込む名蔵大橋付近の干潟です。多くの市民が釣りや潮干狩り、バードウォッチング等のレクリエーションに訪れる場でもあります。[アンパルとは網張(網を張る)の意の説あり。]この地域はマングローブ林、干潟、海浜、海面、原野、海岸林等の様々な自然環境がまとまって存在する湿地帯です。カニやエビの仲間が多く棲み、東アジアなどから渡ってくるシギ・チドリなどの水鳥の休息場所や冬を過ごす場所にもなっています。また八重山では有名なカンムリワシやキンバトなど多くの鳥がエサを獲る場所にもなっています(過去に約190種の野鳥が記録されています)。 名蔵アンパルは2003(平成15)年11月に国指定の鳥獣保護区となり、2004(平成16)年には背後の湿地帯を特別保護地区に拡大し、2005(平成17)年11月アフリカのウガンダで開催された第9回ラムサール条約締約国会議においてラムサール条約湿地に登録されました。2007(平成19)年に西表石垣国立公園の特別地域に指定されています。無料駐車場あり(8台程度収容可能か?)
なぐ 名蔵ダム
 
名蔵ダムは、国営かんがい排水事業名蔵川地区の主水源で、1980年に着手し1998年に竣工したロックフィルダムです。名蔵川水系名蔵川を堰き止めています。
なな 730交差点
730の碑
沖縄の交通方法は、1972年の本土復帰後の6年が経過した1978年7月30日午前6時を期して、本土と同じ、人は右、車は左の現在の交通方法に変更されました。(沖縄県では復帰後6年もの間、本土と逆の交通方法が継続されていました。) これを記念して、八重山地区安全運転管理者協議会が同年9月に記念碑を建立したことから730(ナナサンマル)交差点と呼ばれています。2008年7月30日には30周年記念事業として石碑一帯を整備し、730シィーシィーパークと呼ばれています。
なん 南嶋民俗資料館

南嶋民俗資料館は宮良殿内9代目四男・當貴氏の住居を利用した私設資料館です。赤瓦の民家に並べられた5000点の展示物は元八重山民政府知事の吉野高善氏が個人的に収集したものですが、実は戦後の八重山の貴重な資料や民具、玩具など幅広い分野で収集されていて、考古学や民俗学的に貴重な資料となっています。(有料)
にる ニルスの像

スウェーデンの女性作家セルマ・ラーゲルレーヴ原作の「ニルスのふしぎな旅」をアニメ化したドラマの中で、ニルスがガチョウのモルテンに乗って旅に出るシーンを像にしたものと思われます。通称アップル公園の東の端っこにあります。
にん 人魚像

星野集落の共同売店そばのトイレの上にある人魚像です。明和の大津波の伝説をもとに建てられました。伝説は、争いや盗みもなく、助け合って生活していた野原村の人々に、網にかかった美しい人魚が「明日の朝、大津波が襲ってきます。心優しい人達に知らせようとしたら網にかかりました。山に逃げなさい。」と知らせました。村人は声を掛け合って山に避難し、難を逃れたそうです。その後、住民は力を合わせて村を再興したとされています。星野公民館はこの話をもとに「人魚の里」として地域活性化に取り組んでいます。
のそ 野底(ノソコ)岳:野底マーペー
野底岳は、石垣島の北部、野底集落近くに連なる山々の中にあり、地元では「野底マーペー」と呼ばれる標高282.4mのとても変わった形をした山です。頂上への登山路は、野底集落の奥にある麓からの登山道と、野底林道の途中から登る登山道の2つのルートがあります。頂上からの360度の眺めは最高です。
頂上付近は原生林の広がる美しい森となっています。また、山頂は断崖絶壁になっているため、とても眺めがよく、晴れた日には、平久保半島が一望でき、島の周りを取り囲む海岸線や珊瑚礁をはっきりと見渡すことができます。(眺めは於茂登岳よりもはるかに素晴らしいものがあります。)
この山に関する民話が残っていて、それによると、マーペーという娘にはカニムイという恋人がいましたが、カニムイは黒島に移住していたため、一目会いたいと思ったマーペーは野底岳の頂上に毎日登って泣き続け、ついに石になってしまったという話から、「マーペー岳」とも呼ばれるようになったそうです。
この悲話は「チィンダラ節」として歌い継がれています。
詳細は、八重山豆事典「登山・トレッキング」のページを参照ください。
ぱい パイーグル

