鳩間島の石碑・説明看板  更新 2016.06.07

今回は、下表の青字の項目の内容追加をしました。

No. 名    称
1. 鳩間灯台の由来の碑*
3. 鳩間島沿革の碑
5. 鳩間小学校発祥の地の碑
7.

宮良長包生誕125周年記念碑(歌碑)*

9. 下り井戸(アンヌカ)の碑
No. 名    称
2. 鳩間中森の碑
4. 鳩間島水道記念の碑*
6. 「ふるさと」歌碑
8. 戦死者・マラリヤ死亡者慰霊之碑
10. 物見台復元之碑*

地図

1.鳩間灯台の由来の碑

鳩間灯台の由来の碑


鳩間灯台の由来

鳩間島は周囲4.26キロの小島である。大東亜戦争は昭和20年8月を以て終わりを告げたものの島人の生活に必要な日用雑貨とりわけ食料品の不足は著しく必然的にその活路を島外に求めなければならなかった。
そのため鳩間島海域に於ける船舶の往来は慌ただしくなり、それに伴い海難事故が頻発難渋を極めた。就中島周辺で座礁する船舶は後を絶たず尊い人命や財物の損失はおびただしいものであった。事態を憂慮した当時の鳩間郵便局長田代浩は船舶の航行を安全に導く灯台の重要性を痛感し、昭和23年4月5日島の中央部中岡(海抜三十四米)の頂きに自力で以て高さ三米の櫓を組み立て灯油八分ランプ三基灯を光源とし、木製の仮灯台を設置して暗夜の道標とした。かくて島内第一号の航海安全の祈りの灯が点火された。第二代その後内外共に灯台への関心は高まり電源による恒久的灯台の建設へと計画を進め八重山水産会、石垣、西表、与那国 漁業者他有志等へ働きかけ浄財を募り、昭和二十三年九月三十日、高さ六米直径約七十七センチの鉄筋コンクリート造を建設、更に八馬力原動機を郵便局の構内に設置送電し灯台守として吉川一雄、加治工四郎氏の力を援用して三〇〇Wの照明を終夜点灯することになった。来鳩間灯台は琉球政府海上保安庁と引き継がれ三代・四代と改築変遷して現在に至っている。
 昭和六十年十一月吉日建立
  寄贈者 田代浩


この碑は、鳩間中森への途中にあります。

2.鳩間中森の碑

鳩間中森の碑
鳩間中森

ここからの 眺望はまことにすばらしい
有名な民謡 鳩間節はここからの眺め
をうたったといわれている。
この碑は、鳩間灯台の横に建てられています。

3.鳩間島沿革の碑

鳩間島沿革の碑
鳩間島沿革

鳩間島は周囲四・二キロで昭和十三年頃には人口八百余名擁し鰹漁船六隻半農半漁の生計を維持していた。昭和十三年郵便取扱所開所され所長に故通事浩氏就任、昭和十五年特定郵便局設置初代局長に田代浩氏が任命された。昭和十八年大東亜戦争は益々悪化し島にも無数の爆弾が投下され軍命に依り島人は西表島北岸、赤離・上原一帯に避難を余儀なくされた。八月終戦と共に島に引き揚げるや食糧はなくマラリヤ罹患者は栄養失調で死亡する者六十余名を数えた。そのような混乱の最中当時与那国を基地として台湾との物資の取引き(所謂ヤミ物資時代)が盛んだったが島の海域を頻繁に往来する船舶の座礁は後を絶たず尊い人命財物の損失は夥しいものがあっ。
事態を憂慮した田代局長は灯台、電信の重要性を痛感し時の八重山郵便局長故宮良賢副・電信課長向井信秀氏に再三陳情要請の結果、昭和二十三年念願の灯台。手動式三号無線機が設置された。(通信士新本実氏)然るに予算乏しく田代局長は島内を初め西表・石垣・与那国の有志等に働きかけ浄財を募り灯台・電信の維持費に充て更に発電機を導入して灯台或は各戸へも電灯化して文化生活の一負を印した。昭和二十年上原地区は鳩間局の市外配達区域に指定された(五年)昭和四十一年無線電話開通された。
昭和三十一年頃から島人の転出が著しく昭和五十六年には郵便局は簡易局となり学校も一時期には廃校寸前までなったが島の人々の燃ゆる結集や各方面の援助の功あって最近島も次第に活気を取り戻しつつある。


 昭和六十二年八月吉日
  建立者 田代浩
「鳩間郵便局之跡の碑」が横(左手側)に建てられています。

4.鳩間島水道記念の碑

鳩間島水道記念の碑


鳩間島水道記念の碑
国務大臣 沖縄開発庁長官 小渕恵三

海底水道の碑文
鳩間島は昔から水に恵まれず島の人々は天水とウイヌカー・アンヌカー・インヌカーを頼りに生活を営み旱魃時には西表島から水を運ぶという言語に絶する苦難と闘いながら生命をつないできた。
この島の水道施設は国県の人口基準等多くの問題があってその実現には極めて難渋した。
而しその基準に左右されることなく人間の生命維持と島の発展は多くの過去の歴史が示すように水の解決を図ることに信念を堅持してその実現には政治生命をかけ地元住民や議会の協力を得てねばり強く陳情をかさねてきた。
本町では先に黒島、新城、竹富、小浜各島の海底水道が完成し鳩間島も同様その解決を見たことは歴史的な事業として感慨深いものがある。
とくに政府、県の関係機関に対し深く感謝の意を表す。
この海底水道の施設によって島民の生活向上と未来の展望が拓け永遠に島の繁栄の礎となることを祈念してこの碑を建立し永く記念とする。
昭和五十五年七月三十日
竹富町長 瀬戸 弘

