石垣島(いしがきじま)
【ISHANAGI】
※ 【 】は地元での呼び名です。 |
石垣島は那覇から411kmに位置する八重山諸島の中心的な島です。 島内には、大手スーパーもあり、100円ショップもあり、商店街もあり、家電ショップもあり、パチンコ屋も、ボーリング場も、美容院もあり、大きな病院もあります。 周辺の離島にこういうものがほとんどないため、石垣島はある意味で小都会でもあります。
しかし、都会的なのは港周辺の地区だけで、島全体を見るとまだまだ豊かな自然が多く残る美しい島です。 特に世界最大規模のアオサンゴが残る東部の白保、日本百景の風光明媚な川平湾をはじめ、平久保崎や御神崎の壮大な眺めは本土の景色とは大きく異なり、インパクトがあります。
島の北部や西部はダイビングスポットとして名高いのですが、島全体が起伏に富み、多くの河川が流れていることもあり、陸地にも見所は多くあります。 特に、沖縄県の最高峰である於茂登岳(526m)や、周囲の見晴らしの素晴らしい野底マーペー(282m)などへの登山も割と楽に行うことができ、マリンレジャーだけではない楽しみも味わえます。 加えていくつかの鍾乳洞もあり地底を探索することもできます。
また、石垣島は「詩の国、歌の島、踊りの里」と唱われ、現在でも伝統文化を継承する多彩な祭りが、各地域で催されています。 時期が合えばこれらを堪能することができます。
|
竹富島(たけとみじま)
【TAKIDUN】
|
石垣島の南南西6kmに位置し、石垣港からは高速船で僅か10分で着く島です。 竹富島は、島全域が西表国立公園に指定され、海中公園も2カ所が指定されています。 「竹富」は近代になってからの当て字で、明治半ばまでは「武富」と表記されることが多く、現在も地元では「タキドゥン」「テードゥン」と呼ばれることもあります。
1771年に八重山諸島の多くの島々に甚大な被害を与えた「明和の大津波」のときは、島を取り囲む大きな珊瑚礁に守られ、全く被害を受けなかったと言われています。 また、古くは八重山諸島全体を統括する行政府の置かれていた島でした。
竹富島の魅力は、やはり何と言っても集落が、沖縄の原風景、沖縄古来の姿を保っていることにあろうかと思います。 現在でも、赤瓦の屋根、シーサー(魔除け獅子)、珊瑚石を見事に積んだ石垣、白砂を敷きつめてちりひとつない清潔な街路など、最も沖縄らしい島と言われ、集落は国の町並み保存地区(重要伝統的建造物群保存地区)にも選定されています。 また、のんびり歩いていると、どこからか三味線の音色も聞こえてくる、そんな趣のある島です。
|
小浜島(こはまじま)
【KUMOH】
|
西表島の東約2km、石垣島と西表島の間にあり、マンタの見えるスポットとして有名なヨナラ水道(通 称マンタウェイ)を隔てて位置する島です。(また、島の北東約1.7km沖にはウサギの島として知られるカヤマ島を眺めることができます。) 石垣島離島ターミナルからは各社の高速船で、約25分で到着します。 古来から米づくりが可能だったため、八重山地方の中でも豊かな農業伝統を持っています。 現在はサトウキビと米が主に栽培されています。
島の中央にある大岳(うふだき)の頂上からは周辺の島々を一望することができます。 島全域および周辺海域が西表国立公園に指定されています。
2001年にはNHK朝の連続ドラマ「ちゅらさん」の舞台になり、一躍有名になりました。 中でもシュガーロードと呼ばれる道は、ドラマのロケ地にもなり、小浜島の一大観光名所となりました。 小浜島にはこのシュガーロード以外にものどかな道が多くあり楽しむことができます。 その他、「こはぐら荘」も観光スポットとなりましたが、ここはあくまでも民家です。 そのことをよく認識し静かに見学をしましょう。
なお、小浜島には、「はいむるぶし」を筆頭として「小浜島リゾート&スパ ニラカナイ(旧ヴィラハピラパナ)」などのリゾートホテルがあり、ゴルフ場もあります。 但し、小浜島にはマリンレジャーのできるビーチは非常に少なく、もしもそれを期待するのであれば、「はいむるぶし」に泊まるか、または他の離島に行かれることをお勧めします。
|
黒島(くろしま)
【FUSMA】
|
石垣島の南南西18kmに位置する平らな島です。 島の形状から、ハ一トアイランドの愛称でも呼ばれています。 石垣島離島ターミナルからは各社の高速船で、約30分で到着します。
黒島は何と言っても「黒毛和牛」の島です。 黒島産の黒毛和牛は、県民の多くも愛食していて、島の主産業はこの肉牛生産です。 人口の約10倍もの牛が放牧されていて、黒島の集落地以外はほとんど全ての土地が放牧地として開墾されています。 このため北海道に来ているのかと間違えてしまいそうな牧歌的な風景を眺めることができます。 黒島には、川はなく、また土地もやせているため農耕には不向きであるため、島として生きていくために選んだ道が畜産だったわけです。 なお、毎年2月末には「牛まつり」が島ぐるみのイベントとして開催され、抽選会での1等賞には牛1頭が贈られています。