「南ぬ島(ぱいぬしま)新石垣空港」のマスコットキャラクターです。
八重山諸島に生息する特別天然記念物「カンムリワシ」をモチーフにしています。
写真左は石垣市立図書館横に、写真右はシード線沿いに設置されているものです。この他、新石垣空港駐車場や国道390号線から空港方面に分岐する三叉路などにも設置されています。
ばす 鷲ぬ鳥節の碑
「あやぱに(ユーグレナ)モール」の中にある、塩谷商店の横に「鷲の鳥節(ばすぃぬとぅるぃぶし)」発祥の記念碑が建っています。
八重山を代表する民謡で、正月の太陽に向かって鷲が羽ばたく様子を悠然と歌った「鷲ぬ鳥節」は、おめでたい歌として宴会の座開き(ざーびらき)や祝いの門出などの場面でよく歌われます。
碑の裏にはボタンがあり、「鷲ぬ鳥節」が流れるようになっています。
ばす バスターミナル
東(あずま)バスのターミナルで、離島桟橋からほど近い所にあります。島内の定期バス路線の起点となっています。写真右手側に切符売場があります。
ばら バラビドー観光農園
市内からバンナ公園に行く途中にある観光農園で、園内にはヤシ園、ハイビスカス園、蝶園、熱帯果樹園があります。シーズンには色々な熱帯果樹の花や果実を見ることができ、またフルーツを味わうことができます。(有料)

昔、この観光農園周辺には、ワラビが沢山生えていて、その中に道を通した事からワラビの道(ドー)と呼ばれ、それが今では、バラビドーになったそうです。因みに、石垣島ではワラビのことを方言でバラビと言うそうです。
ばん バンナ公園*

市街地から約4km北方のバンナ岳外周に整備された県営の広域公園です。日本最南端の森林公園で、石垣島の南西部、標高約230mの森林丘陵地帯にあります。
1978(昭和53)年の事業認可から2004(平成16)年までの長期事業で完成しました。レクリエーション、青少年教育、自然観察等々多目的な公園です。園内には「バンナ森といこいの広場」「バンナスカイライン」「森林散策広場」「自然観察広場」「ふれあい子供広場」の5ゾーンが整備されています。スカイラインの東側は「生活環境保全林」として手付かずの自然が残されています。

バンナ公園の周辺にはいくつかの展望台があり、石垣島の集落や自然の景色を見渡したり、鳥の観察をすることができます。また、島の人々によって身近に利用できるようにと、植物園やピクニック園などを併設した施設となっています。公園内は、蝶園や南国の庭園、吊り橋などあり、家族連れで一日楽しむことができます。

ひが とうふの比嘉
石垣島の市街地から少し離れた、ホテル日航八重山の北側の、さとうきび畑の真ん中にポツンとあるのが「とうふの比嘉」という食堂です。毎朝作るできたてのゆし豆腐を、工場の横の食堂スペースで味わうことができます。
営業時間は、6:30~15:00(但し、豆腐がなくなり次第閉店となります。) 定休日は日曜。
ひら 平久保(ヒラクボ)崎

石垣島の最北端にある平久保崎は、釣りの名所として知られています。展望台から東方向に目を向けると、ゆるやかな曲線が続く丘陵に牧場が広がり、のんびりと草を食べる牛の放牧を一望することができ、天気の良い日には、宮古島と石垣島の間にある多良間島を見ることができます。沖にある島は小さな無人島、大地離島です。
白い灯台と青い海のコントラストの美しい場所です。また、ここはサンセットポイントとしても有名です。

