まえがき   更新 2018.01.26 


 学生時代(今から45年以上前)から八重山・宮古諸島を訪れている旅好きな60代半ば(前期高齢者入会寸前)のジイジイです。
 会社に入社してから暫くの間は、離島への足も遠のいていましたが、40代後半から再び毎年訪れるようになり、今ではすっかり八重山病の重症患者となっています。 (次の離島への旅を楽しみに日々過ごしているような状況にあります。)

 ところで、学生時代には、飛行機に乗って沖縄・離島を訪れることなど夢のまた夢でした。 大袈裟かもしれませんが、死ぬまでに一度は乗ってみたい乗り物、なぜならそれほど学生(一般庶民)には手の届かない高額な乗り物でした。 従って、改めて言うまでもなく当時は、毎回、しかも学割を使った船旅をしていました。
 まずは鹿児島駅まで列車の旅(当時は九州在住のため)。 そして鹿児島港から20時間かけて那覇港へ。更には陸で数時間過ごした後、また10数時間かけ、宮古・八重山諸島へと足を運んだものです。
 そんな長旅を経て離島に着くと、エメラルドグリーンに輝く海が出迎え、家々は赤瓦葺き、道路は未舗装、電柱は木柱、交通は本土と左右逆交通、夜には星座も分からないほどに降り注ぐ満天の星・天の川・・・、当時は沖縄本土復帰直後でしたので、本土とは今以上に大きく異なる風景でしたが、そこには手付かずの自然があり、またそこは歌と踊りの好きな人情味豊かな人々の住む島でもありました。

 そうした時代から45年もの年が経過し、最近は沖縄・離島ブームと言われています。
 旅行客の増加だけでなく、団塊世代の一部の方々は退職後の移住先として選んでもおられるようで、一部の地区では訪れる度に土地開発・建設が行われ、今や島は急速なテンポで変わりつつあります。また、地上だけでなく、海中の珊瑚も、各種開発と地球温暖化の影響により、大きく変わってきています。

 このように島が変わっていく姿を見続けながら、一方でノスタルジックな島への想いを捨てきれず、沖縄・離島の旅を繰り返している私です。

【ブーゲンビリアの花咲く白砂の道:竹富島にて】
 そんなに何度も離島、八重山に足を運ぶ良さは一体なぜなのかと尋ねられると、狭いエリアでありながらもそれぞれの島毎に風景や文化(言葉、伝統芸能、祭り、唄など)が異なり、そこに住んでおられる人々との接し方・感じ方も島々を巡る度に新鮮な印象を受けることができ、全く飽きがこないというのが答えになろうかと思います。

 八重山に行くと、私と同様のリピーターによくお会いします。
 そうした方の一部には、前回の旅で一部の島(部分)しか巡りきれなかったので、その続きの旅をしているという方もいらっしゃいます。
 確かに、現代では、飛行機での旅が誰でも普通にいつでもできるようになりました。 しかし、時たま旅先でツアー客から耳にする「今どの島にいるのかがよく判らない」という言葉に表されるように、短日程の旅行でしかも八重山での滞在日数がごく僅かであれば、旅行会社がセッティングした一日にいくつもの島を弾丸のごとく巡るツアーに身を任せざるを得ないというのも実態かと思います。
 初めての八重山の旅がそんな弾丸ツアーであったならば、そうした方にとっては時間をかけ離島をもっとよく知りたいという思いが募るのかもしれません。

 こうした方以外にも、「島々で違う魅力をもっと感じてみたい」とか、「気に入った島があるのでそこでのんびりと過ごしたい」、「リフレッシュしたくて何度も来ている」という方も数多くいらっしゃいます。
 個々人の理由はともかく、多くの方々がもっと時間をかけ、八重山の良さをじっくりと感じ取って頂ければと思います。 そんな八重山に旅される方々の一助となればとの思いで開設したHPですので、本HPが多少なりとも旅の事前準備や計画立て等の参考になれば幸いです。

 なお、このサイトは営利目的のものではなく、あくまでも私個人の過去の旅経験、滞在生活等で得た各種の知識等に基づき記載しているものです。
 従って、一部の記載内容に於いては誤記等があるかもしれませんが、その点はご了承願います。

 
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