鳩間コミュニティーセンターの緑の芝生の上にある、大きな記念碑です。

ウイヌカー:上の井戸
アンヌカー:東の井戸
インヌカー:西の井戸

鳩間島では、先人の苦労を知ろうと、子どもたちによる西表島への「水くみサバニ航海」が行なわれています。


5.鳩間小学校発祥の地の碑

「鳩間小学校発祥の地」の碑
【右側の碑】




裏側からの写真です。
左側が「鳩間小学校発祥の地」の碑になります。
【側面】
比の麗しき鳩間島に
父母よ安かれ友よ待て
学びの業の成るときに
錦飾りて帰るまで


【裏面】
 かつて番所があり鳩間島における庶民教
育の発祥地でもある比のゆかりの地におい
て明治二九年(一八九六)年六月一九日に大
川尋常小学校鳩間分校が設置された
由緒ある母校の学史を讃えるとともに学問
と平和を愛したかつての少年・少女
たちにとって比の地が心のふるさとである
ことの証として永く記憶にとどめてもらう
べく創立百周年を記念して本碑を建立する
平成八(一九九六)年六月一九日吉日
卒業生同窓生
沖縄在子鳩会


この碑は、鳩間コミュニティーセンター敷地内にあります。
碑文【側面】

碑文【裏面】

6.「ふるさと」歌碑

「ふるさと」歌碑
【左側の碑】

兎追いしかの山
小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷

こころざしをはたして
いつの日にか帰らん
山はあをき故郷
水は清き故郷

7.宮良長包生誕125周年記念碑(歌碑)

宮良長包歌碑

【上部拡大】

【裏面】
【表面上段】
鳩間節
一 海の真中に只一つ
  鳩の浮巣か鳩間島
  常の春辺の中森の
  久葉の葉末のそよ風に
  ゆかしき楽の調べあり

二 稲田に寄する黄金の波
  岸に群れ寄る銀のうろこ
  久遠を誇る くがと海
  平和の徴 ゆたかなる
  あかず楽しき眺めあり
三 鳴呼島人よ 吾人は
  空と水とに 比えつつ
  心雄々しく 氣は高く
  名に負う鳩の 平和
  永久に歌わん其の幸を


【表面下段】
宮良長包歌碑

【裏面】

宮良長包生誕
125周年記念
平成20年12月吉日
コミュニティーセンター前の広場に建てられた碑です。
石垣市出身の宮良長包(1883〜1939年)は「えんどうの花」ほか数々の名曲を作曲し、沖縄音楽界の父と呼ばれますが、そのデビュー曲は1920年の「鳩間節」とされます。彼はこの曲を島の中央にある鳩間中森でイメージしたそうです。鳩間島は音楽家としての才能を開花させたゆかりの地とも言えます。

8.戦死者・マラリヤ死亡者慰霊之碑

戦死者・マラリヤ死亡者
慰霊之碑


碑文

碑文
太平洋戦争時 鳩間島にも日夜敵機が
飛来して無数の爆弾の投下を受けて
尊い人命を失い、家屋その他も多大なる
損害を蒙った。当時、西表島防衛司令官
下永部隊長の軍命に依り、島民は昭和
二十年三月対岸の西表島に余儀なく強制
的に疎開させられた。島民は疎開先の山野で
七ケ月間現地生活を強いられた。その間敵
の猛烈なる機銃掃射のため死亡する者、悪
性マラリヤで罹患して死亡する者、現地を
引揚げる者や、食糧の欠乏と栄養失調等
更にマラリヤが再発して高熱のため死亡する
等後を絶えなかった。その死亡者の数は遂に九十
余名となり、戦死者十一名を加えると一〇〇名を
かぞえるに至った。
ここにこの霊を慰め、恒久的平和を願い碑を建立する
平成八年六月
建立者 田代浩
鳩間島船客ターミナル(いとま浜ターミナル)のちょうど裏側にひっそりと建っている碑です。
鳩間島はとても小さな島ですが、ここにも戦争の傷跡が深く刻まれています。

9.下り井戸(アンヌカ)の碑

下り井戸(アンヌカ)の碑
記念物指定碑 (右側の碑文)
記念物 下り井戸
指定 昭和四七年八月三〇日

下り井(アンヌカ)の碑 (左側の碑文)
自然の洞窟の傾斜地を下った
所に泉がある 昔島人にとって唯一の
飲料水だったという
アンヌカ

10.物見台復元之碑

物見台復元之碑
物見台復元之碑
昭和五十八年六月三十日竣工

鳩間中森の鳩間灯台のすぐ横(東側)にある火番盛で、1983(昭和58)年に復元されました。火番盛は海上を行く船舶を監視する石積みの見張り台で郡内各島に設置されていました。
外国船などを見つけると火を焚いてのろしをあげ、石垣島の蔵元に通報するという重要な役割を果たしていました。しかし長い歳月で老朽化したため、物見台として復元工事が行なわれました。今日では、石垣島や西表島などを見渡す美しい景観で島の観光名所となっています。
物見台
 

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