ひら 平松五勇士上陸之地
日露戦争時の明治38年5月25日、宮古島東方を北上しているロシアのバルチック艦隊を発見したという情報が宮古島司(地方行政官)に入り、大本営と連合艦隊に報告することとなりました。しかしながら当時、電信局は石垣島にしかなかったため、その報告を届けるよう依頼された宮古島・久松の漁師5人は、石垣島まで約170kmの荒波の中を刳舟(サバニ)で15時間こぎ続け、ここ伊原間の浜に到着しました。これは、その五勇士を讃える顕彰碑です。
この碑は、伊原間の牛そばで有名な「新垣食堂」の北側すぐの交差点を東側こ曲がり、海岸方向に行くとあります。
ふき 吹通川(フキドウガワ)の
マングローブ林
島の北部にある吹通川は野底マーペーを源とし、伊土名集落の北側へ流れ出る長さ約2.2kmの小さい河川で、その下流にはヒルギ群落があります。河口部に広い干潮域を有するためマングローブ生育にとってはとても環境の整った場所となっています。ここは豊かな動植物層を有することから、1973(昭和48)年に市の天然記念物に指定されました。かつて市内には樹液のエキスを固形にする「カッチ工場」があり、ヒルギはフクギやヤマモモと並ぶ良質な染料木として取引され、特にヒルギは漁網の染料として沖縄本島や本土に出荷されました。更に材質が硬いため、家屋の用材やマキとしても利用され、伐採が進みました。
吹通川は、最近ではカヌーなどによるエコツアーが盛んになっています。
なお、川岸には駐車場があり、歩いて降りて手軽にマングローブ林や生物を見ることもできます。
ふさ 富崎観音堂

石垣市の富崎にある臨済宗の寺。境内はリュウキュウマツやフクギ並木に囲まれた静かな環境です。数多くの献灯が続く参道を進むと、奥に赤瓦の祠があります。この観音堂は、1742年に役人・西表直香が航海の安全を祈願して3体の観音像を奉納したのが始まりとされ、創建当初は大浜村にあったそうですが、その後、新川村、富崎と移築されたそうです。普段は訪れる人も少なくひっそりとしていますが、初詣には大勢の参拝客で賑わいます。
ふさ フサキビーチ
フサキ・エンジェル・ピア
フサキビーチは、フサキリゾートヴィレッジのすぐ後ろ(西側)にあり、宿泊客でなくても利用可能です。クラゲが出る期間中はネットも張られ安心して泳げます。
2014年2月にはビーチそばの桟橋(Fusaki Angel Pier:フサキ エンジェル ピア)の改修も終わりました。
駐車場、シャワーが整備されています。
ふち フチブイ岩
崎枝半島にある御神崎灯台近くの海岸にある三角形の岩礁です。この岩の上には、フチブイ岩と呼ばれる小さな岩が乗っています。この岩には次のような伝説があります。
『石垣島崎枝村で兄と妹の2人が暮らしている家があった。遠くの田圃へ出かけて行った兄のために弁当を作って持って行こうとした時、マラリアの発作が起こったので、フチブイ(風呂敷のようなかぶり布)に包んである弁当を眺めながら熱が下がるまで寝ていた。やがて熱が下がり外へ出るとお昼はとっくに過ぎていたがフチブイの包みを頭にのせて道を急いだ。すると途中で家へ帰ってくる兄会い、兄は妹を見るなり怒鳴り、包みをわしづかみにすると力いっぱいどこかへ投げた。
妹は鬼のような形相の兄が怖くて、立ったまま顔を覆っていた。兄が弁当を投げ捨てたのを知らなかった妹は、二、三日して恐る恐る言った。「兄さん、この前弁当を包んだフチブイを返してください。大事なものですから。」 兄は自分のしたことを後悔していたので、さっそく弁当を投げた所を探したが、どこへいったのか、見つけることは出来なかった。
フチブイのことは、八重山の神々の間で問題になった。妹は将来、崎枝御岳の神司になるはずの人だったからである。このフチブイの包みを、どこかいつも変わらぬ所に置くことになり、村々の神様を呼び集めた。(以下一部略) 相談をまとめ、フチブイの包みは、御神崎の先の海に突き立っている大岩の頂上に安置することになった。のちに、この包みは岩になってしまったので、フチブイ岩と呼ぶようになった。』
※ 波照間海運の「八重山の民話」より引用しました。
ふな フナクヤー(船越漁港)
写真の像は、船越漁港の整備で、漁港入口に設置されたものです。
石垣島北部、平久保半島の付け根の部分にあたる舟越(フナクヤー)は、太平洋側の長田浜と東シナ海側の伊原間湾の幅が約270mしかなく、石垣島で一番狭い、くびれた独特の地形となっています。かつてはその日の天候次第で舟を担いで反対側に渡った(陸越えした)といわれ、そのことからフナクヤーという地名があるともいわれています。(近年は海人祭で子どもたちがサバニ担ぎを再現しています。)
なお、観光名所の玉取崎展望台からは、フナクヤーのくびれた独特の景色を眺めることができます。
また、過去にはこの細い地形を活かした運河構想もあったようです。
ふる フルスト原遺跡
石塁
フルスト原遺跡は大浜中学校北側に位置し、南北900m、東西200mの敷地に石塁が築かれています。言い伝えでは、15世期後半に活躍した波照間出身のオヤケアカハチの居館(城)跡だと言われています。
1973年に国の文化財に指定されました。
ふる フルスト原壕
 
