「史跡 フルスト原遺跡」の東側の崖下(元の史跡への入口:現在は藪に覆われてここから史跡に登るのは困難)にある文化財指定の石柱です。こちらの面には、
史跡 フルスト原遺跡
となりの面には、
昭和五十三年三月三十一日 建立
と記されています。 |
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こちらの面には、
昭和五十三年三月三日 国指定
となりの面には、
文部省
沖縄県
と記されています。 |
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前述の石柱の後ろ側には、文化財指定時に建てられた碑文があります。風化によりかなり読みづらくなっています。 |
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[碑文]には次のように記されています。 |
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史跡 フルスト原遺跡 昭和52年 国指定 この遺跡は、崖上に連なる石積み障壁、四囲に石積みを繞らした郭状の区画、北東部に築かれた城門跡のほか墓および御嶽を内容とします。 グスク時代の石垣島は、沖縄本島の勢力に対して独立性を保ちながら内部は複数の有力者が分割的に地域支配を行なっていたものと思われ、その有力者たちの拠点となったところが遺跡として残っていますが、15世紀の遠弥計赤蜂(おやけあかはち)の居城といわれるフルスト原遺跡はその内でも規模・構造ともに秀れています。 フルスト原遺跡は、沖縄本島等にある城(ぐすく)跡と多くの点で共通する半面、郭状遺構の配置等に独自の性格を見出し得るものであり、沖縄県の歴史を理解する上できわめて貴重な遺跡です。 沖縄県教育委員会
昭和53年3月31日 |
石柱と碑文はこのように建っています。 |
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側面からですが、碑文の後ろには洞窟のような空洞があるのが分かるかと思います。 |
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拡大するとこの様になっています。これは第二次世界大戦中に造られた海軍飛行場の格納庫として使われていたそうです。 |
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