3.電信屋の碑文と写真
碑文 |
碑文
1895年(明治28)の日清戦争終結後、日本はその領有となった台湾との間に通信回線を敷設することにし、1896年(明治29)先ず鹿児島〜沖縄本島との間に、次いで翌1897年(明治30)沖縄本島〜石垣島〜台湾間・石垣島〜西表島間に海底電信線を敷設した。 これにより、本土〜沖縄本島〜石垣島〜台湾間の通信回線網が完成した。 当初、通信回線は陸軍省が管轄していたが、後に逓信省に移管され1897年(明治30)7月1日八重山郡大川村12番地に八重山通信所を設置し一般公衆電報の取扱を開始した。 以来この海底電信線は明治・大正・昭和の三代にわたって政治・経済・文化その他各分野の先駆けとしての重要な使命を、担っていたが太平洋戦争の戦災を受け昭和20年に破壊された。 21世紀高度情報化社会の到来とIT新時代を迎え、電気通信システムも著しく変貌しつつあるが、この海底電信線の敷設された歴史的経過を永く残すため、海底電信線の陸揚げ地であるこの地に記念碑を建立する。 2001年12月吉日 電信屋記念碑建立期成会 |
電信屋記念碑の外観 | 海底電線布設ルート図の碑 | |
元海底電線陸揚室の説明看板 |
元海底電線陸揚室 |