 大浜・フルスト原の琉球石灰岩の断崖に残された戦争遺跡で、南北の断崖に沿って奥行き20mの直線の壕が数カ所残っています。1943(昭和18)年に建設が始まった海軍南飛行場の関連壕で、海軍設営隊322部隊(通称、萩原部隊)によって掘られ、弾薬庫として使用されました。今日ではフルスト原の戦争遺跡として平和学習に使用されています。
へい 平和祈念館

太平洋戦争において強制的に疎開を命ぜられた八重山の人々が、マラリアによって多数犠牲になりました。
食糧難による栄養失調で多くの人々がマラリアに感染して倒れていった「戦争マラリア」とよばれる戦争悲劇の実相を後世に正しく伝えるために、そして平和のメッセージを世界に発信するために、この平和祈念館が平成11(1999)年5月に開館されました。
ほう 奉安殿*

登野城小学校の正門左側に残っている建物で、学校に下賜された天皇・皇后の「御真影(ゴシンエイ:写真)」や教育勅語など勅語類を奉置する建物です。御真影などは1891年に学校内の一定の場所に設けるよう法制化され、その管理規定も厳重となり、管理の不行き届きは学校長などの重大な責任問題とされました。また、登下校時や単に前を通過する際には、職員生徒全てが服装を正してから最敬礼するように定められていました。「御真影」などは当初校舎内の奉安所に安置されていましたが、学校の火事に際して「御真影」を守って焼死する校長などが出て、1935年以降、校舎から離れた場所に堅固な奉安殿を建設し、「御真影」などを奉置することが全国的に実施されました。
敗戦後、「御真影」は焼却されほとんどの奉安殿は取り壊され、沖縄県内ではここと沖縄市(
美里児童園=美里尋常高等小学校跡地:文化財指定)の2カ所のみ現存しています。
ほし 星見石(登野城)

登野城の星見石は730交差点(桟橋通り)を北に上り、立石橋のそば、ダイハツ(自動車ディーラー)の端に置かれた、高さ約145cmの立石状の珊瑚石灰岩でできた石です。元々は現在地の近くの畑の中にあったものを移設したとされています。
暦がまだ伝わっていない頃、人々は一年間の時の移り変わりをこの星見石で星の位置を観測することにより知り、農耕のための日取り(適期)をより正確に把握しようとしていたようです。1680年から90年代にかけて、宮良親雲上長重が各村に建てたと言われ、約5尺の細長い石で、設置は農耕地に近く見晴らしの良い、水の便の良い場所が選ばれたようです。詳しい観測方法は不明ですが、恐らく石の頂点と特定の星(昴:スバル?)を一直線で結び、仰角を測定して農耕の日取りを決めたようです。

 ほし  星見石(字石垣)
 字石垣の真地原(マージィバル)のサンシキムリィにある琉球石灰岩の星見石です。星見石は、農作業の時節を見定めるための星座観測用として、山陽姓2世の祖・宮良親雲上(ミヤラペーチン)長重の指導により各村に設置されたと伝えられています。その目的は、稲の播種、収穫、貢納の各期を一定にさせるためのもので、各集落の高台に星見場が設けられました。観測では、むりかぶし(昴:スバル)、ぱいかぶし(ケンタウルス座のα・β星)が重要な星とされました。
石垣島の星見石は、現在では、前述の字登野城との2カ所のみが確認されています。
まえ マエサトビーチ

石垣市が整備し、ANAインターコンチネンタル石垣リゾート が管理するビーチ。
ANAインターコンチネンタル石垣リゾートのビーチとして知られていますが、ビーチとシャワー・更衣室などの施設は、一般市民にも開放されています。市街地から近いため、多くの市民も利用しています。

