赤イロ目宮鳥御嶽 更新 2021.05.01
今回は地図の修正を行いました。
赤イロ目宮鳥御嶽は、川平集落の消防分団前ロータリーの傍にあります。
なぜ御嶽の名前が「赤イロ目」と付けられたのかは不明だそうです。地元では「アーラオン」と呼ばれています。
御嶽建立の経緯ですが、川平は市内でも最も古い集落の一つで、その昔、村人は野夫佐(サノブ)などの役職を設け逃げた牛馬を調べていました。そしてその結果を月に一度、村の神司から石垣村の神司を通じて宮鳥の神に報告していましたが、当時は今日と違って交通不便なため石垣村に出向くのは容易なことではありませんでした。このため、四箇字(字石垣)の宮鳥御嶽の分家として御嶽が建立されたとされています。
なお、この赤イロ目宮鳥御嶽は、豊年祭や結願祭の会場となっている御嶽です。 |
1.地図
2.写真
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「赤イロ目宮鳥御嶽」遠景 |
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鳥居正面より |
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同拡大:鳥居・拝殿・イビ門が一直線に配置されています。 |
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拝殿遠景 |
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拝殿拡大 |
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イビ門 |
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「赤イロ目宮鳥御嶽」の説明板 |
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ビッチュル石(中央左の石) |
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赤イロ目宮鳥御嶽(アカイロメミヤトリオン)
石垣市指定文化財(民俗文化財・建造物)
平成3年11月13日指定
この御嶽は、別名アーラオンとも呼ばれ、群星御嶽・山川御嶽・浜崎御嶽と並んで川平四嶽の一つに数えられています。川平村の年中行事は、この四嶽を中心に行われ、中でも川平村の雨乞いはここで行われます。またこの御嶽の豊年祭では、境内の一角に祀られているピッチュル(カーラ石)と呼ばれる俵形の石を担いで境内を廻る儀式が行われます。
「八重山島由来記(御嶽々名并由来記)によれば、御嶽の神名は御嶽名と同じで、御イベ名は「まかお大あるじ」と記述されています。また、川平村では、「牛馬による農作物の被害を避けるため、農作物保護役の野夫佐や馬夫佐へ監視させ、その結果を神司が毎月石垣村の宮鳥御嶽に行き、同御嶽の神司を通じて神に報告する習わしであった。当時の神司がその煩雑さに同情し、宮鳥御嶽への御通しとしてこの御嶽は作られた」と伝えられています。
この御嶽は鳥居・拝殿・イビ門・イビを東西に直線的に配置し、神庭はイビ門前の広場・拝殿のある広場・下段の広場と高低差によって三段になっています。
現在の拝殿は、昭和12年(1937年)に建てられたもので、間口が2間半(5m)、奥行き2間(4m)、赤瓦葺寄棟の屋根をおく木造平屋の建物です。拝殿には右側に祭壇が設けられ、「沐陰」の扁額が掛けられています。イビ門は長さ11m、幅80cm、高さは中央部で1.8m、両端で1mと中央部から両端に向かって低くなっています。入口は幅85cm、高さ1.8mで、暑さ15cmの平たい板状の石が乗せられています。イビは半月状で奥には高さ45cmの石積みがあり、香炉が置かれています。
この御嶽は、川平村の年中行事には欠かせない御嶽で、八重山の民間信仰を知る上で重要なものです。また、拝殿は、御嶽の施設や伝統的な木造建築の変遷を知る上で重要なものです。
なお、この地域を無断で現状を変更することは、石垣市文化財保護条例で禁止されています。
平成12年3月 石垣市教育委員会
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豊年祭でのビッチュル石担ぎの様子(2015.7.25) |
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豊年祭の旗頭奉納(2015.7.25) |
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