また、西の浜は海ガメが産卵のため訪れるところとして有名です。 仲本海岸はシュノーケリングの場所として有名で、リーフの内側で数々の熱帯魚を容易に見ることができます。 島全域および周辺海域が西表国立公園に指定されています。
黒島は、なだらかでそれほど大きな島でもないため、島内は自転車を借りて周るのがお勧めです。 かつては未舗装の道も多かったのですが、最近では整備され、随分と走りやすくなりました。
|
西表島(いりおもてじま)
【IRIMUTI】
|
西表島は、石垣島の西約30kmに位置し、沖縄県の中では沖縄本島につぐ二番目に大きい島です。 台湾の台中市とほぼ同緯度にあります。 石垣島離島ターミナルからは各社の高速船で、東部の大原港へは約35分、西部の上原港へは約40分で着くことができます。
300〜400mの山々で構成される島の90%が亜熱帯の原生林(ジャングル)に覆われている西表島は、八重山の島々のなかでも特に雄大な大自然を味わえる島で、東洋のガラパゴスとも言われています。 また、天気も他の離島と異なり、原生林で覆われた西表の上空にだけ雲が発生している状況も頻繁に見ることができます。 河川の数も多く、下流域にはマングローブ林が広がり、周辺部を含めて西表国立公園に指定されています。 珍しい動植物が生息する秘境であり、なかでも天然記念物のイリオモテヤマネコはあまりに有名です。 近年は、貴重な自然を体験・観察するエコツアーが盛んで、修学旅行先として多くの学校からも選定されるようになってきました。(以前は旅先で、中高校生の姿を見ることはあまりありませんでしたが、最近は本当に多く、環境保護学習の意味からも良いことのように思われます。)
島は大原港や仲間川がある東部と、船浦港・上原港や浦内川のある西部とに分かれ、東部の南風見田から西部の白浜集落の間を結ぶ道路は海岸線沿いの1本のみです。 しかも、島で道路が通っているのは全体の4分の3程度の全長55km(車での島内一周はできません)、車で移動しても約1〜1時間半を要します。
そのため、島のそれぞれの中核的集落である、東部の大原集落と西部の上原・祖納集落とは、随分と趣きが異なります。 現状としては、西部の方がやや栄えているように思われます。 なお、集落や主な観光スポットは道路に沿って点在しているので、迷うことはあまりありません。 島はかなり広いため、レンタカーやバイクが便利です。 東部と西部を結ぶ路線バスも一日に6本走っています(便数が少ないので少々不便ですが・・・)。
島の歴史としては、琉球王朝時代には何度か強制移民が行なわれましたが、ほとんど失敗しました。 大正末期から昭和初期にかけて、北部内離地区に炭鉱が開かれ、一時はかなり発展しましたが、第二次世界大戦中に次第に衰退しました。 第二次世界大戦末期に、石垣島や波照間島の住民が強制的にこの地域に疎開を命じられ、この地で多くの住民がマラリアにかかり死亡しました(戦争マラリアと呼ばれています)。 そういったこともあり、古くからの集落はごく少ない状況で、多くは戦後の移住者等により興された集落が主となっています。
|
鳩間島(はとまじま)
【PATUMA】
|
西表島の北5km、竹富町の最北に位置する小さな島で、地元では「ぱとうま」と呼ばれています。
明治末期から大正期にかけてカツオ漁が盛んでしたが、現在は海草やシャコガイの養殖が営まれています。 以前は、貨物船以外の定期航路がなかったため、なかなか訪れにくい島でしたが、最近は毎日高速船も寄港するようになり、日帰りもできるようになりました。
鳩間島は、昭和24年に人口650人でピークに達していましたが、その後激減しています。特に復帰後、急激な過疎化の波にさらされました。 住人が減るに従って、診療所がなくなり、郵便局が消え、中学校も一時は廃校となりました。 学校がなくなれば、若い夫婦も子供を通学させることのできる場所に転居せざるをえなくなり、やがて島は衰退する、それを阻止するために島の人々が奔走した結果、里親制度に辿りつき、今では島の人が里親となって全国から子供を受け入れ、卒業まで預かっているそうです。(実際、子供たちと話をすると概ね島外出身者です。) これが「瑠璃の島」としてTVドラマ化され、そのロケ地として鳩間島は一躍有名となり観光客も多くなりました。
鳩間港周辺の海は驚くほど青く、まさに瑠璃の島です。 鳩間灯台から港へ続くまっすぐな坂道から見下ろすとその先には、コバルトブルーに輝く海を見ることが出来ます。 また、珊瑚礁で出来たバラス島(すぐ近くの、珊瑚の欠けらでできた無人島)と鳩間島の間のコーラルウェイは特に透明度も高く、色鮮やかで種類豊富な珊瑚を見ることもできます。