まく マクラム道路
かつて、白保の北から伊原間までは、道路はあったものの、人馬がやっと通れるほどの荒れた道だったそうです。
昭和21年10月、南部琉球軍政府先任軍政官として石垣島に赴任してきたマクラム中佐が、米軍から貸与されたブルドーザー等を使い、石垣(桃里:起点は轟川付近)から伊原間間に自動車の通れる道21kmを開削しました。当時の石垣島において、初めて重機が使われた工事だったそうですが、初めて見るブルドーザーの圧倒的な機動力に島の人達は驚嘆したそうです。そしてその工事は56日間程で開削されたそうです。以降、マクラム中佐の厚意によって造られたこの道は、敬意の思いをこめて「マクラム道路」と名付けられました。
なお、今日ではこのマクラム道路は国道390号線の一部となっています。因みに国道390号線は石垣島から海を隔てて、宮古島へと続き、さらに沖縄本島の那覇まで通じています。
まん マンゲー山

東海岸中部の星野集落の西方にある円錐形をした山で、標高約103mの大マンゲー山と、66mの小マンゲー山の大小2つの山を意味します。この山は石灰岩が侵食されてできた地形で、円錐カルストと呼ばれ、石垣市の天然記念物に指定されています。この山は今から5500万年~6500万年前の新生代・古第3紀頃にできたもので、風化面には2枚貝や大型有孔虫の貨幣石などの化石を見ることができ、また方解石も多く含まれています。マンゲー山は古生物や土地の隆起や沈降を知るうえで重要な資料が多く残されていることから、岩石などの採集は禁止されています。また、この山の周辺からは八重山式土器や青磁、勾玉 などが採集され、貴重な遺跡群ともなっています。
なお、マンゲー山の名の由来は、岩石が横線を巻いて上へ上へと巻き上げていることから、マッケー(巻き上げ)から名付けられたと云われています。(写真右:大マンゲー山、写真左:小マンゲー山)

まん マンタ公園
 
 登野城漁港の緑地は通称「マンタ公園」と呼ばれています。
公園の入り口には大きなマンタのモニュメントが設置されています。
みな 南の島の展望台

バンナスカイライン途中の、渡り鳥観察所のすぐ下側にこの展望台があります。
この展望台からの眺めは素晴らしく、名蔵アンパル、名蔵湾、於茂登岳などを見渡すことができます。
みや 宮良川のマングローブ

宮良川は、約12kmの長さのある石垣島で一番長い河川です。河口から中流にかけて群生するヒルギ林は、オヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギなどで形成され、その景観は、昭和47年(1972)年に、国の天然記念物に指定されています。
みや 宮良殿内
1819(文政2)年に首里の士族屋敷を模して建造されたと言われる邸宅で大川にあります。琉球王朝時代の士族屋敷をほぼ完全に保存した県内でも唯一の建物として国の重要文化財に指定されています。建築当初、琉球王府から身分不相応として、5回にわたって取り壊しを命じられたそうですが、なかなかそれに従わず、1874(明治7)年に王府派遣の行政監察官・富川親方の指摘によって茅葺きに改められました。その後、1879(明治12)年の廃藩置県後には再びこの様な赤瓦に戻されたということです。
東側の裏に回ると琉球石灰岩やフクギ、ソテツを使って「日本山水の法式」で築かれた庭園があり、国の名勝にも指定されています。
現代でもこの建物には宮良家の子孫の方が住んでおられます。
(入場料:大人200円、小人100円 火曜定休)
みる ミルミル
店内入口
新石垣空港にも出店している、伊盛牧場が経営するジェラートの本店で、富崎の通称おっぱい山近くにあります。小高い丘の上に位置していることから海が一望でき、また美しい夕日を見るならここはベストスポットです。
ジェラートだけでなくハンバーガーもお勧めで、店内や店外のテーブルで食べられます。また、見晴らしの良い屋上にも上ることができます。ジェラートはハーフ&ハーフ(2種)で320円です。
みん みんさー工芸館
八重山の伝統的工芸品「八重山みんさー織」を中心に、八重山上布、芭蕉ぐんぼうなどの現代のニーズに合った製品を展示販売しています。工房や資料室の見学、みんさーの機織り体験なども出来ます。
入館料は無料です。なお、体験コースは有料です。
めい 明和大津波
遭難者慰霊之塔

明和大津波遭難者慰霊之塔は、宮良地区のタフナー原にあります。
明和大津波は、明和8年(1771年)4月24日(旧暦3月10日)の午前8時頃、八重山・宮古諸島(先島諸島)を襲った大津波で、低平な珊瑚礁の島々は3回も繰り返した大波にのまれ大きな被害を受けました。地震の規模はM7.4〔参考までに関東大震災はM7.8〕、震源地は石垣島の南南東40kmと言われています。石垣島では真栄里・大浜・宮良・白保を含む8村が全壊し、石垣島の人口は、津波前で17,394名、津波後は8,910名と、48%の人が死亡または行方不明となりました。八重山諸島では実に人口の1/3が一瞬にして奪われました。
やい やいま村

1981年開園の旧「ハ重山民俗園」で、2008年10月1日に「石垣やいま村」と改称しました。
八重山の家並みを再現したテーマパークですが、村内には水牛、馬、リスザル園もあります。またここでは、琉球衣装体験、民具作り、シーサー絵付けなどを体験することもできます。
ラムサール条約に指定された名蔵アンパルへの見学コースもあります。
やえ 八重山島蔵元跡

蔵元は、首里王府が地方統治のために創設した政庁で、八重山の蔵元は1524年に西塘が竹富島・皆治浜に開庁したのが始まりとされます。後に石垣島の大川村に移転し、1633年に八重山キリシタン事件で処刑された本宮良石垣永将の家屋敷であった現在地に移転しました。その後も移転を繰り返した後、再び現在地に戻りました。1897年に廃止され370年余りの歴史を閉じました。
やえ 八重山鍾乳洞動植物園

市街地から県道208号を北上し、石垣島鍾乳洞への入口を少し通り過ぎた左側に八重山鍾乳洞動植物園があります。大小8箇所の鍾乳洞があり、園内は鍾乳洞探検コースの他に、原生林探検コースや小動物園ふれあいコースの3つのコースに分かれています。石垣島鍾乳洞とは違った趣きがあり、特に石垣島には動物園がないため、子供達に小動物と触れ合わせる場としては適している場所かもしれません。
営業:9:00~18:00 年中無休
入園料:鍾乳洞博物館コース800円、鍾乳洞博物館・動植物園コース1000円
駐車場:50台(無料)
やえ やえやまファーム
崎枝農場


「農業生産法人・有限会社 やえやまファーム・崎枝農場」は、除草剤や農薬を使わず、また赤土を流出させない農業を目指しています。日本農林規格・有機JAS規格を満たし、認定を受けた農場ではパイナップル、バナナ、さとうきびなどが生産されています。
有機農法を持続するために、牛・豚・鶏などの家畜を飼い、その糞尿を堆肥にして農地に供給することで循環型農業を実現しようとしている農場です。
やえ 八重山博物館

八重山や南琉球の歴史に触れることができる石垣島唯一の市立八重山博物館です。1972(昭和47)年、本土復帰の年に開館しました。昔の八重山で使われていた生活道具や農具、文献などが展示されていて、「八重山の歴史」を肌で感じることが出来ます。
開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
入館料 大人200円、学生(中学生以上)100円
休館日 月曜・祝祭日・年末年始
やえ 八重山平和祈念館
八重山平和祈念館は、1999年に沖縄本島にある平和祈念資料館の分館として設立されました。「戦争マラリア」の実相を後世に正しく伝えるとともに、人間の尊厳が保障される社会の構築と、八重山から世界に向けて恒久平和の実現を訴える「平和の発信拠点」の形成を目指しています。
開館時間:9:00~17:00、 休館日:毎週月曜日
入館料:大人100円
やえ 八重山闘牛場

石垣島では、新春、旧盆など年に数回、登野城の闘牛場で闘牛大会が開催されています。、闘牛大会のある日は宣伝車が島内をアナウンスして回るのですぐに分かるそうです。闘牛は相撲と同じように成績によって横綱、大関、関脇といった番付があるそうです。
やし 八島人工島
別名 「猫アイランド」
サザンゲートブリツジを渡った先の、石垣港を埋め立てて造られた人工島です。
「猫の島」と呼ばれるほど野良猫がいっぱいいます。
また、釣りやBBQ、キャッチボールやランニング、イベントなど様々な目的で使用されている場所です。住所は、「南(ぱい)ぬ浜町」と名付けられています。
余談ですが、石垣島の住所で「町」の名が付くのは、戦後の埋め立てて造られた地名を意味しています。
やど 屋戸引き屋(ヤドゥビキヤ)