なお、毎年5月初旬には、島内はもちろん観光客も参加出来る「鳩間音楽祭」が開催され賑わいます。
|
新城島(あらぐすくじま)
【PANARI】
|
石垣島をはじめ他の離島からの定期便がないのが新城島です。 アクセスについては「新城島」のページを参照下さい。
新城島は、上地(かみじ)島、下地(しもじ)島の2島から形成され、島が離れていることから通称「パナリ」と呼ばれています。 但し、干潮時には両島の間を歩いて渡ることができます。
なお、島の赤土にシャコ貝や夜光貝などを混ぜて露天焼きされた「パナリ焼き」はこの島だけで作られていたものです。
新城島は「神の島」とも呼ばれ、島内には立ち入ることができない神聖な場所が数多くあります。
一般的にツアーで行けるのは上地島で、上地島には10名程度の方が住んでおられますが、下地島には集落は無く雄大な牧草地が広がっているのみです。(島の中央部に巨大なサイロはありますが・・・。)
とにかく神聖な島なので、新城島(上地島)内でも移動できる場所はあまり多くなく、港中心に見る場所が限定されます。 静かに過ごすよう心掛けましょう。
|
波照間島(はてるまじま)
【PATIROMA】
|
波照間島は石垣島の南西53km、北緯24度2分25秒、東経123度47分16秒に位置し、有人島としては日本最南端の島です。 波照間の島名は、「果てのウルマ(珊瑚礁)」に由来していると言われています。 島の主要産業はサトウキビ栽培で、港近くの波照間製糖の工場で製品化されています。
集落はほぼ島の中央部にまとまっていて、家々は昔ながらのたたずまいが残り、今でも古きよき沖縄の風景が残されています。 特に家の周りには台風から家を守る為に植えられた防風林としての、美しいフクギ並木を見ることができます。 また、集落周辺には、サトウキビ畑が一面に広がっており、のどかな雰囲気を味わうことができます。
波照間島と言えば最南端の碑があり南十字星を見ることのできる島ですが、何と言っても見所の第一位には八重山で一番に美しい北(ニシ)浜があげられます。 一度この海の色を見ると、誰しも心が奪われるはずです。 特に浜に下るガードレールのある道をターンする時のエメラルドグリーン・ハテルマブルーの海の色は感動ものです。 私も毎年この浜に足を運び、命・心の洗濯(癒し)をしています。
その他の観光スポットとしては、「長田御嶽」、「アカハチ生誕の地」などの史跡のほか、「高那崎」の絶景や「日本最南端の碑」、「星空観測タワー」などもあり、見所の多い島です。
路線バス、タクシーはなく、道路に信号機もありません。 のんびりと時を過ごしたい人にとっては最適な島と言えようかと思います。
最近は日帰りツアーも設定され、訪れる観光客も随分と多くなってきました。 それを見込んで近年いくつかの新たな宿泊施設が作られ、宿の選択肢も増えてきました。 但し、波照間島には本格的ホテル風の宿は無く(強いて挙げれば「ペンション最南端」か「オーシャンズ」がホテル風といえるかも?)、あくまでも民宿か素泊まり宿が中心となります。
|
与那国島(よなぐにじま)
【DONAN】
|
与那国島は、北緯24度27分00秒、東経122度56分04秒に位置し、石垣島から127km、隣国・台湾までの距離は111kmと、双方のほぼ中間にある日本最西端に位置する国境の島です。 晴れて澄んだ日には水平線上に台湾の山々を望むことができます。
波が荒い外海の中の孤島であるため、昔は「渡難(どなん)」と言われるほど訪れるのが大変な島でした。
与那国島は、東西約12km、南北約4kmで、ちょうどサツマイモのような形をしています。 面積が狭い割には、断崖絶壁・山岳地・高台・平地・湿地と起伏に富んだ地形を有する島であり、周囲を取り囲む紺碧の海、クバの生い茂る人跡未踏のジャングルなどなど、豊かでダイナミックな自然が溢れる島です。 八重山の中でも独特の文化や歴史、方言などを有するとともに、古い祭りの残る島です。 まさに一つの「国」といえようかと思います。
主な産業はさとうきびと漁業ですが、漁業について、与那国島周囲の海は、黒潮が直接ぶつかる(本流域の真っ只中に位置する)ので潮通しがよいため、カジキのトローリングなどの大物釣りが有名です。 また、ダイビングの上級者があこがれる大物の聖地でもあり、特に冬場にはハンマーヘッドシャークの大群が見られる大物ポイントとしても有名です。 最近ではムー大陸説まで出てきた海底遺跡があることでも知られ、ダイバーを魅了してやまない島です。
(与那国島は、映画「グラン・ブルー」のモデルとして知られる「ジャック・マイヨール」氏が愛した島としても有名です。)
|