川平の底地ビーチの南側奥にあります。
1500年頃に活躍した豪族、仲間満慶山英極が祀られている場所です。
仲間満慶山英極はオヤケアカハチの乱で、名蔵のケーラ崎(現在の石垣焼窯近く)で馬で帰る途中にアカハチに討ち取られます。
ゆー ユーグレナ

宮良の八重山殖産クロレラの敷地内にある、ミドリムシを生産している会社です。石垣島は、世界で最初にミドリムシの屋外大量培養が行われた所としても有名です。
1年の平均気温が23度以上で、しかも晴れの日が多いことが、ユーグレナの生産のための立地条件として合致しているようです。
ゆー ユーグレナモール
モール内の様子
石垣島唯一のアーケード街で、公設市場を中心にお土産店や飲食店などが立ち並ぶ商店街です。公設市場前の露店では、おばぁ達が石垣島特産のフルーツや野菜を販売しています。以前は「あやぱにモール」と呼ばれていましたが、命名権譲渡により現在は「ユーグレナモール」と名称を変更しています。
なお、あやぱにとは「綾羽」と書き、「模様のある美しい羽」という意味で、カンムリワシを意味しています。「トゥバラーマ」と並んで八重山民謡を代表する歌 「鷲ぬ鳥節 (ばすぃぬとぅるぃぶし)」の歌詞の一節から名付けられたもので、モール内にはこの「鷲ぬ鳥節」発祥の記念碑もあります。
ゆら ゆらてぃく市場
JAファーマーズマーケットで、2011年4月1日にオープンしました。主に石垣島で収穫された季節の野菜やパイン・マンゴーなどのフルーツ、日本一早い新米や石垣牛といった新鮮な食材が多彩に揃っています。また、毎月多彩なイベントが催されています。
店舗名の「ゆらてぃく」は、やえやまの方言で「よっていらっしゃい」の意味です。
市場の場所は、新栄町のJA八重山支店構内です。
お店の開店時間は9:00~19:00まで、無休(旧盆最終日休、1月1~3日休)です。
ゆら ゆらてぃく文庫
白保集落内の赤瓦の家を開放して、昔ながらの静かな風景の中で子供たちが本を読んだり、大人による読み聞かせなどが行われています。多くの本があり、その中でには手作りの絵本もあります。毎月第2日曜日に開かれています。
よね 米子焼工房
 
米原ビーチ近くにある巨大なシーサーが目印の米子焼工房です。この工房のシーサーは全てオリジナルデザインの手作りで、個性的な表情と鮮やかな色彩が魅力的です。
よね 米原(ヨネハラ)ビーチ
発達したサンゴ礁と白い砂浜が美しい所です。遠浅のビーチは、家族連れも含めて気軽に遊ぶことができます。テリハボクやモクマオウの林の中に市営のキャンプ場(駐車場・売店トイレ・シャワー)もあります。
遊ぶ際は、リーフカレントに十分注意して下さい。
よね 米原ヤエヤマヤシ群落

ヤエヤマヤシは、石垣島と西表島のみに分布する一属一種のヤシの固有種で国の天然記念物に指定されています。幹の太さは約30cm、高さ約10~15m、葉の長さ5mになります。米原集落の東側の山肌に広がり自生していて、群落内には遊歩道が整備され、亜熱帯の雰囲気の中での自然観察ができるようになっています。
入場無料、駐車場あり(無料)、群落の入口にはお土産やさんもあります。(搾りたてのジュースがお勧め)
 よー  ヨーンの道
 同バス停
川平と市街地を結ぶ古くからの道です。ヨーンとは闇のことをいい、ここが琉球松に覆われて昼間でも暗かったことに由来しています。かつては松の大木が枝を伸ばし、首里王府の名残を感じさせる並木道でしたが、戦争での資材調達や道路拡張により数多くの木が失われました。今では歴史の道として、県道整備事業でも残った松並木を大事に保存するようになりましたが、台風などの影響によりその数は減り続けています。
わた 渡り鳥観察所
バンナスカイラインの途中の、南の島の展望台の近く(上側)にあります。この渡り鳥観察所は、カンムリワシの卵をイメージした展望台のようです。
中はラセン階段になっていて上まで行くことができます。また、上からの眺めは素晴らしいものがあります。
 

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